銃口のマリアージュ | ナノ



見つかったとしても下手な事は言えないだろうと気絶した金髪とロン毛を体育館倉庫に放り込み、気まずそうに顔を逸らす陸上部二人と共にグラウンドに戻る。
3年の学年種目が丁度終わり、少しの休憩を挟んだらすぐに混合リレーが始まるというタイミングでようやく3組のメンバーが揃い、委員長に至っては四人の姿を見て若干涙ぐんでいた。


『1年、男女混合リレーを始めます。担当の生徒は本部に―――……』


アナウンスに耳を傾けながら、影山は校舎のベランダにかけられた点数表に目をやった。
暫定トップは4組、しかし点差は僅かでリレーで1位をとれば逆転できる。
自らに課せられたアンカーという役目の重さが、土壇場になって増してきた。勿論他クラスもアンカーには最速の選手を持ってきているだろうし、それは4組にしたって例外ではない。


「そーんな難しい顔しないの!」


知らず知らずのうちにプレッシャーを感じていたのか、影山の表情は固かった。
リレーの選手として入場門に向かう途中、葵が軽い調子で影山の背中を叩く。
右斜め前に見えていた烏野高校排球部と書かれた黒いジャージは、いつの間にか隣にいた。


「大丈夫、この葵さんが1位でバトンパスしてあげるから、飛雄ちゃんは安心して走ればいいよ」


カツカレー一緒に食べたいでしょ?
自信たっぷりに笑う葵に、徹の影が見えたような気がした。
ピンチになればなるほど、壁にぶつかればぶつかるほど、よりイキイキとして見える姿。
ネットを挟んだ向こう側の主将は、何だかんだ言って影山の最も尊敬する人間だ。
何も考えていないようでその実誰よりも物事に頭を使っている所、似ているなと妙な部分で納得しながら、影山は横を走る葵に「期待しといてやるよ」と返事をした。


さあ、最後の勝負といこうじゃないか。














鈍感アクティビティ














男子はトラック1周、女子は半周。
それぞれのクラスの走者が所定の位置に着いた所で、葵は想定外の出来事にどうしたものかと肩をすくめる。
もう一度葵の隣のコースで走る予定の女子をちらりと見てから、バレないようこっそりため息をついた。


「4組の第5走者のー、えー川北さん」

「はい」

「はい居ますねー。次、3組及川さん」

「…………はーい」


可愛らしい見た目を裏切らない可愛らしい声で返事をしたのは、体育祭の準備の頃から度々不穏な動きをしていた、川北美織だ。
クラスカラーである黄色のはちまきをした美織は葵より遥かに小さく、しゃがんでいても彼我の体格差は歴然である。

影山は気付いていないようだったが、葵の耳には確かに不良達の放った名前が届いていた。

『美織ちゃん』

あのガラの悪い二人とどういった関係かは知らないが、陸上部拉致の主犯は隣にいるこの可憐極まりない少女と見て間違いないだろう。
そしてその目的も、葵には何となくわかり始めていた。

女の子って、可愛いけど面倒くさいよね。
まあそこが可愛いんだけど、と結局はいつもと変わらない結論を出して、葵は腰を下ろしたまま美織に手を差し出し笑顔を作る。


「正々堂々戦おうね、美織ちゃん」


他人から見れば、ただの挨拶だ。
しかし一連のハプニングを全て彼女が仕組んでいたのであれば受けとり方は変わってくる。
葵の密かな宣戦布告に一瞬面食らった美織は、学年の男子達を虜にした天使の笑みを浮かべてその手を取った。


「ええ。よろしくね、及川さん」


美男美女の美しい握手に周囲の女子達が感嘆の息を洩らす。二人の腹に渦巻く黒さには誰も気付かず、第5走者の列には和やかなムードが漂っていた。










位置について、よーい。
火薬の破裂音が、益々日の光を強めてきた空に響いた。
各クラスの第1走者が勢いよく地を蹴り、各々の色のバトンを繋いでいく。
葵達3組は水色、宿敵4組は黄色だ。トップを争うのはやはりその二組で、放送席の実況にも熱が入る。


『ここで全クラス、バトンが3人目に渡りました!依然として1位を水色と黄色のはちまきが奪い合っております!』


行け!追い越せ!
待機している列から走者に向かって激が飛ぶ。スタンバイした4番目の走者に「頑張ってね」と声をかけ、葵も立ち上がって体をほぐした。


「あっ」


第3走者から第4走者へのバトンパス、誰かが驚いたように声を発し、その目線の先を追う。
見ると一人の男子生徒が慌てた様子で地面から何かを拾い上げた。―――黄色いバトンだ。


『おーっと、ここで4組痛恨のパスミス!これを機に3組一気に引き離し、続く1組も追いかけます!』


保たれていた均衡が崩れる瞬間だった。
悔しげに顔を歪めた男子生徒は再スタートをきり、追い上げを目指す。
実行委員に促されインコースに立った葵は、軽く手を振って構えた。
順位を見て位置に着いた美織はすれ違い様に葵の耳元でぼそりと何かを呟く。


「……川澄くん!へいへいカモン!!」


トップを守りきったバスケ部男子から、水色のバトンが受け渡された。
すぐさま1組の走者が変わり、3組と1組の一騎討ちになる、かと思われたその瞬間。
先ほどの4組のミスの動揺からか、1組の第4走者と第5走者が激しくぶつかった。


「きゃっ」

「うわっ」


高校1年生、男子と女子の体格差は侮れない。
軽々と吹っ飛ばされた女子生徒は強く尻餅をつき、膝を擦りむいていた。
好機とばかりに葵が差を広げると、会場中の誰もが思った。

だがしかし結果は、


『なっ、なんという事でしょう!トップだった3組は走らず、転んだ女子をお姫様抱っこでコース外に運んでおります!!』


「あのっ、及川さん…っ」

「大丈夫?ちゃんと手当てしてもらってね」

「あ、ありがとうございます」


この紳士的対応を一体誰が責めることが出来るだろうか。
まさかのロスにより差は縮まるどころか逆転を許し、4組にバトンが渡った。

ビリになった葵が、ようやっと一歩目を踏み込んだ。
運動靴が力強く地面を蹴り出し、土埃が舞う。




「「「はっ、はええええ!!」」」




ギャラリーがどよめいた。
他の女子とは一線を画した驚異的な速さで、葵はみるみるうちに差を縮めていく。

「いやああああ及川さあああん!」「素敵!頑張って及川さん!」「やばいイケメンすぎる死ぬ」「その汗が染み込んだジャージを私にください」「貴方の汗を拭くハンカチになりたい」「てか抱いて!私を抱いて!」

ギャラリーからの激しい歓声に包まれながら、修羅と化した葵の頭の中では、直前に美織に言われた言葉が回っていた。

『渡さないから』

何を、誰を、言わなくともわかった。
―――彼女は、影山の事が好きなのだろう。
だからこそ、常にと言っていいほど隣にいる葵が気に入らない。
それがここ数日の嫌がらせのようなものの正体であり、目的だ。


「………私だって」


意外に足が速いらしい美織は、1位になっていた。そのすぐ後ろを葵が追いかける。差は、中々縮まらない。


「渡したくない……っ」


面倒くさそうにしながらも話に付き合ってくれる影山を思い浮かべて、葵が一際強く足を出した。
手を伸ばせば届く位置にまで迫る。
視界の端に、水色のゼッケンを着た男の姿が見えた。


「飛雄ちゃん!!」


最後の力を振り絞った葵の体が美織に並ぶ。
二つのバトンがアンカーに渡ったのはほぼ同時で、葵から握っていた固い感触がなくなるのと同時に、顔だけ振り向いた影山からぶっきらぼうな声が降ってきた。




「――――――――上出来だ」




最終走者に、バトンが渡った。
役目を終えた葵を含めた女子達は皆トラックの内側で荒い息を洩らし、中にはへたりこむ子もいる。
いよいよのラストスパートに、放送席もマイクを掴んで立ち上がっていた。


『さあさあさあさあ!!1年男女混合リレー、アンカーにバトンが渡されました!』

『トップを走るのは黄色の4組、水色の3組!現在は4組がやや優勢……でしょうか』


「はは……上司かよ飛雄ちゃん…」


大の字になって乾いた笑いを洩らした葵は、上半身を起こしてコースに目を向ける。
2人の争いは熾烈を極め、観客席からも熱のこもった応援が聞こえた。
歯を食い縛って走る影山の顔は中々に酷く、これで隠れファンは減ったかなと一人暢気な事を考える。

歓呼の声がクライマックスを迎えた頃、パンパン!とゴールを示す二つの銃声が聞こえた。


『ゴール!私達では判断できませんでしたが、3組と4組どちらが勝ったのでしょうか!』

『審判の先生が、今アンカー二人の手を取りました。さあ、果たして結果は……』


ピッ。
鋭い笛の音と共に、肩で息をする影山の腕が挙げられた。


『決まりました!!混合リレー、1着は3組、そして学年優勝も3組です!!!!』


興奮した実況に苦笑を洩らしてから、葵はまた大の字に寝転がる。
土で汚れるのは影山のジャージだったが、そんなことは気にしない。背中に伝わってくる固い地面の感覚がどこか心地よく、真上に広がる空を仰いだ。


「………何やってんだ」


眩しい青と葵との間に、影山の顔がニュッと割り込んでくる。
額に汗を浮かべまだ息は整っておらず、手の甲で時折首筋を拭っていた。


「ごめんね飛雄ちゃん、1位でパス出来なかったよ」

「あ?俺が抜いたからいいだろ」

「あと飛雄ちゃんより歓声もらってごめん」

「そんなん今更だ」


ほら、行くぞ。
伸ばされた手を掴んで、葵はゆっくりと起き上がる。
応援席で委員長が「きたきたきたきたァ!カツカレーはワシのもんじゃいィィィ!!」と叫んでいるのが聞こえた。

及川さーん!名前を呼ぶ声に手を振り微笑み返してから、葵は先を歩く影山を追いかけ、その肩を軽く叩く。

烏野高校の伝統行事・体育祭は、近年稀に見る盛り上がりを見せて終結した。










「で、散々やってくれた訳を一応聞いておこうか」


第二体育館倉庫の前で、葵と影山が小柄な女子生徒を見下ろしていた。
怒りの為か心なしか頬を染めた少女は頑なに目を合わせようとせず、視線は葵の爪先辺りをさ迷っている。


「4組の川北美織ちゃん。私のジャージ盗んでみたり拉致ってみたり、色々やってくれたね」


葵の言葉を聞いて納得したように頷いた影山に呆れ顔で溜め息をついて、彼女は自嘲気味に呟いた。


「………そんなに私が嫌いならさあ、もっと堂々と言ってくればいいじゃん」


美織が驚愕に顔をあげる。
影山は意味がわからないという風に首をかしげ、その様子を見て少しばかり言いにくそうに唇を尖らせた。



「好き、なんでしょ。飛雄ちゃんのこと」



一拍、二拍。変な沈黙の後、影山の声が空気を揺らす。


「っはああああ?!」

「だってそうとしか考えられないじゃん!飛雄ちゃんが好きだから、近くにいる私が許せなくて嫌がらせしてきたんでしょ?」

「俺は、どうしてもカツカレーが食べたかったのかと思ってたんだよ!」

「バカ!飛雄ちゃんのバカ女の敵!乙女心がわかんない男は馬に蹴られて死ぬんだよ?」


「っ、あ、あの!!!!!」


いつもの如く始まった言い合いを止めたのは、話の渦中にある美織だった。
二人が同時に声の主を見て、訝しげな顔をする。




「私っ、及川さんの事が好きなんです!!」




「「………………………え?」」


どうやら葵も、馬に蹴られて死ぬ運命にあるらしかった。








「要するに、あの川北って奴が恨んでたのはどっちかっつーと俺だったんだな」

「ねー。にやけるのを我慢して見つめてたら、睨んでるみたいになっちゃったとか、女の子っぽくて可愛いわ」

「………俺も睨まれたぞ」

「それは単純に私に近付く男が許せなかったんじゃない?」


体育祭の後片付けをしながら、影山と葵は全てのトラブルの元凶であった川北美織その人について話していた。
なんでも大会を見に来るほどの葵ファンであったらしく、親衛隊にも加入していた。世界は案外狭い。

消しゴムもジャージも愛が昂って持ち出してしまったと言っていたが、新品ときちんと洗濯した状態で返ってきた。
反省もしているようだし、と先生には見つかったとだけ報告しておいた。これで、特に問題として残ることはないだろう。

二人を拉致したのは優勝したら食券を持って葵にお願いを聞いてもらいたかったとのこと。
握手してほしいといういかにも可愛らしいお願いに、葵は満面の笑みで応えた。

「及川さーん、こっちちょっと手伝ってー」

「了解でーす」

「影山ー、この荷物運んでもらっていいかー?」

「うーっす」


それぞれが別々に呼ばれ、葵と影山は離れる。
小走りで自分を呼んだ教師の元に向かいながら、事件が解決したにも関わらず残った、胸の中のモヤモヤに想いを馳せた。


(そういや聞き忘れたけど、あの時お題で俺を選んだのって、)

(バトンパスして飛雄ちゃんが笑った時に、ドキって、)


熱いようで爽やかな、炭酸の海にいるような感じ。
パチパチと弾ける泡は、どこか甘くて喉に痛い。



これが、恋?



((……………んなアホな))



淡くて苦いその感情に二人が名前をつけるのは、まだまだずっと先の話であった。


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