銃口のマリアージュ | ナノ



「歩果ちゃんと木下君がいない?!」


目を真ん丸に開いて葵が繰り返すと、実行委員長は青ざめた顔で頷いた。
午前中の競技も無事に終え、今のところでは3組の得点がトップだ。
しかし独走状態というわけでなく、負けず劣らずの好成績を叩き出している4組が、すぐそこに迫ってきている。彼我の差は僅かであり、いつひっくり返されてもおかしくない。

そんな中、クラスの陸上部員が二人ともいなくなってしまったのいうのだ。


「午前中に居たのは覚えてるの。午後は二人に活躍してもらうからねって、声をかけたんだけど…」

「お昼が終わったらいない、と」


無情にも、委員長の首は深く縦に振られた。
各々昼食を食べ終わり、応援席にはクラス全員が揃っている。陸上部員を除いて、だが。


「由香ちゃん、プログラム貸してくれる?」

「う、うん」


心配そうに行く末を見ていた女子生徒が、たどたどしい手付きでプログラムを取り出した。
手渡された葵は午後の種目にざっと目を通して、悔しげに表情を歪める。
男女混合リレーを最終に控える午後は配点の高いものが多く、逆転も十分に考えられるのだ。


「長距離走あるね……」


男子と女子で学年別に行われる長距離走は、それなりに得点源となっている。
普段から走っている運動部、それも陸上部の方が有利であるのが当たり前だ。


「トイレにでも行ってんじゃねえの」

「その可能性もあるよね。一応、もう少し待ってみよう」


くあぁ、と欠伸をしながら影山が言い、皆が曖昧に同意をした。
まだ午後一発目の競技は始まっていないし、案外ひょっこり帰ってくるかも知れない。
とは言え全員漠然とした不安のようなものを感じていて、万が一の事を考え二人が出れなかった時の出場者を決めておいた。
影山は「出るのが増えた…」と嘆いていたが、葵は知らんぷりである。


「どこ行っちゃったのかな……」


重い空気になった3組に、これまた重い委員長の声が響く。
妙に劇画タッチの応援席に、火曜サスペンスを彷彿とさせる湿った風が吹いた。














ミッションK・A














『―――これより、午後の競技を始めます――皆様、応援席に――』


時間切れを告げるアナウンスを聞き、3組一同は深い溜め息をついた。
結局二人は戻って来ず、応援席には空席ができたままだ。
軽い余興の教師による綱引きがあった後に女子男子の順で長距離走、学年種目、そして混合リレーで体育祭が終わる。


「もう、どこに行っちゃったの……」


落ち着きなく辺りをうろうろとする委員長を宥め、葵はふと真剣な顔をした。

このタイミングで貴重なポイントゲッター二人がいなくなるのは、どう考えたって不自然だ。
加えて二人とも人が好く責任感も強いので、サボっているとは考えにくい。
まさか連れ去られたんじゃ、と物騒な考えが頭をよぎるも、今朝ジャージがなかった事と言い最近不可思議なことばかり起きている。
そして、そんなとき頭に浮かぶのは隣のクラスの彼女なのであった。


「………飛雄ちゃん」


綱引きの観戦をしようと立ち上がった影山に、葵は座ったまま声をかける。


「もし長距離走が終わっても二人が戻って来なかったら、捜しに行くの手伝ってくれない?」


影山が頷くと葵は真面目な顔を崩し、ありがとうと笑った。
そんな二人の様子をじっと見つめているおさげの女子生徒の存在に、影山も、そして葵も気付いていなかった。










「はー……やっぱ短い距離を何回も走るのと長距離とじゃ、体力の消耗の差が、違うね…」


肩で息をして席についた葵が、ペットボトルの蓋を素早く開けて口に当て傾ける。
流れ込んできた中身を喉を鳴らして飲む隣で、影山も同じように水分を補給した。
応援席には依然として空席が残り、二人の代わりに出場した葵と影山は尋常じゃない疲れを見せている。
それもそのはず、とにかく出てばかりなのだから。


「及川さん影山君、お疲れさま」


走りよってきた委員長に、軽く手を上げて応える。二人とも健闘はしたものの、他の現役陸上部員には勝てず悔しい結果に終わった。
そして何より、


「これで、4組が暫定1位……」


保っていた1位が崩された。
長距離走を取れなかったのはかなりの痛手で、きちんと陸部を出してきた4組がトップでゴール、その結果逆転を許してしまったのだ。

二人が未だ見つからない事による悪影響は、思わぬ所にもあった。
逆転されてしまったという緊張からかプレッシャーからか、学年種目の結果も芳しくなく、4組のリードが続く。

2、3年の学年種目の後の混合リレーで全てが決まる。
応援席はお通夜かと思うほどにどんよりとした空気が漂っていた。
しばらくは観戦が続くこの時間しかないと踏み、葵は影山の肩を叩く。


「行こう、飛雄ちゃん」

「おう」


心配させない為に委員長に伝え、二人は応援席から離れた。
制限時間は男女混合リレーが始まるまで。
それまでに走者でもある陸上部二人を見つけ出し、四人で帰ってこなければならない。

グラウンドの中央で2年生の競技が始まる音を聞きながら、葵は黙って歩調を早めた。









「飛雄ちゃん、第二体育館倉庫だ」

「見つけんの早えよおい!」


協力してくれた女子に笑顔でお礼を言い影山の方に振り向いた葵は、彼の文句の意味がわからず首を傾げた。


「え、なんかまずかった?」

「いやいやいやいや、すっげーシリアスな感じで進んでたのに、お前が話したら1分で見つかったって、どんだけだよ!」


『昼休憩の時間で怪しい人見なかったか、聞いてみてもらってもいい?』

他クラスの女子生徒に葵がそう声をかけると、彼女は歯切れのよい返事と共に素早く携帯を取り出した。
葵の言葉をそのまま打ち込むとチャットのような画面に次々と不審者の目撃情報が上がる。

『第二体育館の方に向かっていく二人組見ました!』
『なんかガラが悪かったんで、3年のヤンキーだと思います』
『あ、私男女ペア見ました』
『体育館倉庫の鍵が職員室からなくなったらしいです!』
『第二体育館倉庫確認、変な二人組がいます』

あり得ないスピードで集まった情報によると、『3年のヤンキーと思われるガラの悪い二人組によって、第二体育館倉庫に閉じ込められている』というわけだ。
ほんのり頬を紅く染めた女子生徒から離れて体育館に向かう葵に尋ねる。


「大体、何なんだよあの連絡網」

「あれ?あの子達はね、私の親衛隊の情報部隊」


さらりと放たれた日常生活であまり使わない語句に、影山は目眩がした。
親衛隊なんて、一般人にそうそう着くものではない。


「アホ兄貴にもファンクラブがあるんだから、珍しいものじゃないって」


ヘラヘラ笑いながら手を振る葵の言葉を聞いて、影山はなるほどと思ってしまった。
珍しいものであるとは思うが、確かにこの兄妹になら居たっておかしくないのかも知れない。
血か、血なのか。
華やかな及川家の遺伝子について考えていると、半歩前を歩いていた葵が足を止める。

第二体育館倉庫の前に、人影が見えた。

慌てて隠れそっと窺えば、そこには目撃情報通りガラの悪い上級生の姿があった。


「なー、こいつらを終わるまで監禁しとけば、美織ちゃんの役に立てるんだよな?」

「あったり前よ。天使のお役に立てれば俺はそれだけで本望だ」


間違いない。この体育館倉庫に、二人がいる。
美織、という名前に反応したのは葵だった。
「やっぱり」と小さく呟き踵を返す。部室棟を通り過ぎグラウンドに戻っても、影山はその名前の人物を思い出せなかった。
聞き覚えがあるのは確かだが、顔は明確に浮かんでこない。


「飛雄ちゃん作戦会議をしよう」


校庭の隅で話した葵の『作戦』は、お世辞にも成功率が高いとは言えないものだった。
素人目にもわかる大博打。しかしそれ以外に何かいい案があるかと言えばないため、影山は泣く泣く従う事にした。
時間がない。3年の学年種目に入り、益々急がなければならない状況となる。

葵が演劇部の衣装&メイク担当の部員を呼び準備をしている横で、影山は脳内で段取りを確認していた。
ものの数分で変装を終えた葵が影山と目を合わせ、深く頷く。


―――『ミッションK・A』、始動。










腕に『体育祭実行委員』という腕章をつけた生徒が、ヤンキー二人の前に立った。
いかにも気弱そうな男で、体を縮こませオドオドと喋る。


「す、すみません、あのお、ここにた、たむろするのはちょっと……」

「あ゙?なんつってんのか聞こえねえんだけど、何か文句でもあんのかよ」


金髪に凄まれ喉の奥から情けない声を出した男は、可哀想な程に足を震わせながら言葉を紡いだ。


「で、ですから、今はたた体育祭中ですので、ごっご自身の席に戻って……」


苛立ちを隠そうとせず、一人が大きく舌を打つ。
余程『美織ちゃん』からの指令を重んじているのだろう、彼らはその神聖な行為を邪魔するものは許さないのだ。
ひょろひょろとした男を見下ろせる距離にまで、金髪は詰め寄ってくる。
身長差は20センチ近くあり、体格差から見ても金髪が首根っこ掴んで投げたら飛んでいきそうだ。


「おいおい兄ちゃんよお、俺らはただ休憩を、っ?!」


上半身を屈めて威嚇をした金髪の腹に、男子生徒の拳が入った。
突然の事態に金髪は目を見開き腹部を押さえる。実行委員は先程までと打って変わって冷やかな目を向けると、金髪の頭を強く蹴った。


「い゙っ」

「てめぇ、何してんだよ!」


それに気付いたもう一人が向かってくるのを見て、闇雲な拳を避ける。
バランスを崩したロン毛に足払いをかけて転ばせると、真上から思いきり踏みつけた。鳩尾にクリーンヒット、ロン毛は激しく咳き込む。
止めとばかりに足を振り上げたその瞬間、


「くそがああああああああ!!」


男子生徒の真横を、木製のバッドが通り過ぎた。間一髪避けて振り返ると金髪が立っていて、血走った目を向けている。
あのバッド面倒だな、と舌打ちすると、男子生徒の肩が掴まれた。そしてそのまま、重い拳が鳩尾に叩きつけられる。


「ガハッ……!」


軽いらしい体は呆気なく吹っ飛び、地面に倒れ込んだ。


「なんだよコイツ、マジいてえんだけど」


憎々しげに顔を歪めたヤンキーが倒れ込んだ実行委員を囲む。
バッドがその体に叩き込まれる直前で、恐らくそいつの名前を呼ぶ声が聞こえた。


「藤井ー?おい藤井、どこに行ったんだよー」


段々と近付いてくる声に、金髪とロン毛は顔を見合わせる。
この状態を誰かに見られるのは流石にまずい、と。
足りない頭で必死に考えた結果、導き出された解決法は『体育館倉庫に放り込む』だった。
幸いこの得体の知れない男はうずくまったままだし、今更監禁する人数が二人から三人になった所で大差はない。
金髪が男子生徒を担ぎ上げロン毛がポケットから鍵を出した、次の瞬間。
ぐったりしていた実行委員の目がカッと開かれた。


「―――――――飛雄ちゃん!!」


倉庫の陰から、同じく実行委員の腕章をつけた影山が飛び出す。
抱えられた男は器用にも足で金髪の首を挟み込み、肩を踏み台にして降りた。
影山は嫌そうにロン毛の首に手を回すと、後ろに引き倒す。葵に教わった通り頸動脈をゆるく締め上げれば、大男はたちまち気を失った。

ロン毛が握っていた鍵を取り男子生徒の方を見れば、金髪に馬乗りの姿勢のそいつと目が合う。
「ナイス飛雄ちゃん」と笑うその顔は、確かに見慣れた影山でさえ一瞬わからないほどうまくメイクが施されていた。


「……………無茶しすぎだろ、この作戦」

「結果オーライだって。ほら鍵貸して」


どこか楽しげな実行委員――もとい葵にそれを投げれば、馬乗りから立ち上がった彼女が鍵穴に刺す。
カチャリという小気味良い音を聞いて、影山は一人ため息をついた。

つまり、ここまでが作戦だったのだ。

実行委員に扮した葵がヤンキー二人組に突如殴りかかり、反撃される。やられたと見せかけ追撃しようとしたところで影山が声をかけ、体育館倉庫の鍵を出させるという筋書きだ。
下手したら葵も影山もフルボッコで終わる可能性のある作戦、よく成功したと思う。


「はーい、王子様が助けに来ましたよー」


茶化した口調で扉を開けるとそこに居たのは、


抱き合いキスをした陸上部の二人だった。


―――そういや目撃情報の中に「男女ペア見ました」ってのがあったな、と今更のように思い出す。
何をしようとしたのかは知らないが、人気のない所に来たらまんまと捕まってしまったのだろう。
慌てて体を離すカップルに冷やかな笑みを向け、葵は顎で外を指した。


ミッションK・A、またの名を『くたばれ悪党共作戦』。

無事、成功。


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