銃口のマリアージュ | ナノ




「っし、行ってくるわ。飛雄ちゃんは出ないんでしょ?」

「おう。俺は午後のが出るな」

「お互い大変ですねえ」

「まあ、しょうがねえだろ」


だね、と諦めたように笑って肩をすくめた葵は、ジャージと比べて遥かに風通しの悪そうな衣装を着用したまま椅子から立ち上がった。
外側からその構造はよくわからないがかなり複雑で本格的な造りのようで、歩きにくくはないのかと心配になる。
いや、いつももっと色々ついた華やかな王子の格好ばかりしているのだから、大丈夫なのか。

この種目さえ終われば昼食ということで、早くも席を取り始めている生徒もちらほらと見えた。
特に校舎の裏は隠れた穴場で、毎年ビニールシートで取っているグループもある。
借り物競争の出場者も校庭に並んでいて、うち応援合戦の衣装を着ているのは3分の1ほどだった。

目に鮮やかな青の法被を羽織り、普段は中々目にしない袴を穿いた葵は、ひとつ伸びをしてからグラウンドに向かって歩き出す。
その真っ直ぐ伸びた背筋を無意識の内に目で追いながら、影山は水筒の中身を一口飲んだ。
体育祭という『祭』に相応しい喧騒も耳が慣れ、蝉の鳴き声は正午に向けピークを迎えつつある。
主のいない隣の椅子から溢れるほどに積まれた花は、夏を控えた喧しさには似ても似つかぬ香りを放ち、不釣り合いさに影山の眉根に皺が寄った。

影山の喉仏が上下しスポーツドリンクを嚥下したのとほぼ同じタイミングで、葵は借り物競争の列に並んだ。














タキシードごっこ














パァン!と火薬の音が響いて第一走者がスタートする。
勢いよく走り始めた5人は皆そう変わらない位の速さでお題を手にし、我先にと封筒に指をかけた。
糊付けされた口を乱暴に破り、中から一枚の紙を素早く引き抜く。

皆一様に、動きが止まった。


『さあさあ始まりました、午前最後の競技借り物競争!第一走者の皆さんはどのようなお題をとったのでしょうか!』

『えー、まず第一コーナー2組岩出君がとったのは…セーラー服!しかも着用した状態でゴールするというお題です!』


さっぱりとした短髪の男子生徒は、鬼のような指令の記された紙を握り小刻みに震える。
サッカー部でそこそこ人気のある彼は、きっと先輩か誰かに言われて軽い気持ちでエントリーをしてしまったのだろう。
一発目から炸裂した無情すぎるお題に、校庭が爆笑に包まれるも、楽しいのは見ている方だけだ。当の本人は確実に失う何か大切なものと得点を必死に天秤にかけているようで、やがて決心したように応援席に走っていく。
「セ、セーラー服持ってる人!」と健気に募る向井に対して、クラスメイトは温かい目を向けた。


『続いて第二コーナーの宮村君も、戸惑っているようですね……お題はええと、パンツ!パンツを持ってゴールしなくてはならないそうです!』

『ちなみに今回の借り物を考えたのは、人でなしと名高い蛯原先生だそうです。皆さん、古典の授業もちゃんと受けましょうね』


古典、それはクラスの半数を簡単に眠りへ誘う魔の科目。
明らかに職権濫用である蛯原の復讐に、一気にブーイングが沸き起こった。

ゴールできる人がまず少なく、恥を捨てた者が1位をとれるといったスタイルで借り物競争は順調に進んでいき、やがて葵の番が回ってくる。
心に傷を残して「もうお嫁に行けない…」と顔を覆う男子陣に「お疲れ」と笑ってから、葵はクラウチングスタートの姿勢をとった。


「よーい、ドン!」


乾いた火薬音が、頭上の空に響くのがよくわかった。
力強く一歩目を踏み出した葵が他の生徒を若干リードしたまま、各々中継点で封筒一斉に開く。


『第4コーナーで止まっているのは…おっと、数々の競技で1位をぶっちぎっている、3組の我らが王子様だあ!!』


葵は実況の声を聞きながら、手に取った白い紙に書かれた文字をもう一度目で追った。
細かい指定は特になし、そこには蛯原の手書きと思われるやたらと達筆な一文があるのみ。

ふむ、どうしたものか。

先に走った人達のお題から何となく、羞恥心を煽る系のものだとばかり思っていた。
大抵のものにはそこそこ対応できると密かに自負していた葵は、軽く辺りを見渡す。
予想外というか拍子抜けしてしまったが、よくよく考えれば確かに定番である。

特に大きな文字の単語に小さく笑ってから、どうしようかな、と呟いた。
やや困った様子で額に垂れた汗を拭う姿にすら黄色い声が上がるのを内心楽しみつつ、たまたま目があった隣のクラスの女子ににこりと微笑む。
しかしその近くに目的の人物を見つけ、葵はそちらに向かって走り出した。










「飛雄ちゃん、ヘルプミー!!」


トラックを囲むように観戦している群がりに入れず、影山は少し離れた所に座ったまま声のみを聞いていた。
斜め前の方の最前線で競技を見ていた女子生徒が、発狂したような声をあげたのを聞いた直後。
人ごみを掻き分けて、葵が影山に向かって手を伸ばしている。


『なんと、選んだのはクラスメイトの男子生徒のようです!会場がどよめきます!』


興奮気味のアナウンスに首を傾けるも、どうやら自分が『借り物』であると理解し、差し出された手を掴んだ。
ぐいぐいと引っ張られるままに校庭に出て、白線のコースに入る。
握った手が、指が、思いの外細いことに驚いたのも束の間、気がつくと影山の視界は反転し、重力がふわりとなくなるような気がした。


「飛雄ちゃん、じっとしててね」


あらよっと、と普段聞きなれない掛け声と共に、影山の目の前には地面が現れる。
自分の意思とは関係なしに動き始めた体に脳が思考を放棄しかけたが、すんでの所で思い止まった。


「………って、なにやってんだよ!!」

「わっ、ちょっと飛雄ちゃん暴れないでってば!」

「暴れんなって、おかしいだろこの体勢!」

「おかしくないよ!日本古来からある伝統的な担ぎ方だよ!」

「んなわけあるか!」


あろうことか、自分よりでかい男を肩に乗せる、所謂『俵担ぎ』をしてコースを走っているのだ。
流石にスピードはかなり落ちジョギング程度ではあるも、他の走者は未だ借り物を探しているらしく、独走状態である。


「……っそ、そもそも、お題には何て書いてあんだよ」


ほっ、ほっ、とテンポよく走る葵に、影山は尋ねた。
というかこれ、俺が走った方が速いんじゃないだろうか。
葵は一瞬押し黙ったあと、含みのある笑みを浮かべながら飄々と言い放つ。


「『一番女子力のある男子』かな」

「なっ」


ほらほら飛雄ちゃん、ラストスパートだよ。
何故俺を選んだんだと抗議の言葉をかける間もなく、影山を担いだ女は迫るゴールテープに向けてスピードをあげた。
烏野の王子様が180越えの男子を抱えて走る姿というのは中々にシュールな光景で、唖然としていた観客も徐々に熱を取り戻す。
悠々と1着でゴールをすると同時にまた発砲音が鳴り、ようやく葵が影山を降ろした。首をぐるぐると回し肩を押さえているところを見るとかなりの負荷がかかっていた事が窺えるが、当然の結果である。

『1』の旗の後ろに並んだ葵に影山は猛然と寄り、感情を露にした。


「お前、いきなり何考えてんだよ!」

「何って……借り物競争なんだから、飛雄ちゃんを借りただけだよ」

「にしたってなあ、担ぐ必要ねえだろ!あと女子力ある男で俺を選ぶな!まだアイアンクロー根にもってんのか?」


「あ、そのお題ね、嘘」



今にも葵の胸ぐらに掴みかかりそうな勢いの影山に、あっさりとした返答が返ってくる。


「……………嘘?」

「あー、うん。ごめん本当は、」


襟元から封筒を取り出した葵が中身を見せるより先に、放送委員の声が影山の耳に入った。


『いやあ、まさか王子様の好きな人がクラスメイトの彼とは!これは女子の皆さんが黙ってませんよ』

『うまいお題だと思っていたんですけど、彼女の猛進は止まらないようですね』


好きな、人。
ごく短い単語が影山の脳内をぐるぐると回り、追い討ちをかけるように葵がお題の紙を見せた。
そこには墨で黒々と、


『好きな人 ※異性に限る』


の文字。ご丁寧に、異性の部分だけ大きい。
葵の顔を見れば「なにか変な所でも?」と言わんばかりの涼しい表情で、影山は頭が痛くなった。

応援席から向けられる殺意にも似た強い視線を感じ、そっと目を閉じる。
暗くなった視界には尚強い光が入り込んできて、目眩がしそうだ。

ほら、飛雄ちゃん並ばないと。

手招きする腕をちらりと見てから、影山は静かに空を仰いだ。


この女、一体どこまで人を振り回せば気が済むのだろうか。
隣の席になってから幾度となく考えた問いの答えは、どうやらまだ出ないようだった。


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