銃口のマリアージュ | ナノ




「…………こんにゃろ」


綺麗に中身の抜かれたジャージ入れをひっくり返して、葵は一人教室で呟いた。
体育祭当日、天気は清々しいほどの晴れであり、最高気温は30度前後らしい。
窓の外のグラウンドには既に生徒達が集まっていて、もうすぐ開会式が始まるだろう。
そんな中葵は制服姿のまま、立ち尽くしていた。


「おいおい…どーすんのさこれ」


長い溜め息と共に机の中や横を確認するも、それらしき物は見当たらない。
「ほら、早く並べー」と拡声器越しの声が耳に入り、焦る気持ちだけが募っていく。

全校ジャージ登校であるにも関わらずジャージを教室に忘れたことに気がついたのが今朝の話。
とりあえず制服で行き、教室でちゃちゃっと着替えればいいかと思い来てみると、昨日まであった筈のジャージがない。
しかも、ご丁寧に手提げからジャージだけ盗られていたのだ。


「犯罪だよね、これもう」


替えの服を持っている訳でもなく、長ジャーの方はこの間から行方不明である。
ここ最近やたらと私物がなくなっていたのだから、こうなることに気付けなくもなかったかも知れないのに。

何にせよ、と葵は黒板に貼られた出場競技のリストに目を向けた。
男子リレーや時間的に無謀である種目以外は出ろと詰め込まれた予定に、頭を抱える。
もし葵が参加できないとなれば、3組は混乱するだろう。
皆に迷惑をかけたくないし、それに何よりやるからには優勝したい。

事情が事情なのだから先生に話して制服でやる許可をもらおうか、と考えていると、不意に教室の扉が開いた。


「……お前、何やってんだ」


スポーツドリンクと思しきペットボトルを手にした影山が、自分の席の前で立っている葵を見て眉間に皺を寄せる。
もう片方の手にはいつものエナメルを持っていて、影山はそれを自らの机の上に置いた。


「飛雄ちゃんこそ、どうしたの」

「俺は部活の荷物置きに来た。今日終わったら自主練しようと思って」


バレー部含め今日は全部活が休みであるにも関わらず、真面目な事だ。
葵が訝しげな影山に事の顛末を話すと、影山は眉根を寄せたまま呟いた。


「それ、普通に泥棒だろ」

「……まあ、犯人の目星は何となくついてるんだけどね」


葵はおさげの少女を思い出し、それから首を振る。
女子は疑わない、それが葵のモットーだった。
影山は黒板の表を見て「俺とお前出すぎだろ…」とぼやき、葵の方を向く。
何かを思い付いたようにおもむろにエナメルのチャックを開けた影山を見ていると、やがて長い指が真っ黒いジャージを引っ張り出した。

背中に『烏野高校排球部』とプリントされたそれと影山の顔を交互に見比べて、葵は頷く。


「…お借りしてもよろしいでしょうか」


校庭から笛の合図が聞こえて、葵と影山は同時に顔を見合わせた。

体育祭、スタート。














おはようシャンバラ















「及川さん影山くんっ、一体どこに行ってたの!」


1年3組の応援場所に急いで行くと、実行委員の女子に怒られた。
隣の葵が「ジャージ忘れちゃってさあ、」と言い訳しているのを聞きながら、影山は並べられた椅子に座る。
教師に簡単なあらましを説明したため、部活用のジャージを着ていても大丈夫という事にはなっていた。


「飛雄ちゃん、ありがとね」


体育祭実行委員を説得し終えた葵が影山の隣に腰を降ろす。
席は出席番号順であるので、ここでも影山と葵は隣だった。


「おう、まあしょうがねえだろ」

「あと意外にピッタリでごめん」

「どういう意味だよ」

「いやほら、彼ジャージ的なの期待してたら悪いなって」


丈を膝の下まで折ってサイズを調節してはいるものの、影山のジャージは大きすぎる事はない。
捲った袖からは華奢な腕が伸びていて、影山は不覚にもどきりとした。


「飛雄ちゃん最初に出るの何ー?」


影山の持つプログラムを覗き込んだ葵は、タイムテーブルを指でなぞり上から二個目の項目で手を止める。


「…わあ、いきなり二人三脚か」

「お前も出んのかよ」

「出ますよー。お相手は……」


立ち上がった葵が2列前の女子の名前を呼んだ。
はちまきをリボンのようにつけた女子生徒は心なしか気合いの入った髪型で、葵の声に振り向くや否や、ガチガチに固まった様子で笑顔をつくる。


「おっ、及川さんっ」

「二人三脚頑張ろうね、由香ちゃん」

「は、はひぃ……」


ふしゅー…と湯気でも出しそうな勢いで顔を赤くした少女は、クラスメイトからものすごい視線を浴びせられていた。
『及川葵と二人三脚出場する権利』を奪い合って3組女子の中で熾烈な争いが繰り広げられていた事を、葵は知らない。


『―――間もなく、1年二人三脚が始まります。出場する選手は―――……』


「よし、行こうか」

「う、うん!」


アナウンスが流れ、葵が由香と呼ばれた女子の手を取った。
ギリ…と歯ぎしりが聞こえてきそうな勢いで周囲の女子がその様子を見つめる。
女子ってこええな、と密かにごちながら、影山も整列すべく椅子から立った。


「影山ァー、早く行こーぜー」

「おー」


くじ引きでペアになったクラスのバスケ部員に呼ばれ、待機場所に向かう。
二人三脚は1クラス3ペアまでだ。
ジャージの上着を椅子の背もたれに掛けて、影山もグラウンドの入場門に並んだ。










「あ、王子様だ。おーい葵ちゃーん」

「あれ、菅原先輩!」


葵が走る順に列を作っていると、菅原に声をかけられた。
中心のトラックを囲むように応援するスタイルであるため、入場門の近くは3年のエリアなのだ。
近くには澤村もおり、葵は気さくに答える。
先日バレー部にて日向と勝負をしてから、たまにすれ違うと3年の先輩方に話しかけられるようになっていた。


「葵ちゃん二人三脚出んの?」

「出ますよ。応援してくださいね!」

「おー。頑張れよ」

「あざっす!」



「………………なんで、うちの部活のジャージ着てるんだろうなあ」


『これより、二人三脚を始めます。第一走者は準備をしてください』


放送委員の声が校庭に響き、出場者の列が固まって動き出す。
葵はペアである女子の耳元にそっと口を寄せると、何やらぼそぼそと囁いた。
途端に女子生徒の瞳がカッと見開かれ、猛然と葵の手を掴む。
鼻息を荒くした少女は興奮した様子で掴んだ手を上下に振り、「絶ッッッッ対に勝とうね!!」と宣言した。

順番が回ってきて、スタートの位置に立つ。
足首をストッキングを編んだ紐で片足ずつを固定し肩を組むと、女子生徒は血走った目で前だけを見つめていた。


『位置について、よーーーい』


パァン、と火薬の破裂音が鳴り、各々第一歩を勢いよく踏み出す。
どのペアも「1、2」あるいは「右、左」と掛け声をかけながら走るのに対し、葵と由香は―――



「な、なんだあのペア!!!」



―――声を合わせる事もなく、一位を爆走していた。

まるで一人で走っているかのようなトップスピードを維持したまま、他の追随を許さない。
堂々とゴールテープを切った2人がガッツポーズを決めると、グラウンドがあり得ない程の熱気に包まれた。






「………あの時なんか言ったんだろ?」


2位のペアと接戦の末1着でゴールした影山が、順位別の列に並ぶ葵に尋ねる。
目をとろんとさせ夢見がちモードに入ったクラスメイトをちらりと見て、葵は苦笑した。


「1位になったら、2人で打ち上げいかない?って言っただけだよ」

「……お前、本当に女子キラーだな」

「キラーじゃないよ。実際一緒に行くもん」


どこまでも爽やかな笑みを浮かべる王子様を見てから、影山は小さく息を吐いた。
素なのか素じゃないのか、未だに読めない部分が多すぎる。

その後も3組は二人三脚において好成績を叩き出し、一先ず得点ではトップとなった。
応援席で雄叫びをあげる実行委員を視界の端にとらえつつ、葵は雲ひとつない空を見上げる。


1年3組の体育祭は、中々幸先良いスタートを切った。


11/26

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