short | ナノ




自分の意思というものを、他人に委ねるようになったのはいつからだろう。

判断を、決断を、人任せにして知らんぷりしはじめたのはいつからだろう。


お母さん曰く、私は幼稚園生の頃から人に合わせ、譲る癖がついていたらしい。
スコップを使っていても貸してと言われれば貸し、砂場で遊んでいてもブランコをしようと言われれば行き。
小さいうちは「葵ちゃんは周りのお友達の為に我慢して、偉いわね」なんて褒められたりしたけど、今思えばそれが間違ってた。

無理に争おうとしない、自分の意見は押し込める、他人にひたすら合わせる。
『協調性』なんていう言葉で誤魔化され続けた結果できあがったのは、



自分がない私の存在だった。














君と生きたいエゴイズム














「言ってくれなきゃわかんないよ、葵」


試合を終えたコートの中で、チームメイトの一人がきつい口調で言い捨てる。
気が付けば他の4人も、ベンチの子も監督もコーチも私を見ていて、急に気道が狭くなる感じがした。


昔から女子の平均身長よりかなり高くて、それだけが私の自慢だ。
手足もそこそこ長いと思うし、運動神経だって悪くはない。
ごく普通に近所の公立中学に入学した私は、当時一番仲良かった友達が入るからという理由でバレー部への入部を決めた。
自分で言うのもなんだけど、それなりにセンスはあったんだと思う。
パワーはあまりなかったけど身長に加えてバネがあったから、ブロックを決める回数もスパイクで打ち抜く回数も多かった。


それで気が付いた時には、私はエースと呼ばれる位置にいた。


だけどずるずると続けてきただけの私にエースという大役が務まる訳もなく、部員の私に対する不信感だけが募る。
ダメな事をダメと、嫌な事を嫌と言えない。
皆の中で静かに蓄積されていたであろう怒りが試合の終了を合図に吐き出されて、私に直接ぶつけられた。


「トスが打ちにくいなら言ってよ」

「最後トス呼ばなかったよね、なんで?」

「葵がレフトって決まった時、何も言わなかったじゃん」

「エースなんだから」



「アンタのそうやって自分で何も決められないところ、私ずっと嫌いだった」



中学校生活最後の大会の第2試合。
優勝候補筆頭の学校と運悪く当たってしまった私達は、完膚なきまでに叩きのめされ負けた。
残ったのは圧倒的な実力を前にした絶望と、頼り無さすぎるエースへの怒り。


「…うん……ごめん…ほんとにごめん…」


―――――ああ、やっぱり駄目だ。

こんな状況になっても、謝罪以外に私の口から出そうになった言葉は、


『私はどうすればいい?』


だった。











バレー部のチームメイトとは最後までギスギスした関係のまま、私は中学校を卒業した。

部員達が誰も志望していないという情報を聞いて、私は家からかなり離れた烏野高校を受験。
担任からは今の成績ならもう少し上を狙えると言われたけど、そこより上に目指すものがあった訳でもなかったし、何より自分の意思で決めた学校だったから、私は進路を変えなかった。

入試は危なげなくパスし、今年の4月に入学、そして現在に至る。


「…………迷った」


受験する前に見学に来たことはあったけど、バレー部に入るつもりがなかったから体育館の方は見てなかった。
放課後なんとか職員室まで行って提出物を出したあと、気付く。
……自分が、極度の方向音痴である事に。

入学してからまだ3日で、同じ中学からはほとんど受験しなかった烏野で、友達はまだいない。
誰かに聞けば良いのかも知れないけど、一番近い体育館からは終始雄叫びのような声が上がっていて、入れる雰囲気でもない。

1年はそのまま帰宅だけど、2、3年は部活があるんだ。


「まずい……このままじゃ帰れない」


今までの経験からして、下手に歩き回ると墓穴を掘ることがわかっていた。
かと言って誰かが通るのを待っていれば日が暮れる。
どうしたものか、と戻ってこれる程度の距離でうろうろしていると、体育館の窓に貼りついている人がいた。

貼りついているっていうか、貼り付くように中を見ている人。
食い入るような視線で体育館の中を窺っていて、私はその人の近くに寄る。


「………あの……」

「おうわっ」


遠慮がちに声をかけると、くっついていた窓から弾かれるように離れた。
顔を向けられ、真正面から向き合う形になる。

同い年、かな。
私よりもかなり小柄な男子生徒で、髪の毛がつんつんしてる。
黒い学ランの下には派手な色のTシャツを着ていて、そこには『猪突猛進』の文字。
ふむ、高校には色んな人がいるものだ。


「…えと……何してたんですか?」

「あー…………見学?」


私の質問に疑問系で、しかもバツが悪そうにその人は答えた。


「それより、あんたはどうしたんだよ。あれか?バレー部の見学か仮入部か?」

「え、あ、…いや…」


途端に目を輝かせ始め質問されるが、うまく答えられない。
…………バレー部?


「いま、バレー部がやってるんですか?」

「おう!そうだ、興味があるなら見ていけよ!」


ぐいぐいと手を引っ張られ先ほどまで自分が貼りついていた場所にセットされる。
彼曰く、ここが一番見つからないスポットらしい。

いや、でもそんなことより。


「すご…………」


体育館の中は、すごい熱気だった。
コートに2チームで別れているところを見ると、今はゲーム(試合)中なんだろう。

迫力が違った。
私の中学には女子バレー部しかなくて、今まで同年代の男子のバレーを見たことがなかったけど、こんなにも違うんだ。


「あの坊主のレフトの人すごい…あ、拾った。あの人リベロじゃないよね、ウィングスパイカー……?うわ速攻!」


無意識のうちに口から言葉が漏れる。
それほどまでに、初めて見る高校生男子のバレーは印象的だったのだ。


「あんた、元バレー部か!」


隣で見ていた男子生徒が、私に尋ねてくる。
もしかして、この人もバレー部なのかな?


「…まあ…その、一応」

「でかいな、身長いくつだ!」

「えーっと、172くらいです」

「ポジションは?!」

「……レフトの、ウィングスパイカーです」

「……………エース」


ぼそりと、さっきまでと違うトーンの言葉が吐き出された。
それはまるで、私の気持ちを代弁しているかのような言い方で。


「バレー部だったなら、ちょっと練習付き合ってくれ!」

「え?」

「こっち!あ、俺2年の西谷夕な。よろしく!」

「え、お、あ、1年の河野葵、です。よろしくお願いします……」


やばい、先輩だ。
そんなことを考えている間に私は促されるまま校舎裏らしき所に連れてこられていた。


「あの……ここは」

「俺が見つけた秘密の練習所だ!ブロックフォローの練習したいから、とりあえずひたすら壁にスパイク打ってくれよ」


ほいボール、とどこから取り出したのか私に投げると、西谷さんはいそいそとサポーターを取り付ける。
……ここ、屋外なんだけどな………。


「よっしゃ、こぉ――――い!!!」


私は戸惑いながらボールを宙に投げ、思いきり壁に叩き付けた。
引退してから半年以上、触ってもいなかったボール。
お世辞にも真っ直ぐとは言えない軌道を描いて、壁から跳ね返ってくる。


「ソイッ」


――――ふわりと、上がった。
あんなに騒いでボールを待っていた西谷さんは、いつのまにか壁で弾んだボールの落下地点にいて、トン、という静かな音を立ててボールを上に上げる。
そしてすとんと私の手元に戻ってきた。


「ナイスナイス!もう一本!!」


私がどれだけ変な方向に跳ね返させても、西谷さんは全部上げる。
上手い、本当にこの人は上手い。

どれくらい打ったかわからないけど、少し息が乱れてきたところで西谷さんは休憩!と言った。


「河野、お前上手いな!」

「いや、西谷さんの方が断然上手いですって」

「男子バレー部入らないか?」

「………私、女子ですよ」


そうだよな、と大口を開けて笑う西谷さんは太陽みたいで、思わず見惚れてしまう。


「西谷さんは、その、」

「リベロだ!!!!!」


部活に参加していないので聞いてもいいものかと迷っていると、西谷さんが自信満々に宣言してくれた。

やっぱり、どうりでさっきのゲームにリベロがいなかったわけだ。

部活に出てない理由は『問題起こして謹慎中』としか言わず、それ以上は聞けなかった。


「河野は、女バレ入るんだろ?」

「…………いや、決めてないです」

「えー、勿体ねーよ!タッパあっていいスパイク持ってんのに!」

「……中学最後の試合で、やらかしちゃったんですよ。敵うはずもない強豪に当たっちゃって、トス呼ぶのも怖くなって。私はエースに向いてないな、って、」



「そんなことねぇよ!!!!!!!!!」



いきなり立ち上がった西谷さんの怒鳴り声に、驚いて肩をすくめる。
彼は私の両肩を掴むと、怒りにも似た強い感情を瞳の奥に宿らせて、言った。


「高いブロックがなんだ、強いスパイクがなんだ!今まで全部ぶち抜いて来たんだろ?エース一人が戦ってるんじゃない、バレーはチームで戦ってるんだよ!決めるまで、何度だって、ボールを上げるから、拾うから、だから、」


トスを呼んでくれよ、エース!!!!!




悲痛な叫び声は言葉にならず、西谷さんは口をぱくぱくと動かしただけだった。
だけど、確かに伝わる。
痛いほどに、伝わるのだ。


「………悪い、あー、そのまあ、うちのエースも同じような事言ってたもんだから、つい」

「いえ………」


きっとそのエースが、西谷さんの謹慎の原因を作ったんだろうなって、直感でわかる。
今の言葉は、その人に向けられたものだろう。
でも、だけど、私への言葉じゃないのに、それは確かに私の何かを揺さぶった。


「…………西谷さん、わたし」

「お?」



「女子バレー部入ります」



悪いのは、チームメイトの皆じゃない。
優柔不断で他人任せだった、私だ。


「…………おう!!」


ニカッと笑顔を見せた西谷さんにつられて、私も自然に口角を上げる。




一回きりの秘密の練習は、私にとってかけがえのない何かになった。












「ノヤっさん、女バレの1年知り合いか?」

「ああ!」

「あの子だろ、ほら、髪が短くて可愛い感じの…」

「可愛い?龍、お前に河野は渡さねーよ!」

「なんだよ、好きなのか」

「バッ……うん、まあ……」

「へ――――、へー、そうかあー」

「んだよ龍」

「いやいや、じゃあさっさと告白すればいいじゃねえかよ」

「あー………うん。あいつが頼れるエースになったら、だな」

「なんだよそれ!!」


その時はきっと、俺がもっといいリベロになってるから。


エースになったお前に、胸を張って告白しよう。


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