short | ナノ



※ちょっとえっち



静かに床を踏む音がして、わたしは重たい瞼をゆっくりと持ち上げた。

腰の辺りがまだ熱い。普段使わない筋肉を使ったせいで気だるい体をどうにか起こし、ぼさぼさになった髪の毛を手櫛で整えた。照明の落とされた室内は窓の外から入ってくる月明かりのみで照らされ、寝起きで霞みがかった視界は数度の瞬きでクリアになる。
開け放たれたカーテンの向こう、透明なガラスを隔てた空はとうに真っ暗になっていて、私は頭の中でゆるりと現在時刻を想像した。日付は変わっているだろうから、午前1時過ぎくらいだろうか。


「ああ、起きたの」


斜め上、頭上から降ってきた声に顔を上げると、そこにはペットボトルを手にした英がいた。上半身裸にジーンズという格好で、彼はふと私を見ると、自分の鎖骨を指差しながらくすりと笑う。


「痕、ついてるよ」


言われた通りに自らの体に目をやれば、なるほど、確かに胸の上には無数の赤い華が散っていた。鏡が無いからわからないが、きっと首の方にまでつけられてるに違いない。
ついさっきの痕も、一昨日の夜の痕も、私の体に残っているのは全て自分がつけておきながら、「ついているよ」とは。相変わらずなんて白々しい男なんだと思いながら、私は下半身に絡みついていたシーツをたくし上げる。


「ぁ、」


名前を呼ぼうと声を発するも、それは音にならずしゅわりと空気に溶けた。啼き過ぎた喉は疲れたとばかりに仕事を放棄し、私は金魚よろしくぱくぱくと口を開閉する。

それに気付いた英がミネラルウォーターを手渡してくれた。キャップを回し、容器を傾けてその透明な液体を流し込む。かすかにひりりとした痛みが走り、冷たい水が食道を通り胃に到達するのが分かった。
その隙に英は私の隣に腰を下ろす。スプリングの効いた素材が跳ね、少し疲れた様子の彼が顔を窓の方に向けた。後ろ手をつき、いつもの眠たげな瞳にガラス越しの月を映す。


「ありがと」


潤いを得たことによりいくらかましになった声でお礼を言えば、英は「ん」と返事をして私からペットボトルを受け取った。そして薄く開いた唇からミネラルウォーターを飲んでいく。ごくりと上下する喉仏。けして明るいとは言えないベッドの上で、そのいやに妖艶な動きに何故か興奮してしまう。

外気にさらされた英の上半身は、何度となく見た私ですら思わず見つめてしまう程に美しかった。
線の細い体に似合わずしっかりと割れた腹筋、広い肩幅と背筋、それから筋の通った外腹斜筋。ムキムキというわけではないけれど鍛えられている、均整のとれたボディラインに意識せずとも目がいってしまう。
淡い月光によって露わにされたシルエットが、視界の中で動いた。普段バレーボールを操っているしなやかな指が英の髪の毛をさらりと撫ぜ、それから長い睫毛に囲まれた伏し目がちの瞳が私をとらえる。


「……何、見惚れてんの」


私の視線に気付いた英が悪戯っぽく口角を上げ、艶めかしく唇を歪めた。
あまり男の人に使う表現ではないかもしれないけれど、英は時々どきりとするほど色っぽい。濡れた唇を舐める仕草だとか、荒々しく髪の毛を掻き上げる時とか、身震いしてしまうほどの色気を放つのだ。


「……やっぱ英は、格好いいなあって」


「何それ。そんなの今に始まったことじゃないじゃん」

「まあそうなんだけどさ、改めて見ると、ね」


どこ見てんの、ヘンタイ。
にやにやと楽しげな笑みを浮かべながら、英は軽い調子で言葉を吐く。もう一口、と彼が水を飲めばまた同じように喉仏が動き、ごくんという音が私にも聞こえた。
瞬間、お腹の奥の方で何かが燃え上がるような気がした。噎せ返るような婀娜っぽさに眩暈がして、隣に座る英に手を伸ばす。


「…………あき、ら」


顔をこちらに向けた彼の肩を押し、私は英の背をベッドに埋めた。馬乗りになって見下ろす私を、英は尚も楽しげに見つめてくる。
月の光を受ける彼の体を指でなぞれば、ぴくりと小さく肩が跳ねた。
その反応が可愛くて、盛り上がった筋肉に指を添わせる。柔らかいような、硬いような弾力のある感触が癖になりそうだ。小一時間前まで私の上に乗っていたたくましい体躯はいまや私の下にあり、主導権を握っているという感覚に背筋を快感が走り抜けた。


「楽しい?葵」


英の問いには答えず、私は斜めに窪んだ筋を撫でる。私とは根本的に造りの違う、男の、身体。何度私を啼かせたわからない、どうしようもなく愛しい人の、身体。
途端背徳感が肌を粟立たせ、私は気が付けば英の皮膚に舌を這わせていた。ぴちゃり、と淫猥な水音が鼓膜を震わせ、体の中で燻っていた熱が一気に私を内側から炙っていく。
英の長い指が、私の髪の毛をくしゃりと混ぜた。微かに息を震わせた英が、私を真正面から見据える。
かわいい、もっと見たい。もっと、もっと。
せり上がってくる感情に歯止めがきかなくなり、やがて私の顔が下に下がっていくと、「ストップ」という声がかかった。


「…………誘ってんの?」


情欲の炎が灯った瞳。
私が頷くか頷かないかという内に、一気に視点が逆転した。私の下にいたはずの英が上にいて、あっという間に組み敷かれる。
降ってきた唇が私のそれを割り、入り込んできた舌は知り尽くした私の良いところをまさぐった。瞬く間に与えられる熱を思い出した体は自然と力を抜いて、後はもう委ねるだけだ。
英の首に腕を回す。肩の後ろの辺りにある、私がつけたばかりの傷を指先で触る。
夜が私達を飲み込んでずぶずぶに溺れていくように、私はひとつ息を吐いた。


深々と純潔




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