short | ナノ




「「あ」」


体育祭の前日ということで、その日は学校が午前で終わった。
私は教室に忘れ物を取りに帰っていた為、校舎内にはほとんど生徒が残っていない。
誰もいない昇降口に立ち、校内にいる生徒は速やかに帰宅しなさい、と放送が流れているのを聞きながら、私は下駄箱から靴を出した。

タン。
軽やかな音を立てて、すのこの上に茶色いローファーが落ちる。
脱いだ上履きの踵を掴んで適当に靴箱へと放り込んだ時、背後で足音がしたのだ。
私以外にも残ってたのか、と何の気なしに振り向くと、想像よりも下にあった瞳と、目が合った。

ワックスか何かで逆立てられた髪の毛と、下ろされた前髪。凛々しい眉と勝ち気そうな目は相変わらずで、人って案外変わらないものなんだな、なんて妙に白けた頭で考える。

相手の方も私と同じように固まっていて、何となく目をそらせなくなった。
ピンポンパンポーン、と校内放送を締めくくるお馴染みのチャイムが鳴り、それでも私たちは動かない。
言おうとした言葉はあった筈なのに、喉の奥に言葉が貼り付いたように何も言えなかった。


久しぶり。
元気だった?


その二言を言えばそれでいいのに、私の喉は完全に職務を放棄して、言語を話す器官としての役目を果たそうとしない。
ボイコットを決め込んでいた喉笛がようやく発したのは、考えていたのとは全く違うものだった。






「……………背、縮んだ?」






数年ぶりにまともに顔を合わせた幼馴染みとの最初の会話は、とりあえず失敗したようだ。














指先の心臓














私の爪先が蹴った小石が、土手を転がり落ちていく。
西谷の押す自転車が砂を潰して、進む度にジャリ、ジャリ、と音をあげる。
どうして、私はこいつと2人で帰っているんだろうか。
つい数分前は親の仇でも見るかのような目で見られていたのに、今隣を歩く西谷は心なしか上機嫌な様子で前を見据えていた。


「葵って確か5組だよな?進学クラスだろ、すげえ」

「いや、まあ言うほどでもないかな」

「そうなのか?」

「うん。だって別にトップ10人に入ってるとかじゃないし」

「へー」

「……」


再び訪れた沈黙に、私は心の中で叫ぶ。
ジーザス、どうかこの状況を何とかしてくれ。
さっきからずっとこんな感じで、キャッチボールにも満たない会話が繰り返されるだけだった。
どっちが悪いとかじゃなくて、仲良くもなんともないのにいきなり2人で帰るのは上級向け過ぎる。
いくら全く知らない奴でないとはいえ、もう4年近くちゃんとした話をしていないのだから。


「……そういや、葵んとこのおばさん元気か?弟は?」

「元気だよ。元気過ぎてうるさいくらい」

「懐かしいなー。最近全然会ってねえけど、俺よりでかくなってたら許さん!」


至極真面目な顔で言い張った西谷に、なにそれ、と思わず笑みが洩れた。

やっと笑った。

そう言ってニカッと晴れやかな笑顔を見せられて、私は何となく息を詰まらせる。
してやられたというか、負けた気がするというか、西谷のペースに呑まれている感満載だ。

笑って、ないよ。

唇を尖らせてから、今の自分がどうしようもなく子供っぽいことに気付いた。
口をもにゅもにゅと動かしてなんとも言えない表情を作ると、それを見た西谷がまた笑う。

小学校の野球チームの練習している声が、遥か後ろの方から聞こえてきた。
昔、弟と私と西谷と3人でよく遊びに来ていた河川敷。砂利を踏む音は、心まで晴れそうな程青い空の向こう側に消えていった。




西谷のお母さんと私のお母さんはとても仲がいい。
だから小さい頃はよく家族ぐるみでご飯に行ったり遊びに行ったりしてた。
だけど、それも小学生まで。
中学に入ってお互い部活が忙しくなると、当たり前のように距離が離れていった。
最後まで同じクラスになることもなく、校内で見かけても何か話す訳でもなく、私と西谷の中学校の思い出にお互いが入り込む事もなく、私達の3年間は静かに幕を引いたのだ。

だから、西谷が烏野に入ったという話を聞いても「へー」くらいにしか思ってなかった。
何となく、また同じクラスにはならないんだろうなと思っていたし、事実1年生も2年生も違うクラスだったからだ。

幼稚園から小学校くらいまでは、本当に仲がよかった。
そういう意味で、私達はきっと幼馴染みではあるんだろう。
だからと言って学校で会ったらちょっと話をするとかいうことは全くなく、気付けば私達は目が合ってもどちらともなく目をそらすようになっていた。


では何故、私は私の高校生活の中に関わる予定皆無だった男と、2人っきりで帰り道を歩いているんだろうか。


「お前、なんか部活入ってる?」


ジョギング中の人やらデート中のカップルやらが山ほどいる土手を歩きながら、西谷が尋ねる。
私の部活を知らない程度の距離なのだ、所詮は。


「一応テニス部。お遊びみたいな部活だけどね」

「あー、そういえば、葵って中学の頃なんかで表彰されてたな!」


西谷が私でさえ忘れかけていた事を覚えていて、密かに驚いた。
これだと私ばっかり忘れっぽいみたいだと思って、記憶を必死に辿る。


「西谷は、バレー部?確かベストナンチャラ賞とってたよね」

「おう!リベロな、リベロ」

「リベロ?」

「守備専門のポジションだ!」


テレビであっていた女子バレーの知識を総動員して、リベロなる人を頭の中で探す。
きっと、一人だけユニフォームの色が違う人の事だろう。


お互いに知っていることを言ったからか、それからは重たい沈黙は訪れず、実に自然な感じで会話が続いた。

昔よくこの土手に来て遊んだよね。うちの近くにあったパン屋さん潰れちゃったんだ。幼稚園の頃にいたサトシ君って覚えてる?

明日になったら忘れてしまいそうな雑談をしているうちに長い土手が終わった。
すぐそこに見える橋を渡れば私の家、西谷の家は橋を渡らず左に行った所にある。


「じゃあ、私こっちだから」


指で右の橋を指して、私は西谷を追い越した。振り返って彼の真正面に立つと、自然と笑顔になる。


「ばいばい、今日は楽しかった。また会ったら声かけてよ」

「……………おう!」


くるりと背を向けて、私は橋に向かって歩き出した。
胸には妙なもやもやが残っていた。
だけど、私はその靄の正体がわからなかった。

後方で、ガシャンと自転車のストッパーを下ろすような音がした。
あれ、西谷自転車に乗らないのかな。
そんなことをぼんやりと考えながら歩いていると、不意に右手を誰かに掴まれた。
反射的に振り向けば、そこにはやっぱり想像より少し低い位置に目がある。
ほんの2、3分前に別れを告げた幼馴染みが、私の手を掴んでいたのだ。


「……ほんとはもうちょっとしてからって思ってたけど、やっぱ無理だわ」


西谷は何かを呟いてから、真っ直ぐに私を見た。
その瞳は何やら強い意志を放っていて、私も目がそらせなくなる。
西谷の薄い唇が、動いた。




「俺、葵の事が好きだ。昔から、ずっと」




西谷の声が空気を揺らして、その振動が鼓膜に伝わる。
じんわりと耳が熱くなっていき、脳が言葉の意味を噛み砕いて理解するまで、かなりの時間がかかった。
西谷は「言いたかっただけだから」と付け足して私の手を放すと何事もなかったかのように体を翻す。
見慣れた学ランが遠ざかっていくのを呆然と見つめながら、私は今しがた捕まれていた手の熱さに驚いていた。

ああ、熱い。
耳も頬も首も腕も指も胸も何もかもが、内側から火で炙られてるかのように熱い。

どくん、どくん、といつもより強く刻む鼓動が、私に尋ねる。

いいのか、返事しなくて。

格好つけるな、私。
すたすたと歩いていく背中に、焦燥感が募っていく。
高校が同じと聞いて、喜んだ気持ちに嘘をつくな。
悟ったふりをして、一緒に帰れた嬉しさに嘘をつくな。
幼い頃からずっとずっと想っていて、だけど叶わない叶うわけがないと諦めていた恋を、ここで投げ出そうとするな。
今呼び止めれば、叶うのに。

見えない何かに思いきり背中を押されて、私は橋に駆け寄った。
西谷は今丁度自転車に跨がって、漕ごうとしている。
私はその姿に向かって、全力で叫んだ。




「西谷ァーーーっ」




西谷が振り返って、ジョギング中の知らない人もついでに振り返る。
構うもんか。私は満面の笑みを作ってから、次の言葉を言おうと大きく息を吸った。


とりあえず、前みたいに夕って呼ぶところから始めよう。




さあ、君はどんな顔をするだろうか。



『わたしも』



 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
匿名様、リクエストありがとうございました。

[ back ]

×