short | ナノ




最近妙に彼女の事が気になる理由。



1.廊下ですれ違うとかなりの確率で目が合うような気がするから



「赤葦、次教室移動な」

「おー」


2限目の授業が終わり使用した教材をロッカーにしまっていると、後ろからクラスメイトに声をかけられた。
確か次は第二理科室に移動だ。
早く出ろー、と戸締まりの準備をした学年主任に急かされて、皆談笑したまま教室から出ていく。
クラスで仲の良い男子生徒に昨日の夜のテレビがどうとかと話題を振られて何となく頷きながら、俺は流れに逆らわず教室のドアから吐き出された。

廊下の窓から校内に入ってくる風はもう秋のそれで、肌寒く感じられる。
まだ気が早い気もするが中庭の木々の先の方は既に色がつき始めていて、すっかり秋だな、と変に感心した。
どこかぼんやりとした曖昧な色の空から目線を外し友人の話に相槌を打つと、前から歩いてきた女子生徒と不意に目が合う。


「あ…………」

「……………」


一瞬驚いたように目を丸くした彼女につられて俺も息をのみ、何か言った方がいいのかと言葉を探した。


「葵ー?早く行かないと」

「あ、うん」


会釈の1つでもすればよかったのか。
葵と呼ばれた女子は友達に呼ばれてスッと俺から視線を外した。
ジャージ姿のところを見ると、これから体育なのだろう。
少しだぶついた上着を羽織った後ろ姿を見つめれば「赤葦置いていくぞ」とさっきの彼女のような事を言われ、小さく謝って前を向く。

お互い何も言わずに見つめ合う数秒が偶然か必然か、俺はまだ図りかねていた。


2年4組の『葵』。
俺は度々目の合う少女について、たったこれだけの情報しか持ち合わせていない。

肩にかかるかかからないか程度のふんわりとしたボブカットを揺らして、薄紅色の頬にえくぼを刻む、それが彼女の印象だ。
顔はわかっているのだから4組の知り合いに聞けば一発でフルネームと性格がわかるんだろうけど、そうする気にはなれなかった。
何故だかわからないけど、あまり他人から『葵』さんの話を聞きたくないなと思う自分がいた。



2.すれ違った時に感じるのがとても好みの香りだったから



葵さんの隣を通り過ぎると、いつも同じ香りがする。
鼻孔をくすぐるのは確かに甘い匂いなのに、けして甘ったるいわけではない、ほのかに鼻につく位の微かなものだ。
シャンプーの匂いなのかそれとも彼女自身の香りなのかは判断がつかないが、その心地よい香りが俺は密かに好きだったりする。


「4組のあの子のつけてる香水?か何かってさ、この間お前がいい匂いだって言ってたやつだよな」

「………多分ね」


彼女からその香りがしたのが先か、俺が言ったのが先か。
願わくば俺の話を聞いてつけてくれていたらいいのに、なんて。



3.菜の花の咲いた花壇の傍がどうしようもなく似合うような気がしたから



掃除当番が回ってきた週の事だった。
いっぱいになった2Lのごみ袋を二つ抱え、中庭を横断して捨てにいこうと階段横のドアを開ける。
途端に入り込んで来たのはカーディガンを着始めた人間が多いのも頷ける冷気で、朝の気象予報で今日は午後にかけて冷え込むと言っていたのを思い出した。

俺もそろそろ冬服にしようかと考えていた時、ふと視界に鮮やかな色が映る。
蛍光色ではない、暖かみのある黄色いカーディガン。
花壇の脇に屈んで背中を丸めているその先には見慣れたボブカットが揺れていて、思わず足を止めた。


「あの花この花なーんの花ー♪そーう、それが菜の花よー♪」


恐らく自作と思われる歌を口ずさみ、リズミカルに雑草を抜いている姿に、気が付くと笑いを噛み殺していた。
音楽にノリつつその合間にぶちぶちと雑草の抜ける音が混じり、一つの演奏になっている。
本人は全く周りを見ていないらしく、俺が必死に笑い声をあげないようにしていることに気付く素振りもなかった。


「さっけー咲け咲けわれーらがー菜の花レンジャー♪」


じゃんっ!と綺麗に歌が終わり、後ろ姿は満足そうに伸びをする。
美化委員なのだろうか。じゃなかったらこの時間に一人で花壇の整備なんてしないはずだ。

菜の花みたいな色のカーディガンだな、と思った。
記憶を辿ってみると確か春はその花壇いっぱいに菜の花が咲いていた気がする。
華やかな黄色に囲まれて笑う彼女の姿を想像して、きっと似合うだろうな、なんて考えている自分に我に返って、俺は遠回りをしてごみ置き場へ向かった。



「―――葵、あんたここにいたの」

「…この菜の花、早く育たないかな」

「まだまだだよ。春先まで待ちなさい」

「たくさん育ったらさ、おひたし用にちょっとだけ貰えないかなあ」

「は?おひたし?」



4.彼女の体は想像よりももっとずっと小さくて軽くて、女の子なんだなと思わされてしまうから



葵さんはあまり前を見ていない。
前というか足元を見ていないようで、しょっちゅう躓いたり転んだりしている場面に遭遇する。
照れ隠しにはにかんだ彼女と目が合うと流石に恥ずかしいのか耳まで真っ赤にして顔を伏せるのだ。
そういう反応をされるとよからぬ勘違いをしてしまいそうになるから、出来ればやめてほしかったりする。

―――こんなにも淡い感情を、世間一般では恋と言うのだろうか。
付き合いたいとかそういうのじゃなくて、純粋に気になっているだけの、曖昧でもやもやとした不思議な感情を。
廊下で会ったら何となく目があって、中庭で見かけたら何となく気になって、ふとした瞬間何をしているんだろうと考えている、淡くて、儚くて、シャボン玉のように触ったら弾けてしまいそうな、感情を。

人は恋と、呼ぶのだろうか。


「えっ……わっ」

「え」


階段の踊り場で曲がったら、すぐそこに葵さんがいた。
彼女は7段目くらいから降りてきていて、俺は1段目に足をかけたところだ。
急に目の前に現れ至近距離で視線が絡まり、反射的に足を引いてしまう。
それは葵さんも同じだったようだけど、彼女の場合は階段の途中。小さな上履きががくんと段を踏み外して、その小柄な体躯は前のめりに――つまり俺の方に倒れてきた。

咄嗟に出した腕にすっぽりと収まった体を受け止めるとそのまま後ろに倒れ、俺は盛大な尻餅をつく。


「痛って……大丈夫?」

「う、うん大丈夫……です…」


ばちん、と。
片膝立てられた足の間にいる葵さんがもぞもぞと動いて顔を上げた拍子に、今度はさっきよりもはっきり目が合う。
睫毛長いな、とか色白いな、とかそういうのの前に、今までよりも一番強く香ったいつもの匂いに心臓がどくんと高鳴って止まるような気がした。

しばし見つめあったまま停止していた時間を破ったのは彼女だ。
弾かれるように立ち上がったかと思うとパニック気味に「あっ、あああありがとう!」と叫んでわたわたと階段をかけ降りていく。
それから一瞬遅れて、俺は体勢を起こした。


――5.友達と話していた好きな歌手で、今まで知っている人に会ったことがないマイナーなバンドの名前をあげていたから


教科書を胸の前に抱えて脱兎の如く走り去っていく黄色い背中を、俺は頭で考える間もなく追っていた。
追い付いたら何を言おうとかそういうのは全部吹っ飛んでいて、ただひたすらに階段を降りていく。


――6.自動販売機の一番上に果敢に挑戦して背伸びをしている姿を見てしまったから


かなりの猛スピードの葵さんを眼前にとらえたまま、考えた。
この人あんまり急いだら落ちるんじゃないか。
そう思ったのも束の間、またしても彼女の重心は唐突にずれて、空中に体が投げ出されそうになる。


――7.いつか見た、パンを口いっぱいに詰めた顔がリスみたいで忘れられないから


一歩強く踏み込んで教科書を手放した後ろ手を掴み力任せに引き寄せると、いとも簡単にその体は数段を飛び越えた。
既視感と共に、腕に伝わってくる温かさと柔らかさに驚く。


――8.教室から見えた体育の授業でのバレーで見事な顔面レシーブをきめていたから


彼女がゆっくりと振り返ると髪の毛がふわりと靡き、甘い香りが目の前でふりまかれた。
色素の薄い綺麗な瞳に魅入ってしまっていると、葵さんはみるみるうちに赤くなっていく。
ゆでダコのように顔を赤くした彼女からは湯気が出ているようだった。


――9.すぐに顔が赤くなったり表情がコロコロ変わるので見てて飽きないから


なにか言おうと口を開く。
いざとなったら喉の奥が貼り付いたみたいに乾いていて、声が出ない。

なんて言えばいいのか。なんて言えば伝わるのか。正解は誰にもわからない。

わからない、けど。



――10.彼女に漠然と抱いていた、



「……………葵、さん」


掴んだ手首は離さずに、真っ直ぐ彼女の目を見たまま。



――純粋で密やかで甘くて朧気なこの感情を、



「俺、赤葦京治って言い、ます」


よくよく考えてみれば、これが初めてのまともな会話かも知れない。
俺がいつも見ていたのは、俺以外のどこかを見ている、彼女の姿だったのだから。



――どうやら彼女の方も、



「いきなりなんですけど」


知っているようで知らない、知らない筈でも知っている、友達未満の半端な関係を終わらせよう。
何だかんだ言って自分を納得させるのをやめて、もう一歩踏み出そう。


――抱いてくれているようだから


「自惚れてもいいですか」


俺が貴方を気になっているように、貴方も俺が気になっているって。

じゃないと目、合わないですよね?



oneday様提出


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