ソーダ味のアイスがじりじりと太陽の光に灼かれて、滑り台の一番上からぽたりと地面に落ちた。
手に垂れてきた雫を慌ててなめとり、落ちないようにそっと立ち上がる。
対象年齢12歳と書かれた注意書のシールは無視して、明らかに高校生が立つには狭いスペースで仁王立ちをした。
柵は私の腰くらいまでしかなくて、バランスを崩したらそのまま下にまっ逆さまじゃないだろうか。
「…及川先輩、まーた違う彼女連れてた」
低い柵に少しだけ体重をかけて、斜め下にいる国見に向かって愚痴を溢す。
ブランコに座って不機嫌そうに揺れている国見はアイスチョコバーを一口食べると、その気だるげな瞳を私に向けた。
「だから?」
「あの人の彼女になるのって、案外簡単なのかなって」
「…そんなことないんじゃない?及川さんが付き合うの、大体ふわふわの可愛い系だけだし」
「何が言いたいのさ」
「河野じゃ無理って話」
淡々と言いやがった国見を見下ろしながら、私は大きく溜め息を吐く。
油断したらすぐに溶け落ちてくるアイスに注意して、また一口かじった。
そんなことは、言われなくたってわかってるっつーの。
「……ねー国見ー、あんた私に良い男紹介してよー」
「なんで俺が紹介してやんなきゃなんないの」
「腐れ縁のよしみでさ」
「そんな縁頼んなよ」
「やっぱいいや、及川先輩がいいもん」
及川せんぱーい、と空に向かって呟いてみてもそこには勿論真っ青な世界が広がっているだけで、私の視線はぼんやりと宙をさ迷う。
日差しが眩しい月曜日の真っ昼間、蝉が喧しく鳴いてる近所の公園には私と国見しかいなかった。
教師たちの会議があるとか何とかで、今日は午前授業だったのだ。
白い雲がぽつぽつとできた空に爽やかな笑顔の及川先輩を浮かべて、隣に『Fin』って格好良いフォントで入れたら完全に最終回だな、なんてしょうもないことを考える。
視界の端の方で動いた国見を見れば、彼はさして美味しそうでもない様子でアイスバーを口に入れた。
味覚オンチの恋の味
及川先輩は中学の頃からずっと憧れだった。
イケメンで、背が高くて、バレーがうまくて、イケメンで、女の子に優しくて、でもちょっと抜けてて、たまに黒くて、イケメンで、イケメンで、イケメンでイケメンでイケメン。
イケメンのゲシュタルト崩壊を起こすくらいには私は及川先輩の事をイケメンと言っている。
そして多分、その話に毎回付き合わせている腐れ縁の国見もゲシュタルト崩壊を起こしているけど、そんなん知ったこっちゃない。
「河野ってさ、及川さんの事イケメンイケメン言ってるけど、別に告白しようとかしないよね」
「片想いこじらせすぎちゃって、話しかけるタイミング掴めないの」
北川第一時代から及川先輩とは顔見知りだ。あくまで『国見の仲良し』みたいなくくりでだけど。
だからこいつと一緒にいると、及川先輩から声をかけられる事が多い。
不意に現れてもイケメンは健在だから、及川先輩はきっと寝起きドッキリを仕掛けられてもバンジージャンプをしても顔面パイをされても珍獣をハンターしに行っても、いつだって変わらずにイケメンなんだろうなんて思った。
「……アイス終わったから帰ってもいい?」
今日の帰り、アイス奢ってあげるから私の愚痴聞いてよ。
HRが終わった教室で私が放った言葉を思い出し、ゴミを袋に入れる国見を見た。
ブランコに座ったままこめかみの辺りの汗を拭った彼に、ほぼ溶けているアイスを大口で入れたのちに非難の意を表す。
「待ってよー。あーあ、ここに居るのが国見じゃなくて及川先輩だったらいいのに」
「じゃあ俺呼ぶなよ。あとパンツ見えてる」
「減るもんじゃないしいいよ。…だって国見しか話せる人いないし」
滑り台の一番上に立っているんだから、パンツの一つや二つ見えたって仕方がない。
国見は特に照れるわけでも狼狽えるわけでもなく、「あっそ」と呟いてブランコを揺らした。
BGMとして耳に馴染み始めた蝉の鳴き声に混ざって、キィ、と金属の擦れる音がする。
最後の一口になったほぼ液状のアイスを舐めとりバーを見ると、そこには茶色く『あたり』と印字されていた。
気温やら体温やらでぬるくなったアイスの雫が手のひらに着いてべたべたしていたので、どうしようかと一瞬迷ってから舐める。爽やかさからかけ離れた甘ったるさが舌をついた。
「なんで河野はいちいちエロいの」
「は?えろくないでしょ」
「………自覚ないのがタチ悪いんだよな」
自分の膝に頬杖をついてつまらなそうに私を見上げていた国見が、何の感情も籠ってなさそうな瞳で私を見る。
「あ、見てこれ当たったんだ」
「……中学の頃から口を開けば及川先輩及川先輩、ずっと隣に居たのは誰だと思ってんだよほんと。そもそも俺はあの人みたく彼女ころころ変わった事とかないしてか彼女作ってもないし」
「…く、国見さーん?」
内容はよく聞こえないけれど、国見が私の方をじっと見つめて何やらぶつぶつと言い始めた。
何この人怖すぎるんだけど。
当たりも出たことだしもう一度コンビニに行って交換してもらおうかな、と滑り台に座って降りようとすると、国見がブランコから離れた。
もしかして一緒に行ってくれるのかな、と国見を見れば、私に近付いてくる。
そして、滑り台の下に座った。
しかも私の真正面の向きで。
「国見、そこに居られたら降りらんない」
「…………」
「なに、無視?無視なの国見さん」
ただただ私を見つめる国見にもう何を言っても無駄だと判断し、滑り降りるモーションに入る。
横の幅が結構狭いので、どうしても膝を立てなくちゃいけないからぶっちゃけ国見にはパンツ丸見えだろうけど、前に座る奴が悪い。
スカートをお尻の下に敷いて滑り始めると、ざらざらとした砂の感触が直に伝わってきた。
私が降りていっても国見は避ける素振りも見せず、私からは絶対避けてやらないといい無駄な対抗心が生まれた。
全体の半分くらいまで滑った所で、妙に焦点のぼんやりした目の国見が、ふと口を開いた。
「………俺さ、ずっと河野の事好きなんだけど」
「え?」
唐突なカミングアウトに、反射的に左右の持ち手をつかむ。キキーッと嫌な音が鳴り、私の体が止まる。
いや、今この男なんて言ったの?
「あんま笑わないし口悪いし女子力のじょの字もないし気遣いとか皆無だし優しさの欠片もないけど」
なんでこんなに好きなんだろうな。
………いやいやいや、そんなん私に聞かれましても。
「告白される度に部活だ勉強だって断ってたけど、実際違うから。俺が可愛い彼女つくるチャンスを自ら潰して一途に想ってんのに、当の本人は及川先輩及川先輩とかほんとなんなの。好きとか一周回ってむかついてきた」
「…えーと……ドッキリ?」
「120%ガチだよばーか」
真っ直ぐに見つめられると、身動きが取れなくなる。
いや、でも、待って、え、国見が、私の事を、好き?
目をそらしたいのにそらせない。逃げたいのに逃げられない。
突然の出来事に頭がついていかなくて、いつも気だるげな瞳は不思議な引力で私を引き付けて、お互いが黙りこむ。
「あと、パンツ見えてるから」
「ーーーーーっ?!」
ビシッと指を差されて、何故だか急に恥ずかしくなった。
さっきまでは何とも思わなかったのに、彼の好意が自分にあると知った途端、顔中に血液が集まるような感覚に襲われる。というか多分今の私の顔は真っ赤だ。
スカートの前を両手で押さえ込むと、今度は体を支えていたものがなくなり私の体はゆるやかに滑り台を滑っていく。
止めたらパンツが見える、でもこのままじゃ国見にぶつかる、ああどうしようと迷う間もなく私の身体は国見によって止められた。
膝を軽く立てて開いた国見の足の間に、私がすっぽりと収まる。
やばいこれ、完璧に捕まった。
「……いい加減さ、及川さん諦めて俺のものになればいいのに」
更に近くなった声に至近距離で囁かれて、耳の縁まで紅く染まる。
怒ったような、すねたような、それでいて艶っぽくて蠱惑的な低音が私の鼓膜を甘く揺らす。
何か言わなきゃと頭ではわかっていても何を言えばいいのかという答えは出ずに、酸素不足の金魚みたくただ口をぱくぱくと開閉させた。
そんな私を面白そうに見ていた国見は喉の奥でクスクスと笑いながら、「そういうところ」と呟く。
「普段は私クールです、って感じなのに、照れて真っ赤になるところとか、無防備なのに無駄にえろいところとか、ほんとお前は男キラーだな」
「…っ、…素だっつーの!」
「あ、あとすぐムキになる」
ついでに生殺しの天才、と付け足して、国見は私の手を取った。
何をされるのかと思わず身構えると私の右手は国見の口元に実に自然な仕草で寄せられる。
赤い舌がちろりと覗き国見のしようとしていることに気付いた頃には時既に遅し。
私の右の手のひらは、国見によってべろりと舐められた。
「……んっ」
自分の皮膚を他人に舐められるというのは未知の経験で、柔らかくざらついた舌がゆっくりと動く度に変な感じがする。
長い睫毛を伏せて見せつけるように私の手を舐めた国見は、私を見ると揶揄するように言った。
「……ほらまた、えろい顔」
「く、国見のせいだって」
「俺のせいでえろい顔してんの?何それ興奮するね」
「勝手にしてろ万年発情期!」
掴まれた右手を振りほどいて自分の胸の前に寄せると、じゃあ遠慮なく、と恐ろしい宣言が聞こえた。
ぐい、と顎を掬われて、は、とかえ、とか間抜けな声を出してしまって、その声すらも飲み込まれる。
気が付いた時には国見の睫毛と白くて綺麗な肌が目の前にあって、口の中で動く自分以外の何かを感じてから、私はようやくキスされていることを知った。
「……んーっ、…ふ、……くにっ…んん……」
息がうまく吸えない。
恥ずかしさと息苦しさとで脳みそが真っ白になって、口腔内を無遠慮に動く国見の舌にしか意識が向かなくなる。
国見のキスは驚くほどに容赦がなく、私の腕がギブアップを6回した辺りでようやく唇が離れた。
「国見のばか、唇が腫れる」
「元々薄いんだからちょうど良いだろ」
「そういう問題じゃない!」
てなわけで、俺の気持ちだから。
言いたいことは全て言ったと満足気に立ち上がった国見が、もう遠慮はしないからなと恐ろしい宣告をする。
「………国見」
「なに」
「……………手を、貸してください」
赤面しているのは重々承知の上、国見の顔を見ないように右手を伸ばすと、いとも簡単に引っ張りあげられた。
体が密着して、腰に手を回される。
そうやって支えてもらわないと、膝から崩れて座り込んでしまいそうだから。
「なに、今のキスだけで腰抜けたの?」
「…ち、力が入んないだけ」
「河野ってよくわかんない所で純粋だから、ほんと困る」
生まれたての小鹿のように足をがくがくと震わせる私を心底愉快そうに見て、国見が腰を抱く手に力を込めた。
こうしてみると意外にも目線は高いところにあって、柄にもなくドキドキしてしまう。というか伝わってるに違いない。
「あー!!あそこの高校生、昼間っから抱き合ってる!えっろー!!」
公園の前を通りかかった小学生らしき男児が、私達を指差して大声で叫んだ。
それを聞いた周りの小学生まで「ほんとだ!」「いちゃついてるぞ!」「キスしろよ!」「キース!キース!」と騒ぎ立てるものだから、キスコールが手拍子と共に響き始める。
「リクエストあるよ、する?」
「しねーよ」
「ふーん。まあ俺はするけど」
ちゅ、と軽いリップ音と唇に触れた柔らかい感触。ひゅーひゅー、囃し立てる声と歓声は更に大きくなって、私はバカじゃないのと国見を見上げた。
いいじゃん見せてやれば、と飄々と言い放つ涼しげな横顔を見て、
もしかしたら私は大分前からこいつに捕らわれていたのかもしれない、なんて。
それは、自分でも気が付かなかった恋のお話。
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