純情シャングリラ | ナノ




温かくて柔らかいものに包まれた感覚の中、俺はまだ重たい瞼を開けた。

あれ、おかしい。
目を開いた筈なのに未だ視界は暗く、おまけに心なしか息苦しかった。
背中には何やら細いものが回されていて動き辛かったので、もぞもぞと体を後退させる。

ようやく酸素を体に取り入れ伸びと共に目を開けると、すぐ近くに葵の顔があった。


「うおっ」


そのあまりの近さに反射的に声が出てしまい、慌てて手で口を押さえる。

確か今日の朝方まで葵と二人でゲームをしていた。そこまでは覚えてる。
で、そのあとは、力尽きて寝た。
さっきの体勢を考えると、こいつはきっと俺を抱き枕のようにして寝ていたんだろう。
何センチかしか変わらないくせに、葵はいつまでも俺の事を弟扱いだ。


「…………待てよ」


ということは、起きた時に俺の顔を包んでいたのは、今も視界の端にちらちら映っている葵の胸ということに……


「――――――っ!!」


途端顔に血液が集まるのがわかった。
バッと跳ね起き、すやすやと寝息を立てる葵の横で頭を抱える。

俺が体を起こした衝撃で目を覚ましてしまったのか、瞳を閉じたままの葵が仰向けになった。


「ん、ぅ……ん………」


妙に艶かしい吐息が漏れ、不意に心臓が止まるような衝撃が体を貫く。
訳も分からないまま喉がゴクリと唾を飲み込み、知らず知らずのうちに息を止めていた。

やや乱れた、淡い色合いのショートカット。隙間から見えるうなじはやけに白く見え、少し小さいらしい俺のTシャツからは折れそうに細い腕と華奢な鎖骨が覗いている。
あどけない寝顔を見ていると無意識の内に手を伸ばしてしまっていて、気が付いたら俺は葵の髪の毛に自分の指を絡めていた。
窓の外から射し込む光を受け、色素の薄い髪は美しく輝く。
永遠に触っていたくなる程柔らかい髪の毛を弄っていると、ふんわりとした甘い匂いが鼻をついた。


「ん……」


葵がみじろぐ度に香るのは、こいつ自身の匂いか、それともシャンプーの匂いか。
同じ石鹸を使ったのに、男女でこうも違うものなんだな…。
変な所に感心していると、ふと視界に「巨」の文字が入ってきた。
柔らかく押し上げられたTシャツの布地にプリントされた文字は歪んでいて、何の線も見えないってことは、


「………ノーブラ…」


いや、いくら俺と葵が昔からの幼馴染みで家族同然に育ったとはいえ、無防備過ぎるだろ。

だけどこいつがここまで気を許すのは俺だけだと思えば優越感もあって、何とも言えない複雑な気持ちになる。


「ちょっとは意識しろよバーカ」


囁くように呟いてから気恥ずかしくなって笑い、枕元の時計を見た。
正午過ぎを指した針を見てから、壁掛けのカレンダーを確認する。

部活……開始まであと30分。


「や、やべえ!!」


葵を起こさないようにそっとベッドから降りて、超特急でジャージに着替える。
荷物をつめた鞄を速攻で肩に担ぎ部屋を出かけてから、思い至って葵の傍に寄った。

まだ眠っている事を確認してから一瞬迷って、ニキビ1つない頬にキスをする。

ん、ともれた声に恐る恐る葵の表情を見て、安堵の息を吐いた。

この幸せが幼馴染みだからこそのものでも、仮初めのものでも。


「……行ってくるぜ!!」


いつか、いつか毎日この寝顔を見れたら、なんて考えながら、俺は部屋のドアを開けた。










熟睡シャングリラ










「セ――――――――フッッ!」


集合時間1分前に体育館に滑り込むと、他の部員は全員揃って準備を終えていた。


「ノヤっさん、遅かったな」

「いや、寝坊しちまった」


とっくにアップを済ませた龍がボールをつきながら近付いてきて、不思議そうに首をひねる。
午後からの部活に寝坊?とでも言いたげな顔で。


「西谷ー、さっさと準備しろ」

「あ、うス!」


柔軟をしている大地さんに声をかけられ、荷物を脇に置く。
翔陽と影山はまた何か言い争っていて、旭さんは武ちゃんと話していた。


「あ、西谷さん!ちーっす!」

「ちす」

「おう!今日も元気だな翔陽!!」


口論をしていた変人コンビの挨拶に応えると、翔陽が俺の顔を見て「あれ?」といった。


「西谷さん…良いことありました?」


――こいつ、意外に鋭い。


「まあ、ちょっとな」


言葉を濁して屈み柔軟を始めると、体育館にはボールが弾む音がし始める。
体に伝わる振動にうずうずしながら、天井を見上げた。

熱い熱い夏は、まだ始まったばかりだ。


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