純情シャングリラ | ナノ




次の時間が移動教室だったので、昼休憩の間に廊下に出る。
同じクラスの友達数人と喋りながら歩いていると、前の方に見知った背中が見えた。

ピンと伸びた背筋、艶やかな黒髪、凛とした佇まい。

隣の子に先に行っててと伝えて彼女の所に小走りで行き、その肩を軽く叩く。


「潔ちゃん!」


華奢な体がぴくんと跳ね、潔ちゃんが振り返った。清水潔子。クールビューティという言葉がよく似合う、べっぴんさんだ。
眼鏡の向こうの瞳は大きく開かれていたけど、私の顔を見るなりほっと緩む。


「葵!なんか久しぶり」

「ねー!最近全然喋ってなかったから、後ろ姿見て追いかけてきちゃった」


提出、と書かれたプリントの束を胸に抱えているところを見ると、職員室にでも行くつもりだったのかな。


「葵はどうなの、マネージャー」


窓の枠に腕を預けて、涼しい風をからだいっぱいに受けながら、私はうーんと首をひねった。


「まあ、正直そんな強豪とかじゃないしね、うち。そっちは?」


私はバスケ部のマネージャーで、潔ちゃんはバレーボール部のマネージャーだ。
2年生の頃は同じクラスで同じマネージャーという立場だったから、クラスが離れた今でも仲良くしている。

強風に煽られてなびく髪を押さえて、潔ちゃんはそっかと呟いた。
よくある日常風景ですら、美人がいるだけでこうも華やいで見えるものなのか。

長い睫毛をぱちぱちと伏せたり上げたりしながら、潔ちゃんは窓の外を見ながら言った。


「うちは…………」


遠くを見るような眼差しに、言っちゃいけない事を言ってしまったのかと思った。

烏野のバレー部は、少し前まで全国レベルの強豪と言われていたらしいけど、今はもう違うと聞いたことがある。

人一倍責任感のある子だから、もし今の私の言葉が傷付けてしまっていたら……。

慌てて潔ちゃんを制そうと口を開いた。


その瞬間、一際強い風が吹いて、真っ直ぐで綺麗な潔ちゃんの髪の毛を舞い上がらせて――――。




「すごく、強いんだと思う」




やや青みがかった瞳は不思議な引力を持っていて、彼女の放つオーラに思わず息を飲んだ。
自信、というか。
きっと彼らの事を、バレー部のメンバーを心から信頼している事が容易く窺えた。


やっぱり、そうだ。

潔ちゃんは、いつも私の一歩先を行っていて、私がどれだけ追いかけても逃げても一生縮まない距離がそこにある。


休み時間5分前のチャイムが鳴って、私と潔ちゃんは我に返って顔を見合わせた。


「じゃあね、葵。久し振りに話せて楽しかった」

「私も。次は潔ちゃんから声かけてよ」


うん、とはにかむ彼女につられて、私も口角を上げる。
手を振った潔ちゃんが私に背を向け、私も次の教室に向かって駆け足で進み始めた。

潔ちゃんに向けた笑顔は薄皮がはがれるようにほどけていき、やがて無表情になる。


お腹の奥の方でどろどろと渦巻く黒くて嫌なものを隠したまま、私はまた笑顔を作った。


「すいませーん、遅れました!」


照れ隠しのように頭をかくと、担当の先生はしょうがないな、と肩をすくめ、私の遅刻をチャラにしてくれる。

―――優等生って、便利だな。



作り笑いの仮面の下に、どんな醜い表情があるのか、誰も知らない。

知られては、いけない。










夕飯シャングリラ










「お邪魔しまーす」


幾度となく来ているお隣の西谷家の玄関に靴を揃え、リビングに入る。

テーブルの上にはもうご飯が並べられていて、台所からおばさんが歓迎の意を示してくれた。


「いらっしゃい葵ちゃん」

「ごめんねおばさん。今日と明日よろしくお願いします」

「なあに、二人前も三人前も大して変わらないんだから」


遠慮なんてしなくていいの、と笑うおばさんに麦茶をついでもらい、一気飲みする。
今夜は熱帯夜らしい。


「あれ、夕は?」


いつもなら聞こえるはずの騒ぎ声がないことに気付いて、辺りを見回した。


「ああ、今お風呂に入ってんのよ。多分もうすぐ出てく……」

「母さん!!葵来たか?!」


ダダダダッというダッシュ音が廊下からして、リビングのドアが勢いよく開く。

ほくほくと体から湯気を立たせた夕はタオルを首にかけ、Tシャツに中学の頃のジャージという完全寝間着スタイルだった。

胸元にでかでかと書かれた『うどの大木』という文字にはあえて触れないでおく。


「やほ、夕。お邪魔してるよ」


お風呂上がりの夕の髪の毛はぺたんと座っていて、丸い頭の彼が密かにお気に入りだったりするのは秘密だ。


「葵、飯が終わったら見せたいものがあるんだ!」


目をキラキラと輝かせながら食卓に着いた夕と私の間に、メインのおかずとおぼしき大きなお皿が置かれる。


「夕、アンタ嬉しいのはわかったから、ちゃっちゃと夕飯食べなさい」

「おう、そうだな」


テンションが上がりすぎていたのを自覚したのか、少し照れ臭そうに頬を掻いて、夕はニカッと晴れやかな笑みを浮かべた。


「「いっただっきまーす!!」」



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