純情シャングリラ | ナノ



※大学生、同棲してます。
※西谷も田中も東京の大学設定です。


テーブルの上に置いていたスマホが着信に震えたのは、ちょうど日付が変わった頃だった。
明後日提出の課題をやっていた手を一度止めて、スマホに手を伸ばす。大きく表示された時間の下には西谷夕の文字が出ており、もう終わったのかなと赤い確認ボタンをタップした。


『あ、もしもし、葵さんッスか?』


しかし出たのは今日サークルの飲み会に行っている筈の夕ではなく、どこか聞き覚えのある他人の声だった。どうやらあの坊主くんらしい。確か夕の話では、現在同じ大学で同じバレーサークルに入っていると言っていた。


「そうだけど、どうしたの?」

『ああいや、ノヤっさんが今大変な事になってて……』


焦ったというか困った様子の龍くんの声に、私は首を傾げる。大変なこと、とは。

電話越しの向こう側はかなり騒がしく、どうやら皆相当テンションが上がっているようだ。夕もとても楽しみにしていたから、きっと大いに盛り上がったのだろう。
しかし私に電話を寄越した龍くんの声色はそうでもないようで、時折『おいノヤっさん!』と狼狽する声が聞こえる。


『すみません、ノヤっさん潰されちまったから、俺が届けに行っていいッスか』


龍くんの言葉を聞いて、私はああと頷いた。なるほど、通りで夕の携帯から夕が掛けてこないわけだ。本人は恐らく龍くんの隣で寝ているかぐったりしているに違いない。

あのバカ、と声には出さないが心の中でひっそりとため息をつく。
夕はあまりお酒に強くないことは知っていた。今では私の背を越したとは言え、まだ同年代の男子に比べたら小柄な方だ。遺伝とかそういうのもあるだろうけど、酔いが回るのも早いのだろうか。
だからこそ今日飲みに行くと言われた時に「気を付けてよ」と注意しておいたのだが、案の定聞いてなかったようだ。

私の呆れた様子を感じ取ったのか、弁解するように龍くんが言った。


『あ、いや、ノヤっさんは悪くないんですけど、なんかちょっと先輩に飲まされちまったみたいで』

「あー、ごめんね夕が」


ノリのいい夕のことだ、もっと飲めよと先輩に言われてしまったら笑顔で飲んだとしか思えない。確かに彼だけを責めるのは可哀想だ。
いえ大丈夫ッス!と元気な返事をした龍くんはハキハキと喋っている所をみると、大分酒には強いのかな。そういやお姉さんがかなりの酒豪だった、と夕から聞いた話を思い出す。
龍くん曰く完全に潰れてるみたいで、歩けないとのことだ。悪いけど、と前置きした後で住所を告げると快い返答が返ってくる。家まで夕を届けてもらおう。


「ごめんね、よろしく」

『了解ッス!あ、あと……』


龍くんが少しばかり言いにくそうに放った言葉に私は一瞬黙り、それから笑って誤魔化した。












酩酊シャングリラ












ピンポーン、とチャイムが鳴る。電話から二十分ほどしか経っていない。うちから思いの外近い所で飲んでいたのか。
玄関のドアを開けると懐かしい坊主頭と、肩を借りてしなだれかかるような体勢の夕がいた。龍くんが頬を軽く叩いて「おい、ノヤっさん!」と声をかけてくれているが、はっきりとした返事ができていない。


「ありがとね、龍くん。あとはこっちでなんとかするよ」

「うス……じゃあ、おやすみなさい」

「うん、おやすみー」


龍くんを見送って、今度は私の肩に正面から寄っ掛かる夕を見る。無駄に図体がでかくなりやがって、と高校生の頃には全く考えられなかった感想を持って、どうにか起こそうと背中を叩いた。


「夕ー、夕さーん起ーきーてー」

「……んー…………」


ずっしりと来る重みは中々につらい。この夕を連れて来てくれた龍くんはさぞ大変だったと思うけど、そこは現役のバレー選手、私とは筋力も体力も違うらしい。
小さい子供のようにむずがる夕が、低く唸りながら私の肩口にぐりぐりと頭を押し付ける。逆立った髪の毛が頬に当たるのがチクチクしてくすぐったい。


「夕?とりあえずソファまで行こ」

「…葵……」

「はいはい、なに」

「………あー………」


話の通じない夕を無理矢理動かし、ずりずりと引き摺るようにリビングまで連れていく。こんなに酔っている夕を見るのは初めてだ。というかもう半分意識が無いようで、ともすれば寝息が聞こえて来そうな勢いである。
ソファに寝かせたら、まず水を飲ませよう。多分ベッドには行けないだろうから、毛布をかけて朝まで寝かせればいっか。
今日は休日だし、起きるのは昼頃になっても問題はない。

夕の腰に両腕を回し、抱き抱えるようにしてもそもそと移動をする。
これなら、龍くんの言った通りにはならないかな。
少しだけ安心してどうにかこうにかソファの前まで連れてくると、夕に座るよう言った。だけど夕は私の首筋に顔を埋めたまま、微動だにしない。


「夕、夕、ほら座って。今水持ってきてあげるから」

「ん……やだ…」

「やだじゃないの。葵さん夕が重くて潰れるよ」


ぽんぽんとあやせば、夕はようやく体を離した。ずっしりかかっていた重さがふと消え、目をとろんとさせた夕は半ば眠っている。その子供みたいな仕草が可愛くて、いい子いい子するように頭を撫でた。
すとん、と重力に負けるかの如く夕がソファに座る。水を取ってこようと背を向けた時、後ろ手をがっしりと掴まれた。振り返ると強く腕を引かれ、私はそのまま夕の方に倒れ込む。


「―――っ!」


ちゅ、と一瞬唇が重ねられ、顔中に血液がカッと上るのがわかった。満足げに笑った夕に何も言えず、慌ててキッチンに向かう。
食器棚から夕の分のグラスを取って、冷蔵庫のペットボトルの水を注いでいると、瞬間的に火照った頬が冷えていくのがわかった。不意打ちだからびっくりしただけ、と自分を落ち着かせ、氷を入れていない水を持って夕の元に行く。


「はい水」


若干警戒しつつグラスを渡すと、眠たげに瞳を瞬かせる夕がゆっくりと水を飲み始めた。喉仏が緩やかに上下し、あっという間に飲み干してしまう。
空になったグラスを受け取りテーブルに置き、ソファに戻る。そして頬を上気させた夕がうとうとしかけているのを確認し、隣に座った。


「………葵」

「んー?」


何が起きたのかわからなかった。
瞬きひとつする間に私の視界は反転し、背中にはソファの柔らかい感触がある。今しがた私の名前を呼んだ夕は怪しい笑みと共に見下ろしており、私の手首は彼に掴まれソファに縫い付けられていた。


「んっ」


重ねられた唇は熱くて湿っていた。脳内で龍くんの話がぐるぐると回り、ああやっぱり、と妙な納得が生まれる。
『ノヤっさん、酔うとキス魔になるんスよ』
しかし冷静に思考が作動したのはそれまでで、すぐに何も考えられなくなった。


「…っふ、まっ、ゆ、」


ぬるりと入り込んできた舌が、性急に口腔を蹂躙する。歯列をなぞり口蓋をくすぐられると腰の辺りにむず痒い熱が溜まり、思わず上擦った声が洩れた。
抗おうにも手が使えず、馬乗りになられている状態ではどうにもできない。唯一動く足を必死にばたつかせても私の上の夕はびくともしなくて、次第に体から力が抜ける。
いつもはこんな強引なキスはしないのに。ぎりぎり残った理性がぎゅっと瞑っていた瞼を開き、だけどすぐに後悔した。
ゼロ距離で夕と目が合い、その瞳が孕んだ熱に脳髄が溶かされていくようだ。表面に薄く張られた水がやけに綺麗に見えて、揺れる色に眩暈がする。


「ゆ、う、……んん、っは」


吐息ごと飲み込まれるようなキスに、酸素不足も相まって目尻に涙が脹れた。
ようやく手首を解放されても止める力は残っておらず、行き場を失った手はさ迷った末に夕の服に落ち着く。その結果更に深く唇が重なる羽目になり、波に流されていくようだと思った。
夕の舌に残っていたアルコールが回ってきたのかも知れない。くらくらと脳の芯が揺らされ、とろけ、ぐずぐずになった思考はもはや機能してはくれないらしい。


「ひゃっ…ん、」


熱い唇とは裏腹に冷たい指先が、服の間にするりと入ってきた。わき腹にひんやりとしたものが当てられ、実に自然な動きで背中に回る。
夕の手が冷たければ冷たいほど自分の体がいかに熱いかがわかって、羞恥心が改めて襲ってきた。触れた指がじわりと温かくなるのがわかる。
ぷちん、とブラのホックが外された辺りでふと我に返った。


「……ッス、ストップ!!」


私の言葉に夕がぴたりと動きを止め、けれどすぐに何事もなかったかのように悪さをし始める。その手を急いで制して、私に覆い被さる夕の肩を押した。そんな私の抵抗など意に介さず、夕がガバッと男らしくTシャツを脱ぐ。突如肌色に染まった視界にフリーズして、ようやく動き始めた時には既に夕の魔の手は私の服をグイグイ引っ張っていた。


「ちょっ、夕、ここ、ソファ!!」

「いいじゃん、たまには新鮮で」

「バカ!新鮮さは求めてないの!」


えー、と口を尖らせる夕は、先ほどまでと比べて随分としっかりした話し方だ。目もぱっちり開いているし、まさか。


「……夕、あんた酔ったフリ?」

「おう、結構上手かったろ」


悪戯っぽく笑う夕に、してやられたと下唇を噛んだ。「先輩に教えてもらった!」と楽しそうに酔ったフリのコツを語る所を見ると、龍くんも共犯だろう。


「最近葵卒論とかで忙しそうだし、あんま話してないだろ。だからほら、たまにはって」

「……でも、さあ、やり方ってもんが」

「まんざらでもねえくせに」


ここ、と鎖骨の上を指でつつかれ、痕を付けられたらしいということに気付いた。いつの間に。目でそう訴えると夕はべろりと唇をなめ、同じ場所にキスをする。

月日を重ねるごとに男らしく色っぽくなっていくこの愛しい恋人に、私が勝てる日なんて来るのだろうか。いや、もう引き返せない所までとことん落ちている気がする。落ちて、墜ちて、堕ちている。

レポートはまた明日やろうと諦めてから、私は悔し紛れに「ばか」と悪態をついて、それから体を起こし夕の首筋にかぷりと噛みついた。


28/28

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