純情シャングリラ | ナノ




「ふーん、で、それがそのピアスと言うことでよろしゅうございましょうか、ええ」

「………何その言い方」


注文したパスタをぺろりと食べ終えた友人が、私の耳についたピアスを見ながら真顔で言った。
私はホットコーヒーを一口啜り、「へー」「ほー」「はーん」という彼女の謎の相槌を聞く。


「いえいえ別に、幸せそうで何より爆発しろってことですよ」

「ちょっと意味がわかりませーん」


優雅な手付きで口元を拭った友人は穏やかな笑みで私を見て、それから「リア充め」と呟いた。笑顔は全く崩さないのだから恐ろしい。


「でもまあ、どうりで葵が合コンに来ないわけだわ。聞いても気分が乗らないとしか言わないから、よっぽどの男嫌いか何かだと思ってたのに」


まさか、地元に年下のカレがいたとはねえ。

中々やるじゃん、と悪戯っぽく微笑まれ、私は肩をすくめた。
別に隠してた訳じゃないけど、合コンに気分が乗らなかったのも事実だ。
通りかかった店員さんに注文しておいたデザートを頼んでから、両肘をテーブルに立てた目の前の彼女を見る。
その目は若々しい好奇心に満ちていて、あ、これ質問攻めに遭うなと直感した。


「で、で、で?学内の男性諸君を虜にし教授キラーの異名を持つ河野葵の彼氏って、どんなん?」

「虜にしてないし。……別に、幼馴染みですよ」

「幼馴染みとな。あらまあ、少女マンガみたいな世界で生きてんのね、あんた」

「脳内お花畑の人に言われたくないですー」

「私は白馬の王子様を待ってるだけだもの」


それをお花畑って言ってんの、と言ってやろうと思ったけど、不毛な戦いだと思ってやめる。
一度席が隣になってからよく話すようになった友人は、子供っぽく頬を膨らませた。

お互い午前中しか用事がなかったから、ちょっとお茶して帰ろうかと寄った大学の近所のカフェ。
お昼のピークは過ぎたのか店内はそこそこの客入りで、店全体には和やかな空気が漂っている。
ファンが絶えず回る天井から下がっている間接照明はほの暗い光を放っていて、射し込んでくる日光と合わせてちょうどいい明るさだ。
今日はまだ暖かいほうだし、東京の1月はあっちの1月に比べたらまだましだった。


「……いーなあ、彼氏から贈り物とか」


現在彼氏募集中と銘打ってはいるものの、高過ぎる理想ゆえに、この子は恋人を作るチャンスを捨てているのだ。
…私も人生で付き合ったのが夕で2人目だから、恋愛初心者といったって過言じゃないんだけど。

何となく気になって耳たぶに触れると、そこには勿論ツヤツヤとした花のモチーフがあった。
よくよく考えたら丸1年使ってるんだな、と思い、そういやもう1年も経ったのか、と妙な感慨深さに襲われる。

実家を出てから季節はまた巡り、大学生活にもすっかりと慣れた。
結局T大は受けなかったけど、結構有名な大学で私は今教師を目指している。
漠然としていた将来が、夕を見ているとふと固まったのだ。

――ピアスは、卒業式の夜に夕に開けてもらった。
なんちゃって結婚式から帰ってきて、おやすみと言ってお互い家に戻った後。
ベランダからこっそり夕を呼んで、私の部屋に来てもらった。

ピアス、夕に開けてもらいたくて。

事前に買っておいたピアッサーを手渡すと、夕はどこか嬉しそうに頷く。

痛くなくなると聞いたので耳たぶを氷で冷やしてから、私はぎゅっと目を瞑った。
固い物に挟まれる感覚。聞きなれない音がごく至近距離で鼓膜を揺らし、あとに残ったのはジンジンと響く鈍い痛みと、燻るような熱さだ。


『……腫れてるけど、大丈夫か?』


コットンを当てて消毒をしながら、夕は心配そうに私に尋ねた。
ひんやりとした消毒液は、火照った耳に気持ちがいい。


『大丈夫。ありがと、夕』


どうしても、夕にしてもらいたかったんだ。

この体も心も髪の毛一本さえも全部全部貴方のものだって、私自身に刻み付けたい。
どこかに閉じ込めてでも誰にも触らせないで、ずっと夕の隣に置いていてほしい。

―――それはきっと、狂おしいまでの独占欲。

重い女だってことはわかってる。
だけど、会えない月日を思うとずきりと胸が痛んだ。
途中で色々あったけど、何だかんだ言ってもずっと隣に居た、大切な存在。
離れるなんて想像もできなかったし、正直今でもたまに、ベランダに出たら夕がいるような気がしてしまう。

それでも、進まなくちゃいけないんだ。

もう一度夕の隣に立つときには、今度こそやりたいことを見つけた私でありたい。バレーボールを追いかける彼の背中を見つめてるだけじゃなくて、景色は違っていても同じ方向を見ていたい。
危ういくらいに真っ直ぐでどこまでも男らしい、幼馴染みの為に。


「お待たせしました、こちら季節のフルーツタルトになります」


テーブルに色鮮やかなケーキが置かれ、意識が現実に戻ってきた。
追加の伝票を挟んだウェイトレスはお辞儀をして去っていく。
可愛らしく苺やら何やらが盛り付けられた皿を引き寄せてフォークを取ると、ズゴッという音がした。顔を上げればストローをくわえた友人は、最早氷しか入っていないアイスティーを吸おうとしている。
その目はじっと私を見ていて、思わずフォークを持ってない方の手で身構えた。


「な、なに」

「………葵今さあ、彼氏の事考えてたでしょ」


図星ゆえに言葉を詰まらせる。
彼女は更に目を細くして、それから深い深い深い溜め息をついた。
まるで、これだからゆとりは、とでも言いたげな表情で。


「わかりやすいわあ。何か一人で幸せオーラ出してるし、むしろどうして今まで彼氏がいることに気付かなかったんだろ」

「え、オーラとか出てる?」

「バリッバリ。もうね、駄々漏れ」


うそ、と頬に手を当てたら確かに弛んでいる気がして、慌てて顔を引き締める。
一人でにやけてるなんて、恥ずかしいことこの上ない。
真面目な顔を作って彼女を見ればまた大袈裟に息を吐き、「私も早く幸せになりたいわ」と自嘲気味に笑った。


「あ、そう言えば葵、バレーボールに興味ない?」


唐突な話題転換と共に出された単語に、一瞬で心臓が跳ね上がる。
なにこの子、エスパー?
私は努めて平常心を保ちどうにかポーカーフェイスを発動させたまま、フォークをタルト生地に差し込んだ。
さく、と柔らかい感触が金属越しに伝わってくる。


「バレー?」

「そー。私の後輩がバレー部なんだけどね、今回全国に出たから是非見に来てって」

「そっか、マネージャーだったんだっけ」

「3年の半年だけね」


その大会が今週あるんだけど、行きたいって人中々いないからさ。
唇を尖らせた友人の母校を聞くと、「ネコマ」という返答が返ってきた。
ネコマ、ネコマ、聞いた事があるようなないような、と記憶を辿って、夕の言っていたライバルとやらが居たのはそんな名前だな、と思い出す。


「いいよ、今週私も暇だし」


1ヶ月前、夕からメールが来た。
『部活に集中するから、1ヶ月連絡とれない』
その大会に来てたりしないかな、という淡い期待を持って誘いに乗ると、友人は手帳を開いて日付けを指差す。
待ち合わせの時間を簡単に決めて、私もスマホのカレンダーに予定を打ち込んだ。


『 1月〇日 春高 』










心臓が止まるかと思った。

春の高校バレー、決勝戦にネコマはいた。
選手が入場し公開ウォーミングアップが始まると、各校の応援歌が響いている。
目に眩しいオレンジ色のコート、ボールと床が激しくぶつかる音がし始めて、会場の熱気が徐々に上がっていくのを肌で感じた。


「葵、どうしたの?」


真っ赤なユニフォームに書かれた『音駒』という文字。プリン色の頭をした男の子が見えたけど、その反対側のコート。

黒いチームが、目に入った。


「……音駒の相手、私の母校だわ」

「え、うそまじ?」


烏野ー、ファイッオ゙ォース!!

野太い掛け声があがり、レシーブ練が始まる。
黒い、黒い、烏に相応しいユニフォームの中、一際目立つ色が一人。


周囲の大きな高校生に比べて一回りくらい小さい、オレンジ色のその彼は、


――――――――ピッ


声もなく見つめているうちに、笛が鳴った。試合が始まるらしい。
隣の友人が身を乗り出してコートを覗き込む。

私はただ黙って、試合の行方を見ていた。










初めて来る建物で闇雲に走る回るのは、自殺行為にも等しい。
頭ではわかっているのに、私の足は何故か止まらなくて、先ほどまで眼下に捉えていた烏野のユニフォームを探した。
私は音駒の方に顔見せてくるわ、と言った友人と別れたのが数分前。
試合の興奮冷めやらぬままに廊下に飛び出したのが失敗だったのだ。

その時角に、見覚えのある後ろ姿が見えた。


「……っ、澤村っ、くん!」


高校時代よりもややガッチリとした体が、振り向く。そして息を切らした私を驚いたように見た。
足を止めると疲れが一気にやって来て、真冬だというのに額に汗が垂れる。
膝に手を置いて「烏野、知らない?」と問うと、戸惑った様子の澤村くんは角を指で指し示した。


「あいつらなら、今そっちに行ったけど…河野どうしたんだ?」

「あっち、ね。ありがとう!」

「お、おう」


駆け回り過ぎて重たい足をもう一歩踏み出して澤村くんの横を走り抜ける。
乱れた息を整えようともせずに角を曲がると、そこには、通路の脇に固まった黒があった。


「おっ、おめでとう!!!」


勢い余って叫べば辺りは一瞬シンとなって、その集団が一斉に私を見る。
勿論知らない顔の方が多くて軽くパニックになると、その中の見慣れた顔が、私を見てみるみる目を丸くした。

ツンツンに逆立った髪の毛、下りた前髪、黒の中のオレンジ。

ほぼ1年振りに見る幼馴染みの姿に、思わず目頭が熱くなる。

夕は酸素不足の金魚のようにパクパクと口を開閉させてから、さっきの私よりもずっと大きな声で叫んだ。


「葵?!?!お、お前なんでこんなとこに、」

「友達と来たの!どうしてこっち来るのに教えてくれなかったの?!」

「っ、だって葵が見に来ると思ったら会いたくなると思っ……て…」


会って早々言い合いを始めた私達に、1年生っぽい子がぴょこんと手を上げた。
さっきの試合でものすごいスパイクを打っていた子だ。


「あのー西谷さん、この人は誰ですか?」


もっともな質問に夕と目を合わせる。
……彼らからすれば、いきなりやって来て先輩と叫び合ってる変な奴だと思われたに違いない。
我に返って気持ちを落ち着かせると、夕も落ち着いたのか私をバレー部の皆に紹介してくれた。


「あー…俺の幼馴染みの河野葵。で、彼女だ」


よろしく、と微笑んでから数秒。
「「「「「「彼女?!」」」」」」と声を揃えたバレー部員達に詰め寄られて、私は夕と目を合わせた。
ニッと何だか得意気に笑った夕が懐かしくて、それからしばらくは質問の嵐に呑まれていたけど、なんだかとても嬉しかった。










待ち合わせ場所には、既に黒いジャージが来ていた。
部活での諸々があった後、会場のすぐ近くの公園。どこか落ち着きのない様子で座っている姿は、部活帰りのあの頃のようでとても懐かしい。

少し離れた位置から名前を呼んだ。
パッと顔を上げた夕と、視線が交わる。


自分の中にこれでもかという程あった涙を、どうしようもない程の激しい感情を、気が遠くなるような淋しさを。

そして、息が止まるくらいの幸せを、目を開けていられないような途方もない愛情を、熱情を、純情を。
与えてくれたのは、与えさせてくれたのは、紛れもなく夕だ。


「夕」


生まれてから何度呼んだかわからない、最愛の人の名前が、甘美な響きとなって私の耳に入っていく。

春には一緒にお花見をしよう。
夏になったら海へ行って、秋には紅葉を見に行って冬はスキーでもしてみよう。

時間がなかったら家でのんびりしてもいい。貴方と一緒なら、きっとどこに居たって楽しいに決まってる。


「夕」


もう一度名前を呼ぶと、何故だか涙が零れてしまった。
ゆっくりと伸ばされた腕に、強く抱き締められる。
鼻孔をくすぐる、夕のお日さまみたいな匂い。ひどく久し振りなその香りに包まれて瞳を閉じると、言葉にできない感情が喉の奥までせり上がってきた。


「……背、伸びたね」

「おう」

「私抜かされちゃった」

「おう」

「昔はもっとちっちゃかったのに」

「……葵」


名前を呼ばれしっとりと塞がれた唇から流れ込んでくるのは、


「迎えに、来た」


思わず目眩がしそうなほどの、


「卒業したらこっち来るんだ」


幸福な未来像。


「だから、」


意を決した瞳に映ったものが、どうか私と同じ未来でありますように。
切られた言葉の続きを聞いて、私は夕の耳元に唇を寄せた。



シャングリラ



子供はやっぱり、3人がいいかも。




20141026 >> fin.


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