純情シャングリラ | ナノ




「―――――第54回、烏野高校卒業式を―――」


在校生の子につけてもらった造花が、胸で小さく揺れている。
桜は間に合わなかったらしく校庭に彩りは少ないものの、空は清々しいまでに真っ青だった。

卒業証書の筒を片手に体育館から出るとそこかしこから啜り泣く声が聞こえてきて、ああ、もう終わりか、なんて妙な現実感が舞い込んでくる。
短いようで長いようで、だけど振り返ってみるとやっぱり短かったんだろう。
特に最後の半年は怒濤の勢いで過ぎていった。

バスケ部の大会が終わり引退が決まると同時に、私の夏休みは一気に受験モードに切り替わったのだ。
時折息抜きと称して夕とスイカを食べたりしたけど、第一志望現役合格を目指して、ようやく予備校にも通い始めた。
中学の頃から塾というものにお世話になったことがなかったので、学校以外で教わる感覚は不思議だったりした。


「葵ー、写真撮ろ!」


スマホを振りながら私を呼ぶ宮ちゃんの方に顔を向けて、「今行く!」と返事をする。
卒業後の進路が決まっている子の中でも、東京に行く人はあまり多くないと担任に言われた。
だからよほど仲の良かった人以外とは、この卒業を期に会うことはなくなると思う。
そう考えると急に勿体ないような気もしてきたけれど、中学の卒業式も多分こんな感情だった。

長い式は終わった。
あとは、各自適当に連絡先を交換したりして解散だ。

春と呼ぶには少し肌寒い風が、私達の間を強く吹く。
それは卒業という門出を祝福する追い風のようでもあって、私は眩しいほどに美しいスカイブルーを仰いだ。
「葵!」と急かされ、慌てて駆け出す。
涙で顔をぐしゃぐしゃにした級友の元へ小走りで向かって、「なんでそんなに泣いてんの」と苦笑を漏らして、うっかり私の目頭もじわりと熱くなった。


「はい、チーズ!」


宮ちゃんのスマホが小気味良いシャッター音を立てる。


―――3年間通った烏野高校と、お別れの時間だ。














永遠シャングリラ














「葵!卒業おめでとう!!」


事前に約束していた通り、帰ってきてすぐベランダに出ると、クラッカーの火薬音が鳴り響いた。
思わず手で顔を覆い、音が完全にやんだのを確認してから恐る恐る正面に目を向ける。
Tシャツにパーカーを羽織った夕はカラフルなクラッカーを片手に満面の笑顔を浮かべていて、私はようやく腕をおろした。


「……びっくりしたー」

「おう、驚かせようとしたからな!」


成功してよかった、と満足げな表情で笑った夕に心臓に悪い、と返して、ふと既視感を感じる。

夕の卒業式の日、その時は今と逆の状況だった。


「出る日、決まったのか?」

「うん。先に荷物だけ送っておいて、春休みの内には出るよ」

「現役で合格だろ?やっぱ葵はすげえよな」

「夕も、3年になるんだからしっかりやんなよ?」

「むー…想像つかん」


私の言葉に眉根を寄せて唇を尖らせた夕は、言っちゃ悪いけど後輩をビシバシまとめる感じには見えない。
隣のクラスだった澤村君とはあまり話したことがないけど、確かに彼は主将!ってオーラが出ていた。
バレー部の新主将は誰になるのかな、とやや朧気な面子を思い浮かべて、度々家でエロ本が見つかった坊主君の事を思い出す。
夕の部屋で一悶着あったのも、今となってはいい思い出……なのかも知れない。


「…このベランダで、色々あったね」


口に出すと、一気に色んな記憶がよみがえってきた。


「ちっちゃい頃、夕こっちに来ようとして一回落ちそうになったよね」

「それで親父に怒られて、行き来すんの禁止になってさ」

「でもしょっちゅう来るし」

「葵だって同じだろ」

「あ、バレた?」


物心ついた時からずっと一緒にいた夕とは、思い出話をしだすときりがない。
ひとつのエピソードを皮切りに続々と浮かんだ記憶は、勿論全てがいいものというわけではなかったけど、くすりと笑いが洩れてしまうくらいには楽しいものだ。


「夕に告白された時ね、ほんとにびっくりしたんだよ」


真っ赤な顔で俯く夕、可愛かったなあと呟けば、正面の彼は少しばかり照れくさそうに頬を掻く。

柵についた引っ掻き傷は、小学生の頃夕が忍者ごっこと言って碇のような物を引っかけた時に出来た。
夕の自由研究の朝顔が枯れた時は毎朝うちのベランダにまで来て私の朝顔を観察していた。
クラスであった面白いことも、胸に燻った悩みも、ゆうべ見かけた珍しい形の雲も、なんだって、何時間だって話した場所。
私と夕の付き合いが、始まって、終わって、また始まった場所。

ここには、私達の思い出が溢れるほどに詰まっている。


「…………もう、お別れかあ」


年に1回は帰省するだろうし、何も一生戻ってこれない訳じゃない。
とは言ったって、東京に行けば向こう半年以上は確実に、生まれ故郷を離れる事になる。
裏の家の壁から洩れるオレンジ色の夕焼けとか、夏になるとどこかの家から聞こえてくる風鈴の音とか、そんな何でもない風景が全部見れなくなってしまうのだ。

ふと沈黙が空間を満たして、私と夕の間に何とも言えない空気が流れた頃、玄関の方から名前を呼ぶ声が聞こえた。


「葵ー、夕くーん?出掛けるから準備してー」


それは紛れもなくお母さんの声で、二人顔を見合わせる。
出掛ける?そんなの聞いてない。


「ちょっと、聞こえてる?」

「あ、うん!」


5分で出てきなさーい、と制限時間を設定したお母さんに一応返事をしてから、もう一度夕の顔を見る。
彼もきょとんとしているところを見ると、初耳に違いない。
もしかして、ご飯でも食べに行くんだろうか。

行き先がどこであろうと、今の私は制服だし夕はラフな格好だ。
とりあえず準備をしてから、出掛けるとはどういうことか聞けばいいという結論になり、私達はそれぞれお互いの部屋に戻った。










「はーい、ちょっときつめに締めますからね。力抜いてくださいねー」

「いやっ…ちょ、お姉さん、タンマ…で……」

「わー、すごい!お客様細いですねー…………やっぱり若さかなあ」

「や…だから、くる、し」

「1時間もかからないと思うんで、我慢してくださいね」


私の足元に屈んで腰の辺りの紐をきつくきつくきつく結んだお姉さんは、美しい笑顔でさらりと鬼発言をする人だった。


「はい、完成です!とてもよくお似合いですよ」

「はは…そりゃ…どうも……」


普段全く縁のないコルセットなるものが、私の腹部をガンガンで圧迫してくる。
よくわからないまま選ばされたドレスは予想以上に生地が重たくて、細いヒールで足を踏み出すと転んでしまいそうだ。

アップにしてまとめるほどの長さはないので、ドレスとお揃いの綺麗な髪飾りをつけてもらう。
メイクは肌に明るく見せる為にほんの少し、口紅は赤くなりすぎないものを。
慣れた手付きで進められていく一連の準備に、されるがままになる。


『さあ、ここで写真撮るわよ!』

身支度を済ませ車に乗り込んだ私達を待っていたのは、両親ズだった。
夕のお父さんとお母さんもいて、私達に事情は説明されないまま車は走り出す。
着いたのはなんだかとてもおしゃれな教会で、困惑する私と夕にお母さんは笑顔を向けた。

どうやら、この教会ではウェディングドレスを着て記念写真が撮れるらしい。
それを理解したときには既にコルセットという魔の手が私に忍び寄っていて、抵抗の術はなかった。

よろけそうになる足を慎重に進めながら、ようやく鏡の前に立つ。
純白のドレスを着た自分を見るというのは、奇妙な感覚だ。
私はそれよりも夕の方が気になって、担当のお姉さんに手を引いてもらいながら部屋を出る。
夕やお母さん達はもう着替えを済ませて、スタンバイ済みだそうだ。


「……お、お待たせしまし、た…」


なんとか慣れてきたヒールでゆっくりと皆の待つ広間に入り、小さくお辞儀をする。
お母さんもお父さんも結構気合いの入った服で、なんで卒業式をその格好で見に来なかった!と言ってやりたくなった。


「……えーと、…夕?」


口をあんぐりと開けて固まっている夕に、恐る恐る声をかける。
真っ白いタキシードは似合っているかと言われたら即答しかねるけど、とても新鮮だ。

完全にフリーズした夕はおばさんに肘で小突かれてから、やっと再起動した。
関節の錆びたロボットのようなぎこちない動きで首を振ったかと思うと、広間に響き渡る程の声量で、叫ぶ。




「すっっっっっっげえ綺麗だ!!!」




どストレートな言葉に、反射的に頬が赤くなるのがわかった。
「若い頃の私にそっくりだわ」「葵ちゃんまた美人さんになって…」「…ほんとに夕でいいのか?葵ちゃんならもっと…」と好き勝手に言う大人陣には目もくれず、夕は大股で私に近寄る。
一体何をされるのかと思わず身構えると、腕をガッ、と捕まれた。



「葵」



いつも真っ直ぐ前だけを見つめる瞳が、私を強く惹き付ける。

とられた手はそっと夕の口許に持っていかれ、甲に柔らかい唇が落とされた。



「今はまだ無理だけど、」



夕の肩越しに見えるお母さん達は、みんな穏やかな微笑みで私と夕を見つめている。



「いつか、俺と結婚してください」



目尻にせり上がってきた雫を必死に押し留め、私は深く頷いた。
本当に嬉しそうに笑う夕を見たら私も自然と笑顔になって、今度は私から夕の額に口付けた。


「ねえ、私達だって昔はあれくらいラブラブだったわよね?」

「馬鹿野郎、今だって負けてないさ」

「あなた……!」


負けず劣らずな会話を繰り広げる自慢の両親達を見て、また夕と目をあわせる。
相変わらずだな、だね、と苦笑を洩らした所で、


「はい、じゃあ写真撮るので並んでくださーい」


と言われてしまった。

18才の私と、17才の夕。
ウェディングドレスとタキシードを着た私達はまだまだ子供だけど、いつかは二人で似合う大人になりたい。


フラッシュと少しずれて、シャッター音が鳴った。
この写真は引っ越しても絶対に飾ろう。


最後の1枚です、という掛け声のあと、私はその一瞬の隙を狙って夕の頬にキスをした。
眩しいフラッシュ、数テンポ送れたカシャッという音と、驚愕に目を見開く夕。
頬を押さえてこちらを向いた夕に悪戯っぽく笑えば、夕は負けじとその唇を私の耳に押し付ける。
「あーもう、さっさと結婚しなさいよ」と呆れた調子で言ったお母さんに、大人陣が頷いた。









私のお母さん、お父さん、夕の所のおばさんとおじさん。中心にいる私と夕。
結局皆で居酒屋に行って、お母さん酔っ払っちゃって大変だったな、と一人で苦笑いしてから、私はその写真をスーツケースの中へ大切にしまった。


「葵、急いでー」

「ごめん、今行く!」


お母さんの急かす声に慌ててスーツケースを掴み、廊下に出る。
世間一般の学生が春休みに突入してすぐ、私はこの春から通う大学のために引っ越すのだ。


最後にもう一度振り返ってその映像を網膜に焼き付けると、私は生まれ育った実家から出ていくために、ドアを開けた。

春の匂いが、一際強く香った。


24/28

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