純情シャングリラ | ナノ




待ち合わせ場所に着いたのは予定の10分前で、目印の噴水広場には既に村田くんがいた。
肩にかけていた鞄を持ち直し、スカートの裾に気を付けながら小走りで村田くんに声をかけると、彼は軽く手を上げて応える。


「ごめん、待った?」

「今来たとこ」


定番過ぎる会話に二人でくすくすと笑って、仕切り直すように村田くんが「行こうか」と言った。


「午前中も一緒に居たけどね」

「これはデートだからいいんだよ」

「デートですか」

「デートです」


何だかむず痒い言葉に照れていると、ごく自然に手を出される。
何の事かわからずに村田くんの顔を見上げれば「手!」と掌が振られて、一拍遅れで意味を理解した。
戸惑いつつもその手を取ればごく自然に指が絡められ、私よりもはるかに大きくて固い手に包まれる。

夕とは違うな、なんて無意識のうちに比べている自分に気付いて、私はぶんぶんと首を振った。
忘れなきゃ。楽しまなきゃ。
じゃないと村田くんに失礼だ、と心の中で呟いた所で今の私が一番失礼だと思い、私は慌てて笑顔をつくる。

最近できたショッピングモールはやっぱり人が多くて、私達は人混みに混ざって歩き始めた。
……ちょっと強めに握った掌から伝わってくる温かさが、どうかこの胸の痛みを和らげてくれますように。

水色の夏らしいワンピース、ヒールのついたサンダル、いつもはしないメイクは気持ち程度。
私の初デートは、各々の思惑が絡み合って転がり落ちるように進んでいく。


自分を殺して得ようとした平穏が、馬鹿みたいにあっさりと崩されるとも知らないで。














逃走シャングリラ














「河野、あの店は?」

「入りたい!」


村田くんが指したのは、内装の可愛いアクセサリーショップだった。
最近人気の海外ブランドで、中高生の手にも届くお手頃価格で流行りの物が買えるから、雑誌でもよく取り上げられているお店だ。
同世代の女の子達で賑わった店内に入ると話題の洋楽が流れていて、私と村田くんは雑談を交わしながら商品を見て回る。


「テストの勉強してる?」

「ぼちぼちだなー。それなりに頑張らないと赤点かも」

「えー、主将が補習とかやめてよ」

「マネージャー様が教えてくれたら点数上がる気がする」


去年のクラスは同じだし、今もバスケ部の主将とマネージャーという立場で接点も多いため、私と村田くんの会話は途切れない。
ああ高校生やってるな、とかカップルに見えてるかな、とか妙に冷めた思考は頭の隅に追いやって、カラフルなアクセサリーを手に取って眺めた。


「あ、これ可愛い」


ふと手を止めたのは、小さな白い花のモチーフだ。


「それが欲しいのか?」

「うん……でもこれピアスだ」


流石に受験生、ピアスを開けるわけにはいかない。というか校則で禁止されてるしね。
デザインはとても気に入っていたけど私は泣く泣く諦めて、他に何かないかと探し始めた。










「ほんとに買ってもらっちゃってよかったの?」

「いいよ、初デート記念って事で」


結局選んだのは小さなストーンのついたネックレスだ。
お洒落な袋に入ったプレゼントは村田くんが持ってくれていて、何から何までやってもらってる事に若干の罪悪感を覚える。
これが彼女の特権ってやつか。


「………ありがと、嬉しい」


荷物を持っていない方の手に自分の手を絡めて握ると少し驚いたように彼は私を見て、それから握り返してくれた。

大丈夫、ちゃんと私楽しめてる。ちゃんと『彼女』やれてる。

自分自身に言い聞かせて、歩幅を合わせてくれる村田くんに寄り添って歩く。

大丈夫、大丈夫。
頭にちらつく夕の事は忘れたふりをして、私は村田くんに笑いかける。

笑顔が崩れないように。
笑顔を崩さないように。


……いきなりキスをされたあの日、私は夕に何て言ったんだっけ。

『最低』
『最低だよ、夕』

最低なのは私の方じゃないか。


照れたようにはにかむ村田くんとの確かな温度差を感じながら、私はそれをおくびにも出さないで、同じようにはにかんだ。

大丈夫。今は違っていたって、いつかきっとこの人を好きと言える日がくるんだから。
だから、大丈夫、大丈夫。


「村田くん、次はどこに――」




――――組み換えた歯車が、今ようやく合いそうになっていたのに、

擦れあった金属が立てる不協和音が耳鳴りのようになり始める。




「潔子さん、あの店ですか!」

「……西谷、あんまり騒がないで」




周りはざわざわとしているのに、その声だけがやけに鮮明に聞き取れた。

前から歩いてくる見慣れた二人は私達に気付く様子もなく、すれ違う。
私服姿の潔ちゃんと、夕。
はしゃいだ夕に苦笑を交えて注意する潔ちゃんの口許は弛んでいて、一気に視界がくすんでいくような気がした。

………だって、二人は付き合ってる。

私には傷付く資格もなければ、声をかける勇気もない。


大丈夫、大丈夫。
心からドクドクと流れていくのは、血に似た何かだ。
だけど見ないふり。知らないふり。気付かないふり。
まだかさぶたが取れていない夕の唇が潔ちゃんと重ねられる瞬間が断片的に想像されて、頭の中がぐちゃりと混ぜられるような感覚に襲われる。


「―――?河野?」


急に足を止めた私を不思議そうに覗き込んだ村田くんの声で、意識が現実に戻った。
どうやら彼は夕達に気付いていなかったらしい。
今しがた出てきたアクセサリーショップの方から聞こえてくる二人の声を聞きながら、私は震える唇を開いた。


「……ごめん、なんかぼーっとしちゃった」

「お、おう。大丈夫か、気分悪いのか?」

「ちょっと…疲れたのかも。どこかでお茶しない?」

「あー…だったら少し早いけど夕飯にするか」


時計はいつの間にか6時半をさしていて、私は村田くんの提案に頷く。
今日は午後からだったから、時間が経つのが余計に早い気がした。


「じゃあ、ご飯食べに行こ」


そう言って彼の顔を見ると一瞬表情を曇らせて、それから柔和な笑みが浮かべられる。
買ったばかりで履き慣れていないサンダルのせいで足の甲はほんのり赤く腫れていた。それが今更のように熱を持ちはじめ、じくじくと痛む。



今、私はうまく笑えていますか。


18才最初の夜に貴方の隣で笑いたかったと願うのは、遅すぎたのですか。



そうして私の誕生日は、着実に終わりへと向かっていく。

私の隣に夕はいなくて、夕の隣に私はいなくて、今まであったはずのものがなくたって、無情にも非情にも、私は大人になっていく。


―――ああ、何もかもから逃げ出したい。



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