「あ、西谷。用事があるから一緒に帰れないって、葵が言ってた」
部活動終了時間を時計が指し、ネットやらボールやらを全員で片付けているとき、不意に潔子さんに話しかけられた。
どうして葵からの伝言を潔子さんから伝えられるんだろう、と一瞬考え、そう言えば去年同じクラスだと言っていたなと思い出す。
俺は両脇に抱えたボールをしまいながら返事をした。
「了解です!ありがとうございます!」
「はい。…それから昼休みの事だけど」
潔子さんが少し周りを気にしながら声量を落とす。
こそこそ話のように身を屈めたので、俺もそれにならって体勢を低くし潔子さんの方に耳を寄せた。
「……来週の土曜日なら、空いてるから」
悪戯っぽく囁かれた言葉を頭の中で反芻し、気恥ずかしさが込み上げてくる。
じゃ、と楽しそうに笑った潔子さんは軽い足取りで武ちゃんの元に行き、俺はその後ろ姿を見ていた。
来週の、土曜日。
1週間先の事にも関わらずどこに行こうかと計画している自分に気付き、ぶんぶんと頭を振る。
しかしそのあと、昼休みに見たあの光景が脳内で再生された。
………一緒にいたのは、確かバスケ部の主将だ。
葵をバスケ部のマネージャーに引き入れた張本人で、俺が密かに敵対心を持っていたりする。
人気のない教室で一体何をしていたのか。
中庭からじゃよく見えず、かといって世間話という風には見えなかった。
「……あー!モヤモヤする!!」
髪の毛をぐしゃぐしゃとかきむしって忘れようとするもそんなこと出来るわけもなく、妙に真剣な顔をした葵とナンタラのツーショットが瞼の裏に焼き付いている。
葵本人に直接聞いた方が早いと思い、俺は帰りの挨拶を終えてすぐに、バスケ部の使っている第一体育館に向かった。
撃退シャングリラ
「え?帰った?」
「河野だろ?ついさっき、気分が悪いから帰るって」
噂をすれば何とやら、バスケ部の主将の言葉を聞いて、潔子さんから聞いた伝言を思い出す。
………待てよ。
「葵は途中まで参加していて、さっき急に帰ったんですよね?」
「ああ」
おかしい。
潔子さんの話だと、葵は始めから俺と帰れないって言っていた筈だ。
だけど、実際は体調不良を理由に部活を早退している。
気分が悪くなる事を見越して、伝言を頼んだってことか?……んなわきゃねえ。
「あれ?もしかしてお前が河野の幼馴染みって奴か?」
「あ、はい。2年の西谷夕です。葵とはながーーーーい付き合いです!」
牽制という名のアピールで長いというのを強調すると、主将のナンタラは喉の奥で笑いを噛み殺しながら「お前面白いな」と言った。
まるで相手にされていないようで、思わずムッとする。
しかし次の言葉で、俺の表情は凍りついた。
「おかしいな。暗いし具合悪いなら送って行こうかって言ったら『幼馴染みと帰る』って言ってたんだが……」
「……え?」
「いや、聞き間違いかもしれないな、かなり弱ってたみたいだし。でも、」
「キャプテン、もう締めていいですかー」
「おう悪い、今行く。…っと、すまん西谷」
「いえ、……それじゃ」
部員に呼ばれたナンタラに背を向け、俺は走り出す。
嫌な予感がした。
帰れないって言っていたのに、俺と帰ると言って部活を抜ける。
真意の見えない葵の行動に心臓の辺りがもやもやとして、駐輪場に駆け込む。
見慣れたオレンジ色のチャリの鍵を外した時、3台向こうにこれまた見慣れた自転車が目に入った。葵の物だ。
「アイツ、歩いて帰ったのか?!」
日はとっくのとうに落ちていて、帰り道は街灯も少ない。
"最近不審者が多い"
朝のHRで担任が言っていた言葉が唐突に流れてきて、俺は急いでチャリに股がった。嫌な予感は強くなっている。
どうかこの予感は的中しないでくれ。
祈るような気持ちでペダルを踏み込み、全速力で校門を走り抜けた。
どうして当たってほしくないときに限って俺の予想は当たってしまうのか。
坂道の向こう側、見覚えのある背中と見知らぬ男が揉み合っているのが見えた。
「……っ、離して!」
「ねえ、悪いようにはしないからさ…」
「離せっつってんでしょ…!」
人通りの少ない住宅街に響く声に気付いて、頭に一瞬で血がのぼる。
坂の頂上から全体重をかけてペダルを漕ぎ、その男目掛けて俺のチャリが爆走した。
「…人の大事な幼馴染みに何してくれてんだゴルァァァァァ!!」
「ひっ」
ズシャアッとタイヤと地面が激しく擦れる音と共に、葵と不審者の間を勢いよく切り裂いて、ブレーキが嫌な音を立てる。
腰を抜かして尻餅をついたその男の方にハンドルを傾けもう一度漕ごうとすると、「すっ、すみません!」と叫んで脱兎の如く逃げ出した。
「あっ待てこの野郎!」
閑静な住宅街に逃げ込んでいく情けない背を追おうかと体勢を立て直した時、背後から葵の声がした。
「……ありがとう、夕」
「おう、大丈夫だったか?!」
「うん、何ともない……」
正面から目が合うと、そらされる。
不思議に思い「葵?」と声をかければ、「ごめん、大丈夫だから」と彼女は無理して作ったような笑顔で言った。
「……お前なんで、チャリ置いていったんだよ」
「た、体調悪かったから、自転車乗ったら危ないかなって」
「俺が来なかったらどうなってたかわかんねえんだぞ」
「……………うん、ごめん」
頑なに目線を合わせようとしない葵に何かイライラとしたものを感じたものの、具合が悪い人間にどうこう言うのもあれだ。
俺が口をつぐむと、今度は葵が口を開いた。
「次は気を付けるね」
街灯は電球が切れかけているらしく、5秒に1回程の割合で電気が消えている。
点いたり消えたりする白熱灯の明かりの下そう言って笑うその表情は―――まるで泣いているようでもあった。
「…………後ろ、乗れよ」
葵の鞄をとって前かごに入れ、チャリの後ろを顎で指す。
葵は黙って荷物置き用の所に座ると、やや躊躇うような素振りを見せてから俺の腰に腕を回した。
自転車のタイヤがゆっくりと回り始める。背中に確かな熱を感じながら、少しずつ、でも確実に何かが変わり始めている。
俺も葵もお互い口を開かなかった。開こうともしなかった。
ただ変な緊張感に満ちた沈黙を肌でひしひしと感じ、それでもなお静けさは破られなかった。
どうしてこんなことになったのかは俺自身よくわかっていない。
俺が葵に漠然と感じている苛立ちのような感情が昼休みに見た光景のせいであるならば、この感情は、きっと。
「………………夕」
抱き着かれる力が少しだけ強くなり、体がより密着した。
鼓動がダイレクトに伝わってきて、彼女のそれはまだいくらか早いようだ。
「……………………ありがと」
囁かれた声に返事をすることが出来ず、俺は口を閉ざしたまま頷く。
男の俺とは違う節々に感じられる柔らかさから必死に意識をそらして、漕ぐスピードを上げた。
――――この胸に溜まったもやもやとしたわだかまりは、
子供じみた独占欲だ。
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