なんてこった、潔ちゃんが私に向かって満面の笑みで手を振っている。
クールビューティが売りの筈の彼女は今、頭に花かんむりを乗せて、白い清楚なワンピース姿で微笑んでいた。
辺り一面お花畑。
理想郷、それとも桃源郷?
あの潔ちゃんが今まで見たこともないくらい可愛い笑顔を見せ、スカートの裾を翻しながらお花畑を走り回る。
それを見ていたら私も何だか楽しくなって、潔ちゃんの元へ駆け出した。
素足がふんわりとした土を蹴り、手と足を必死に動かして彼女の方へ向かう。
だけどスピードは全く上がらず、私の手足は虚しく空回り。この感じは気味が悪い。
それでも必死に進んでいると、不意に潔ちゃんが目の前に現れた。
体の線も露なぴったりとしたスーツを着ていて、それがよく似合っている。
「葵もほら、早くプラグスーツを着て!」
そう言って渡されたのは、小学生が使うような体操着入れ。
中から出てきたのはスクール水着。
………プラグ……スーツ…?
言われるがままに着替えると、潔ちゃんが親指を立ててグッドサインをくれた。
そして、空に向かって彼女が高々と叫ぶ。
「潔子、行きまーーーす!!」
――――潔ちゃん、もしかしてエ〇ァとガ〇ダム混ざってる?
そんなどうでもいいツッコミを胸に抱いた瞬間、私の目はぱちりと開いた。
「あ、」
まず目に飛び込んで来たのは、若干つり目で色素の薄い瞳と、男らしい眉毛。
「葵、もう8時だから、早く起きろ!」
学ランの詰襟を立て愛用のエナメルを早くも肩にかけた夕が、すぐそこにいた。
てことは待って、さっきのお花畑はもしかして夢オチ?
いまいち回らない頭で夕の言葉を噛み砕き、必死に情報を理解しようとする。
手探りで枕元から目覚まし時計を取って、時間を確認した。
現在、午前8時9分。
寝惚けていた目が段々と冴えてきて、現実世界とリンクし始める。
「8時9分っ?!」
「痛ってえ!」
ガバッと起き上がった拍子に、夕のおでこと私のおでこがハイタッチをした。
じんじん痛むけど、そんなことは今どうだっていい。
8時?え?ホワイ?
「……葵が全然起きねえから、おばさんに起こしてやれって言われちまってさ。あ、もう仕事行ったぞ」
唇を尖らせ額を押さえる夕が放った言葉を最後まで聞く前に、私はベッドから飛び降りた。
頭の中で学校までの最短距離とそれにかかる時間を組み立て、脳みそをフル回転させる。
普段なら自転車で25分、駐車場突っ切って全速力で漕げば15分弱。朝ご飯は諦めよう。
掛けてある制服をベッドの上に放り、クローゼットの中からカッターシャツを出した。
タンスを開けて靴下とブラを抜きパジャマに手をかけた所で、未だに部屋の中にいる夕と目が合う。
沈黙を3秒数え、河野家に朝から私の声が響いた。
「………っ!いつまでいるの!!」
我に返ったように慌ただしく部屋を出る夕の後ろ姿を確認したかしないかという内に、私は勢いよくパジャマを脱ぎ捨てる。
それは、キス未満事件の次の日の事だった。
赤面シャングリラ
「あ、河野さん丁度良かった。この荷物を資料室に運んでおいてもらえる?」
どうにか遅刻は免れ、1限を終えトイレから出て教室に戻る途中で、前から歩いてきた現国教諭に声をかけられた。
一体何が『丁度良い』のかはさっぱりわからないけど、愛想笑いを浮かべて返事をする。
「わかりました。いつまでに運べばいいですか?」
「昼休みまでに運んでくれれば大丈夫よ」
恐らく教材が入っていると思われる段ボールを受け取ればずっしりと重く、両腕でしっかり支えなければ落としてしまいそうだ。
まあ資料室はすぐ近くだし、今行ってしまった方が楽だろう。
そう思って資料室の方へ一歩足を踏み出せば、現国教諭は笑顔で付け足した。
「よろしくね。やっぱり学年1位は頼りになるわね」
「………いえ、そんな」
……段ボール詰めの荷物と定期テストの結果がどう結び付くのか皆目検討もつかない。
だけどもう慣れた。私は顔に張り付けた微笑を崩すことなく、小さく首を振る。
我ながら嫌な事に慣れてしまっていると思うけど、しょうがない。
それじゃあと言って先生の脇を通りすぎようとすると、すれ違い様にぽんと肩を叩かれて、思い出したように言われた。
「前回の模試、この辺りの高校の中でもトップだったわ。貴方には期待してるからね、河野さん」
「はい……ありがとうございます」
でも体には気を付けてね、なんて後付けのように口にしながら、今度こそ現国教諭は私に背を向ける。
期待してる、何度言われた言葉だろう。
教師達はそれが生徒の尻に火をつけるとでも思っているのか、事あるごとに口にした。
そんなもの、私にとっては愛想笑いの引き金でしかないのに。
覗いた教室の時計を見て時間を確認してから、私は資料室に向かった。
「あー疲れたー……葵、次なにー?」
「確か英語」
「うげっ、私今日当たる日じゃん」
体育を終えて更衣室で着替えながら、クラスメイトの宮ちゃん(本名 西宮華奈・彼氏アリ)が何番目に指名されるかを数える。
「……やば、長文だ。訳してない」
「私訳した」
「葵様見せて!お願い!!」
「はいはい」
葵マジ神様ー!と手を顔の前で擦り合わせる宮ちゃんに苦笑いを残して、私はジャージを脱いだ。
シャツを出して腕を通すと、同じクラスの子から声をかけられる。
「葵ちゃん、さっき窓から手を振ってた人ってさ、もしかして彼氏?」
唐突な質問に一瞬面食らった。
夕の馬鹿が授業中に大声で名前なんて呼んだせいで、あのあと色々めんどくさかったのだ。
「違う違う!ただの幼馴染みだって」
ただの、幼馴染み。
それ以上でもそれ以下でもない。
私の返答に興味をなくしたのか、その子はそっかと言って元の輪の中に戻っていった。
その時、私のお腹が空腹を訴えブーイングを始める。そういや結局朝ごはん食べれてないや。
「お腹すいたー……」
「何かお菓子持ってないの?」
宮ちゃんの言葉に何かないかと考えていると、履いたスカートのポケットからビニールの音がした。
指を突っ込み引き抜けば、今日の朝夕にもらったチョコレートだ。
ご飯食べれてないならやる、って、自転車に乗る前に貰ったんだった。
ありがたく頂こう、と袋を開けた時、不意に昨晩の出来事が脳内にフラッシュバックする。
雷で曖昧になったけど、キス、しそうになった。あれは、私の勘違い?
あのまま続いていたらどうなっていたんだろうという好奇心と、今のままの関係でいたいという恐怖心。
嫌ではなかった筈なのに、全身を掻きむしりたいくらいにむず痒い感情が駆け巡る。
「葵、顔赤いけど大丈夫?」
宮ちゃんに指摘されて自分の頬を触ってみると、確かに熱かった。
大丈夫!と口先だけ元気に答えてから、私は夕から貰ったチョコレートを口の中に放り込んだ。
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