純情シャングリラ | ナノ




―――――――力を入れれば、折れそうだと思った。


可愛らしい部屋着からすらりと伸びる白くて細い脚、触れ合う腕は柔らかく、体はほんのりと温かい。
あの日の朝とはまた違うシャンプーの香りがして、邪な思いが膨れ上がりそうになる。

駄目だ、駄目なんだ。

この気持ちは押し込まなきゃいけない。隠さなきゃいけない。

そう考えれば考えるほど意識はどうしても葵にいき、頭の中が真っ白になりそうになる。


何の躊躇も迷いもなく葵が裾を捲った時、脳内を色々な感情が駆け巡った。

こんな無防備な姿を晒してくれるのは、きっと俺に対してだけだ。
だけどきっと、それは俺が幼馴染みだからなのであって、そこに家族愛以上のものなど存在しない。

だって俺達は、1年前に『終わっている』んだから。




戸惑いがちに揺れる瞳は、俺を掴んで離さない水晶のようだった。
はたと口をつぐんだのは、何を察したからなのか。
風呂に入ったばかりで血色のいい赤い唇からは、ちろりと舌が見える。


自分の中に、こんな激しい感情があるなんて知らなかった。

願望より狂暴で、欲望より獰猛な、今すぐに「口づけたい」という衝動。
吸い寄せられるかのように近付く顔、葵の瞼が強く閉じられる。

永遠にも感じる数秒間のうちで、さっき見た葵の腹がフラッシュバックした。
折れそうに、細い体。


『もうちょっと、肉ついてた方がいいんじゃねえかな』


―――じゃないと、迫られた時に抵抗できないだろ。






例えば、今みたいに。














雷鳴シャングリラ














「ひゃあっっ」


突如光った窓の外に反応して、葵が咄嗟に抱き着いてきた。ついていた家の明かりがふと消える。
一瞬遅れて雷鳴が轟いた。かなり近いみたいだ。

場を支配していた緊張感は流れてしまい、多少残念に思いながらも俺はしがみつく葵に声をかける。


「おーい、大丈夫か」


腕を俺の背中に回してがっちりホールドをきめた葵は、俺の肩に乗せた顎を小刻みに震わせた。
そういや、こいつ雷が大の苦手だったっけか。


「………安心しろって。俺がいるんだからさ」


低く唸った雷にびくりと体を跳ねさせる葵の背中をさすってやれば、締め付ける力が強くなる。
この体勢は色々やばいんだけど、そこはもう我慢するしかない。


「…………ゆう」

「お?なんだ」


か細く名前を呼ばれて返事をすると、その声は微かに震えていた。


「…………こわいぃ……」


弱々しい泣き声をあげて、葵は静かにしゃくり上げる。
俺は少し強めに彼女の背中を抱き寄せてから、安心させる為に囁いた。


「大丈夫だっつーの。お前は今一人じゃないんだから」


出会った頃から、おばさんもおじさんも忙しい人だった。
だからこそ、こいつは一人で過ごしてきた夜が長い。それも、とてつもなく。
こんな夜にはきっと布団でも被って丸まりながら泣いていたに違いない。

直に感じる鼓動は早鐘を打っていて、俺はふとくっついていた体を離した。
それからごつん、とでこを合わせる。


「ゆ、う」

「いつもは一人かも知れねえけど、今は俺が一緒なんだからさ。雷でそんな泣くなって」


涙に潤んだ瞳に見つめられる。
うっすらと開いた唇は何とも魅力的だけど、流石に今さっきの『続き』をやるわけにはいかねーか。

もういちど抱き締める形にして頭をぽんぽんと叩けば、体の力を抜いた葵が小さく「ありがとう」と呟いた。


「………ったく、しょうがねーな」


―――俺の1つ上の幼馴染みは、年上とは思えないほど純粋で、臆病で、そして何より、


かわいい人だったりするんだな、これが。






次の日、退屈な数学の授業中、窓の外のグラウンドに葵が見えた。
ジャージを着て幅跳びをやっているところを見ると、今体育は陸上競技らしい。

短い助走の後力強く踏み切り、綺麗なフォームで宙を進む。
茶色い土の上をメジャーが測って、その記録に周りの人間が拍手をした。

窓側の席である俺はその特権を活かすべく、躊躇いなく窓に手をかけ全開にする。


「葵――――!!」


大声で名前を呼ぶと、葵はきょろきょろと辺りを見てから、俺に気付いた。
しかし、おお、と顔を上げた葵はすぐに目をそらし授業に戻る。

どうしたんだ、と疑問に首をひねった時、数学の教科担任が「西谷ぁ!!」と叫んだのがわかった。
黒板の前を見ると、額に青筋を浮かばせて仁王立ちをする男の姿が。

そこでようやく、俺は事態に気付く。

………授業中に窓を明けて外の生徒に声をかけるというのはどこからどう見てもアウトですよね、そりゃそうだ。


結局なんか反省文書かされたけど葵もいたしいいかな、なんて。

俺は俺が思っている以上に、彼女に惚れてるのかも知れない。


10/28

[ prevnext ]

[ back ]

×