純情シャングリラ | ナノ




「河野ー、1年の捻挫手当てしてやってー」

「すみません先輩、お願いします」

「はいよ」


まだ中学生らしさが残る後輩の足にテーピングをしながら、もう一人のマネージャーの子に声をかける。
バスケ部のマネージャーは私と2年生一人なので、意外に仕事は楽だ。


「小野ちゃん、スポドリもうちょい追加できるかな」

「あ、了解です」


耳の後ろで2つに束ねた髪の毛を揺らしながら体育館を出ていく姿を横目に、テーピング君から手を離した。
足首をぐるぐる動かしてもらって、痛みの確認。
マネージャーになった頃はこんなこと全く出来なかったのに、人間1年あれば変わるもんなんだな…。


「ほい完成!」

「すいません、ありがとうございます!」


バッシュを履いてコートに小走りで入る後輩君の背を見送りながら、私は次の次の休憩の時用のタオルを準備するため一旦体育館を出た。

部室棟の階段を上がってすぐの部屋が、男子バスケ部の部室だ。
隣の隣の隣がバレー部の部室で、たまにバレー部員とは鉢合わせたりもする。(ちょっと前は下がパンツ一丁の龍君に会った)

誰もいないのはわかっているけど念のためノックをしてから、慣れた部室の中に入った。
むわんとする汗臭さと男臭さにはいつまでたっても慣れないが、こればかりは我慢しかない。
棚の上からタオルの入った籠を取り、人数分手に抱える。

その時、がチャリとドアが開いた。



「「あ」」



主将の村田君だ。
2年の時のクラスメイトで、途中からマネージャーになりたいと言った私を快く歓迎してくれた人でもある。

まだ休憩じゃないのに、どうしたんだろう。


「何か取りに来たの?」


タオルを両手いっぱいに持ったまま尋ねると、村田君は「あ…いや…その……」と歯切れの悪い返事をする。


「…………言いたい事が、あってさ」


真剣な目をした村田君が私を真っ直ぐ見つめたまま、口を開いた。















雨空シャングリラ













「………お天気お姉さん、貴女を信じなかった私を許しておくれ……」


部活を終えた8時過ぎ、体育館の中から外の様子を見る。
何度見返したって雨は止まず(当たり前)、私は「今日は夕方から雨の確率100%☆」と言っていた気象予報のアナウンサーを思い出していた。


「あれ、河野傘は?」


村田君に聞かれたのでお手上げのポーズをすると、それは災難だな、と同情される。
なんか気まずい感じになるかと思ったけど、大丈夫そうだ。


「自転車だっけ?」

「そうなんだよね、これが」


まあ最悪、自転車は学校に置いていけばいい。
問題は、傘がないことだ。

暗雲立ち込める空から落とされる大粒の雨の勢いはとどまるところを知らず、むしろ強くなっているような気さえする。

村田君が体育館の鍵を監督に渡して、バスケ部の練習は終了。
壊れたビニール傘でもひろって来て申し訳程度にでも雨を避けようかな、なんて現実逃避をしかけたころ。


「葵せんぱーい、昇降口の所で誰か待ってますよ」


可愛らしい傘を片手にそう声をかけられた。
小野ちゃんの傘に入れてもらって昇降口まで行けば、そこには部活が終わり黒いジャージ姿の夕が座っている。


「葵、一緒に帰ろうぜ!」


彼女にお礼を行ってから夕の所に行くと、ジャージは微かに湿っていた。


「待っててくれたの?」

「おう、今日は時間が合いそうだったからな」


バスケ部とバレー部の終わる時間は微妙にずれている。
うまく合った時には一緒に帰ることが多いのだけど、ここ最近は夕の方が遅くて合うことが少なくなっていた。


「夕、傘持ってたりする?」

「いんや、持ってねえ」

「…………自転車?」

「当たり前だ!」


ザーッとバケツをひっくり返したような雨音が、私達の沈黙をかき消す。
二人とも自転車で、傘は一本もない。
おまけに雨足はどんどん激しくなっていて、蒸し暑さで息苦しいほどだ。

いくら学校に近いとはいえ、雨の中傘もささずに歩ける距離の家でもないし、ふむ、万策尽きたな。


「葵ー、自転車取りに行こーぜ」

「…………あいよ」


事の重大さに気付いているのかいないのか、夕は雨なんて見えないかのように、ごく普通に自転車置き場に向かう。

鍵を外してさあどうしようか、と言おうとした時には、夕はもう自転車にまたがっていた。


「よっしゃ、飛ばしていくぜ!」

「え、このまま突破すんの?」

「それ以外に道はねぇ!!!」

「お、男らしい……」


断じて褒め言葉じゃない。
だけど確かに、ここは雨に耐えて帰らないとどうにもならないだろう。

羽織っていた上着を一度脱ぎ、頭の上から被る。これで若干雨をしのげるはずだ。
「それいいな」と夕も私と同じスタイルになった所で準備は万端。


「よし、急いで帰ろ」


雨がこれ以上強くなったら、多分視界が悪すぎて自転車には乗れない。
雷なんて鳴ったら、一貫の終わりだ。

ジャージを頭から被った自転車に乗る二人組という謎のコンビを作ったところで、私と夕は同時に屋根の外へ出た。


「うわっ、雨つよっ」


思ったよりも粒が大きくて、当たると地味にいたい。
濡れた地面に滑らないよう注意を払いつつ、それぞれの家に一直線だ。







「…………ついたよ……、夕……」

「…おお……長かった、な………」


夜、どしゃ降りの通学路を爆走すること数十分。
私達は髪の先から水を滴らせながら、どうにか家に辿り着いた。
いつ雷が鳴ってもおかしくないくらい雨は激しくなっていて、私は家のドアの前に立つ。
確か今日もうちの両親は遅い。


「じゃあね夕」


鍵を取り出して急いで家の中に入ろうと鍵穴に当てた時だった。


「あ―――――――――っ!!!!」


隣の家の玄関に立った夕が、エナメルに顔を突っ込んだ状態で叫ぶ。


「どうしたの?」

「…………………家の鍵、忘れた」


口をあんぐりと開けて、こちらを見る夕。
ほんとに、ほんとにこいつはバカなんじゃないだろうか。


「おばさんは?」

「友達と飯食いに行った」

「……おじさんは?」

「今晩飲み会だって」


この雨だ、下手したら電車も止まって帰って来られないかも知れない。
いつもは立っている夕の髪の毛がぐっしょり濡れているのを見て、私は呆れて言った。





「………このまま外にいたら、風邪引くよ。うちにお入んなさい」





顔を上げて目を輝かせた夕に苦笑して、私は家のドアを大きくあけた。
彼の家におばさんかおじさんが帰ってくるまで、夕と二人で私の家に居るしかないみたいだ。



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