:慟哭の果てで花が枯れる

春になるとうつくしい桜が見られるのだと教わってからの俺は、ここ数日ずっと胸を躍らせている。肌寒い秋を経て、じきに季節は冬へと移ろうだろうし、きっとこの地は今年も雪が降るのだろうが…それでも耐え忍ぶことが出来るのは、俺がおそらく綺麗なものを愛でるだけの気概があるからだ。仲間たちはそんな俺をやや馬鹿にして笑うけれど、俺はそういう気概は是非とも大事にしていきたいと思っている。書でも器でもうつくしいものはうつくしい。草木も花も丘も山も。うつくしいものは喪われれば悲しいし、出来るならずっとそこにあってほしいのだ。俺は。
青々とした葉を揺らせている大木を、縁側でぼんやりと見上げていると声を掛けられた。同時にぱしりと頭を叩かれて顔を向けると、そこに立っていたのは意地のわるそうに口を曲げた男である。片手に書を持つその姿と、いくさばで刀を取るそれとを重ねることがどうしても出来なくていつも首を捻ってしまうが、これはそういう男なのだ。「基…」名を呼ぼうとするとあからさまに機嫌を損ねた顔をするので慌てて口を噤んですぐ、直す。

「又兵衛」
「こんな所で風流ですねぇ? …オマエも好事家か」
「お前も、ってことはお前も、だな?」
「一緒にするんじゃねえよ」

憎まれ口を叩きながら柱に背を預ける。隣にどうだと催促しても、一瞥をくれただけでふいと逸らされてしまった。野良のような仕草に笑ってしまいそうだったが、無駄に気を悪くさせるのも良くないと声を飲みこんでおく。昼が少し傾き出し、青葉がざわざわと鳴り始めたその中で白く痩せた指先が静かに紙を捲る音を聞いていると、なんとなしに、心臓のあたりがふっと安らぐような気がした。

「俺さ、万葉集好きなんだよね」
「はあ?」
「"我背児尓 吾恋居者 吾屋戸之 草佐倍思 浦乾来"、とか?」
「……それはまあ随分と色恋沙汰にオネツなようで」
「茶化すなよ、好きなんだ」

振り返ると、見上げる俺からはその表情の半分くらいが書で隠れていて見えないが、唯一かち合った瞳ふたつだけはとても穏やかに見えた。こいつは態度こそ素直じゃないが、残念、目は口ほどに物を言うのである。俺はその目を見上げながら次の花見が楽しみだな、一緒に酒でも飲もう、とぽろっと口にした。又兵衛は何の脈絡もない言葉に一瞬、面食らったようだったが、すぐに瞠った目を眇めてまたふいと逸らしてしまう。俺は笑った。否定にも取れるが、俺をそれは肯定としたから。都合のいいように修正するのが人間というものだろう。ややあって紙を捲る音がする。俺はそれと青葉の音を聞きながら目を閉じる。






次の年、ついに桜を見ることは叶わなかった。焼き払われて、それで終いである。
地獄の窯の蓋が開くとこうなるのだ。三途の川が溢れ、血の池が氾濫し、針の山々が容易く腹を貫いている。一度ならず二度までも、俺はそいつを救えなかった。身内の冷笑と嘲笑の中で日を追うごとに死に絶えていく友人から俺は、あろうことか、目を背けてしまった。素直じゃない。目は口ほどに物を言う。その目が最後まで俺を見ていたことに気付いていたのに、俺は血のにじむ布をその痩せた背に見て以来もう限界だったのだ。「キ、ひ、ひひヒ……」ある日、俺は目の前で人がひとり狂うのを見た。何も望めないその瞳は色と明かりを失ってしまった。生臭い血を浴びてげらげらと笑う男にはかつての面影が残っていたからこそ、尚、ひどい。復讐と執念に身を焦がし、憎き名を書き付ける指先はとっくに墨と血で真っ黒になっているのに螺子の外れた頭では気付けないようで、俺はもう進言も出来なかった。会話もおそらく許されないだろう。

屍をいくつも転がして、雨曝しのまま濁った空を見上げるかつての友人を、俺はどうすることも出来ないまま窺っている。そして俺はその、さも血を洗い流しているかのような姿を、とてもうつくしいと、思っている。できるならずっとそこにあってほしいと溜息を吐いたほどに。「基次」、その名を呼ぶのはもう俺しかいない。しかし返されることは無く、受け止められる事も無く、呼ぶ声は雨に潰されて落ち、ただ腐るのを待つのみであった。




(140305)
bsr4:後藤又兵衛+男主


「#幼馴染」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -