伊助編



「伊助、帰ろう。」
庄ちゃんの声に振りかえって頷いた。
ボロボロのランドセルを背負ってクラスのみんなに挨拶をする。
「バイバイ、伊助、また明日!」
そう言って、手を振るクラスメイト達の事が、僕はとても好きだ。

僕達に新しい兄弟ができて数日、やっぱり馴染めない僕はここ最近、家に帰るのが憂鬱になっていた。
それを察してか、庄ちゃんは、ゆっくり歩く僕に合わせてゆっくり歩いてくれている。
タカ丸さんが来たことを、僕はどうしてか庄ちゃんにしかいえなかった。
新しい兄弟の人は、兵助兄ちゃんより年上で、お兄ちゃんと言うより、お兄さん、と言う感じだ。
そして、酷く、優しい。
そんなに積極的には喋って無いけれど、わかる。
多分、あの人は、いい人だ。
いい人で、だけど、だから、憂鬱。
今日の朝もテーブルにあったキレイなお弁当は、まだ重さをそのままに、僕のランドセルの中に入っている。
はぁ、とため息をついた。
横を歩いていた庄ちゃんが、心配そうに僕を伺っている。
「ねえ、庄ちゃん。」
「あぁ、何、伊助。」
「あのね、寄り道、してもいいかな。」


頷いた庄ちゃんを連れて僕は学校の通学路からそれた、土手へ来ていた。
何人か走ったり犬を散歩させたり、大学生くらいの人が吹くトランペットの音が響いたりしているのを横目に、川が見える位置に座り込んだ。
「良い風が吹いてるよね、庄ちゃん。」
声を掛けると、あからさまに困った顔をした庄ちゃんが、短く頷いた。
もやもやする胸の奥は、掻き毟りたいほどいつもの僕とは違うから、余計。
「わっ!」
短い庄ちゃんの悲鳴に目をやると、僕と違って立ったままの庄ちゃんの足元に犬がじゃれ付いていた。
「犬だね」
「うん、わわ、困ったなぁ。野良犬かな?」
庄ちゃんが、手を伸ばしたりひっこめたりしているのを僕は横から掻っ攫ってひざに乗せる。
庄ちゃんは、あんまり生き物に触りたがらない。
「助かったよ、伊助」
「うん。どうしたのかな、おい、お前、家はどこ?」
まだ子犬ほどの犬は柴犬に良く似ていたが少し違う。雑種だろうか。
顔をつき合わせて尋ねると、わん、と短く吼えたその犬は、べろりと僕の顔をなめた。
「あっ」
「わぁ!あはは」
くすぐったくて笑ってしまう。
隣で庄ちゃんが身じろぎした。
舌が届かないところまで離すと、わふ、とおとなしくなった。
「こいつ、おなか減ってるのかな?」
「どうかな。」
短く答えて、野良なら何もあげないほうがいいよ、と言われた。
そんなこといったって、僕はもうすでにこの犬に愛着がわいてしまったので、懐かれたらどうしようかな、という考えは頭の隅に追いやることにした。
「なんかなかったっけ…?」
ごそごそランドセルをあさる。
「あ」
でてきた。そうだ。お弁当箱。
朝、彼が、つくったまま。
震える手で掴んで、お弁当箱を広げる。
ひざに乗ったままの犬が興味深そうに鼻を鳴らした。
手が震える。僕は。何を。
「…ちょっと、硬くなってるかも知れないけど…食べる?」
「わん!」
元気良く答えた彼に(彼女?)、苦笑しながらミートボールを掴んで、口へ持っていくと、何度かかいだ後、がぶりと食べた。
あ。
あーあ。
まだ手が震えてる。
「…おいしい?」
「がう」
「…そう。」
ぺろぺろ口の周りをなめる彼は、もっとくれと言う風に僕を見上げた。
手が震える。頭の奥が、がんがん鳴っている気がした。
僕はそっとお弁当箱を下に置く。
犬がそれに釣られて寄ってきて、がつがつ食べた。
あぁ。やっちゃっ、た。

「…伊助」

庄ちゃんの低い声が響く。
僕は名前を呼ばれなかったのに、ぎゅう、と拳を強く握りこんで答えなかった。
うつむいて、突き刺さる庄ちゃんの視線から避ける。
何も言われないのに、責められてるみたい。
責められたって、おかしくないことを、僕は。
バカだな。でも、僕は食べたくないんだ、どうしても。
「伊助…お弁当、あったんだね」
庄ちゃんの低い声が随分近くで聞こえる。
隣に座ったのかな。
横を向くと、真剣な顔で僕を覗き込んでいる庄ちゃんと目が合った。
僕はあわてて下を向いた。
「…うん」
最近は、お昼は学校へ行く前こっそりパンを買っていた。
たまには気分を変えたんだって、みんなに嘘をついて。
「…いつも、こうしてたの?」
「ち、違う、違う…違うよ」
ゆるく首を振った。
いつもは家に帰って、こっそり自分の部屋で食べていた。
食べてる最中に気持ち悪くなって、でもなんとか飲み込んで、いつも泣いてしまう。
泣いてしまうから、みんなの前ではお弁当が食べられない。
なんで泣いてしまうのかわからない。兄弟が増えることはいいことだ。
兵助兄ちゃんだって、助かるって、言っていた。
でも僕はこころのもやもやが、晴れない。
ちゃんとわかってるのに、でももやもや。でもこれは僕のわがまま。
「…庄ちゃん」
「うん」
庄ちゃんが、返事をしてくれたので、顔を上げた。
真剣な顔でこっちを見る庄ちゃんにほっとする。
ちょっとだけ、愚痴をこぼすのを許してね。今日だけだから。
明日はちゃんと、タカ丸お兄さんが作ってくれたお弁当、僕は食べるよ。
「僕はね、嫌なやつになっちゃったんだ。」
「…うん」
「せっかく作ってくれたお弁当なのに、兵助兄ちゃんが作ったお弁当より全然おいしそうでキレイで、なのに」
「うん」
「なのに、全然食べたくないんだ。食べたって、おいしいなんて、感じないんだ。せっかく作ってくれたのにね。」
「うん」
「僕の兄弟になってくれるんだって。みせいねんの兵助兄ちゃんができないことを、やってくれるんだって。助かるって言ってた。でも僕は」
「うん」
「タカ丸さんね、お仕事してるのに毎朝作ってくれるんだよ。でもね、僕、嫌なヤツだから、本当に嫌なやつになっちゃったから、犬に食べさせても良いやって」
「うん」
「僕のかわりにおいしく食べてくれるんならいいやって。僕、嫌なやつだなぁ。嫌なやつになっちゃった…」
僕は嫌なやつになっちゃって、このもやもやは三郎次兄にも言えない。
まだまだおいしそうにガツガツ食べる犬に目を向ける。
よかったね、腹いっぱいになるかい?
隣にいた庄ちゃんが、僕が握り締めたままだった手のひらを掴んでそっと開いた。
「伊助は、嫌なやつじゃないよ」
そういって握り締めてくれた手は暖かかった。
僕の目は思わず緩んで、我慢していた涙がこぼれてしまった。
三郎次兄が帰ってくる前に帰らなきゃ。
でもまだ帰りたくない。
きゅ、と庄ちゃんの手を握り返して、僕はもう少しだけ泣いた。

「ありがとう庄ちゃん」
「うん」
頷いた庄ちゃんはずっと僕の手を握り締めてくれる。
お弁当を食べ終わったのか、犬が僕のズボンの裾を引っ張った。
それに、ごめんね、もうないよ、と答えながら、もしかしたら僕は明日もここへ来てしまうんじゃないかって、不安になった。
僕はなんて嫌なやつなんだろう。











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