あめ
「目をつむれ」
伊作の不運に付き合って泥だらけになって、体を洗うために井戸に来た俺と鉢合わせしたのは文次郎だった。
仲が悪いと言うよりかは馬が合わないと言った方が正しい俺たちの関係のせいか、俺からはまだしも文次郎から俺に話かけてくることは珍しい事だった。
さっき思い切りかけた水が頬を伝って顎に伝わり足袋の上へポタリと落ちた。
「なぜだ」
「いいから、つむれ」
俺の問いかけは何も間違ってはいないのに、イライラしたように言う文次郎は、目をつむれ、の一点張りだ。
どうしようもないので、優しい9年目のプリンスは目を閉じてやることにした。
井戸からそっと体を離して目を閉じる。
「ほら、閉じたぞ」
「…手を出せ」
「?こうか」
「違う…こっちに向けるんじゃなくて…」
手をあげると焦った文次郎の声がぐっと近づき、あげた左手を掴まれた。
思わず開けそうになる目をなんとかこらえて、なすがままになる。
触れたヤツの手のひらは、さすが6年間やっているだけあるような、きり傷やタコや豆があるものだった。
取られた手はお椀型に作られ空を見上げた。
まるで何かをねだるような手だ。
「―おい、もういいだろ。何するんだ」
「まだだ。目をあけるなよ」
頑なに、はっきりと声を出す文次郎におされて、黙ってしまう。
二人で何をやっているんだろう、全く。
俺たちが仲良くすると雨が降るからなどと言っていたのは誰だったろう、
あいにく今日は晴れでも雨でもない。
トン
と軽い衝撃とともに指先をまるみこまれて、拳を握らされた。
手のひらに何かを入れられたらしい、丸い小さなモノが指に触れる。
「…?―おい文次郎」
思わず目をあけると、顔が近くて驚いた。
しかしそれは向こうも同じだったらしく、ぽかんと目を見開いて何かよくわかっていない顔をしたまま、俺の手を握り込んだまま、文次郎が固まった。
いつも眉間にシワをよせて隈をつけているから、この顔は新鮮だ、と、いつもこんな顔してりゃあまだ―…とそこで我に返る。
何を考えている、俺は。
「…っ!!お前、急に開けるんじゃないバカタレ!」
「あ…あぁ…悪い…」
ガバッと離れた体温が惜しいと思った俺は、少々君が悪かったので思わず反射のように謝ってしまったが別に俺が悪いわけじゃない。
というか文次郎相手に俺が悪かろうが謝る必要はない。ハズだ。
それに毒を抜かれたのか、拍子抜けした声を出して文次郎が、それ、と俺の右手を指した。
まだ何か確認していない。
「それ、やる。」
「…………へっ?」
「…それだけだバカタレ。じゃあな」
「えっ…おい!」
それだけと言って背を向けて去っていく文次郎の背中に声をかけたが、振り返る筈もなく、今日はなんかの日なのだろうかとか頭がぐるぐる回る。
有り得ない。
全く有り得ない。
文次郎が俺に何か渡すのも、俺がすんなり受け取ってしまうのも、全部全部、有り得なかった。
右手を開けると飴玉、だった。
砂糖の固まりのそれは、とても甘く甘く、どこか居心地が悪くなるもので、けれどいつまでもそれを口に入れておきたくなるのも確かで、
こんなものを寄越す真意はさっぱり掴めないが、口に放り投げた。
予想通りの甘さが広がって、尻がムズムズする。
全く有り得ないのだ、こんなものをやつが持って行たのも、それを俺に寄越すのも。
ただ、目をつむれと言ったのは、あいつの唯一の逃げだったのかも知れないと思うと少し笑えた。
唾液で飴が溶けてよりいっそう甘い味が口に広がる。
吐いた息さえ甘い気がした。
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初書き食満と文次郎
甘いぃ!!
宮上 100326