穏やかな光が差しこむ、ブリオニア邸のある一部屋にて。
 広い室内には、大小様々なカンバスが無造作に置かれ、その一つ一つが美しい彩りを放っていた。
 沢山の鮮やかな色に囲まれた部屋の中央で、真白のカンバスに向かう人形がいた。彼女の持つ絵筆が、そっと真白に落とされる。つい、と動かされた絵筆の通った跡には朝焼け色がふわりと広がった。絵筆が色とりどりの軌跡を描く度に、無垢な瞳を通して映し出された彼女の『せかい』がカンバスに広がってゆく。
 彼女がカンバスへと向かった時刻には、空の一番高い場所に昇っていた太陽は、いつの間にか夕焼けのオレンジを引き連れて、地平線の彼方へと去ろうとしていた。徐々に広がっていくミッドナイトブルーの足音に、彼女がはっと気を取られた瞬間、薄暗くなっていた部屋に眩い明りが点る。
「……ああ、やっぱり。帰ってきていたんだね、リュイオンさん」
 そう柔らかく声を掛けるのは、このブリオニア邸の主であるサイトだった。その姿を大きなナイルブルーの双眸で捉えた彼女――リュイオンは、花の綻ぶような笑顔でこくりと頷く。
「ただいま、サイトさん」
「おかえりなさい。今回の旅は、どんな旅でしたか? ――その様子だと、きっと素敵なものだったんだね」
 サイトは部屋一面に広がる、彼女の心象風景を描いたカンバス達を一つ一つ眺める。
 ――リュイオンという画家その人は、まるで大空を気ままに流れていく雲のように、ふわり、ふわりとしていた。ふらりと旅に出ては、ふらりと邸に訪れ、数日程この部屋に滞在して旅の情景を幾つも描きあげる。そして全て描き終われば、またふらりと居なくなる。彼女が描いては邸に残していく沢山の絵を鑑賞する事が、いつしかサイトの楽しみとなっていた。
 カンバスに切り取られた小さな世界は、とても優しく穏やかな光に満ちていた。
幸せそうに笑う人々、生き生きとした動物達、草木のそよぐ音、川のせせらぎ――。
 彼女の描く幸福な世界は、サイトにとってはそのどれもが眩く輝いていて、強く心を捉えて離さなかった。彼女の絵を見るたびに、サイトは外の世界に想いを馳せる。花畑の向こう側に広がる未知の世界に、これまで邸を訪れた旅人達の言葉を一つ一つ思い返しながら。

 ――このブリオニア邸の外には、どんな世界が在るのだろう。

 かの魔女は言った。人の世界は酷く醜く恐ろしい、と。
 かの旅人は言った。外の世界は果てしなく広くて自由だ、と。
 そして彼女の絵が語るのだ。この世界はとても美しい、と。

 ――考えれば考える程、分からなくなる。
 だからこそ、世界を自分自身の目で確かめたくなるのだ。それはきっと、今までサイトに自らの旅路を語り聞かせた者達も抱いてきた感情なのだろう。
「サイトさん」
 思考の波に呑まれた意識を、ふと引き戻す声がする。サイトが声の主であるリュイオンに向き直ると、目の前に一本の絵筆が差し出された。
「今度はあなたが教えてください、サイトさん。あなたの見ている、世界を」
「……私の見ている世界、か。――わかった。頑張ってみますね」
 頷きと共に差し出された絵筆を手に取ると、彼女はとても幸せそうに微笑んだ。




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