平穏な奇跡を愛する


 ――何の変哲も無い何処かの公園にて。

 今正に目の前で起こった出来事は奇跡だった。イミルイはその双眸を子供のように輝かせて、驚きを隠そうともしない。胸の前にあわせた両手が、そろそろと口元へ伸びる。何かを発しかけた唇からは未だ言葉は生まれず、僅かに開いた隙間からは小さく驚嘆の息が漏れるのみだった。
 そして、そんな相手をダンテは得意満面の笑みで見守っている。その両手には通りがかりの野良猫を抱えたまま。前足の付け根に両手を入れて、ぷらりと抱いた猫の後ろ足と尻尾が揺れている。猫目はじっとイミルイを見つめ、イミルイもまたしっかりと見返していた。くわんと猫の口が開く。と同時に。

「そんなにイミルイに見られると照れるニャン」
「!? また猫が……喋りました……」

 歓喜はイミルイのものだった。ぱたと一度衝動で手を揺らしてから、呼吸を整えるのに専念する。まるで手品を初めて目にした子供のよう、というのは間近で向き合っていたダンテの心情だった。クク、なんて漏れかけた笑みを堪えて、神父は朗らかに語る。
「ねえ、イミルイさん。ワタクシの言った事は本当だったでしょう? 猫達《かれら》は本当は喋れるのですよ。ただ、知ってのとおり猫は恥ずかしがりやが多いものですから、中々素直になれないのです。ほら、優里さんも照れ屋さんではありませんか」
「知らなかった……です。だってその猫、この間……話してくれませんでしたから」
「筋金入りの照れ屋なんでしょうねぇ。二度目ましてになってようやく、喋る勇気が出たんです」

 ささやかに微笑みあう両者のやり取りを、傍観していた人影が溜息を零す。もう看過できない、とでも言いたげに腕を組んで、歩み寄ってきたのはクルミだった。
「――よくもそこまで生き生きと適当をぬかせるものだな。貴様は本当に聖職者か? モーセの十戒には偽証をしてはならないともあるはずだが」
「無論存じておりますとも、クルミ君。しかし私が責められるいわれはありません。何故なら真実、このにゃんこは喋ったのですから」
「どうして猫が貴様の裏声で喋る」
「猫は人間のように発話するための声帯を持ち得ないためです。なので、ワタクシが一時声を貸して差し上げたのですよ。それとついでに情緒や感情、あと思考なども貸し与えてみました。ワタクシとこの猫が生み出す一体感、正しくミラクル。いえいえ、そんな驚かれる事はありません。全ては主を信じる気持ちがあればこそです」
「ダンテ……お前が寝言を言っている事だけはよく分かった。目覚まし代わりに叩いてやるから潔く左の頬を差し出せ」
「あれそれって自動的に右の頬もぶたれるフラグですよね!? やめてクダサーイ、暴力反対デース」
 やいやい言い合いを始める二人の間に挟まれる形となったイミルイだったが、クルミの袖を引くと、先程からどうしても伝えたかった事をようやく口にし始める。
「クルミ、この間ここの公園で一緒に遊んだ猫……喋ったんですよ。聞きましたか……?」
「……いや、イミルイ。さっきのは」
「他の猫も、きっと……今みたいに喋るんです。たくさんお話ができたら、もっと楽しいですね……」
 空気を含んで笑む。ふふ、と柔らかで幸せな声。綻んだ花のような笑顔を目の前にして、クルミはそれ以上の発言をしていいものか迷った。偽りを偽りのまま受け入れられない正義と、純粋に喜ぶイミルイの笑顔を消したくない願望と。するりと傍観側に逃れたダンテは満面の笑みを面に広げ、二人の人形を観察する。無表情のまま暫し沈黙していた胡桃割り人形は、やがて肩の力を抜き、小さく頷いた。
「ああ、そうだな」
 心の中で苦し紛れに、“もしも”という前提を無音で付け加えて。
「猫が喋ったらそれは、楽しいだろう……な」
 にゃあ。鳴いた声は紛れもない猫《かれ》自身の意思であり、肯定の意を含んでいる。

 ――何処よりも理想郷に近い、とある公園より。








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