あなたと過ごす1時間あまり


STEP1.まずは名前を覚えましょう
 初めてに等しかった。或いは、真実初めてであったかもしれない。クルミが自分以外の、自分と同じように動く人形に出会うのは。相手もまた、彼の事を不思議そうに見つめている。
 なんて事はない、取るに足らないありふれた路地の端。往来を避けた互いのささやかな気遣いの元、生まれた時間を埋める言葉がある。
「……はじめまして」
 思ったよりも、はっきりと届いた囁きはイミルイのものだった。ふわりと薄青紫の髪が揺れる。風の行方を目で追いながら、彼も口を開く。
 それから歩み寄って、名前を名乗りあうのに然程時間はかからなかった。

STEP2.相手の呼び方を決めましょう
「クルミ、でいいですか?」
「何がだ?」
「あなたの呼び方、です」
 どちらが言い出した訳でもなく、イミルイとクルミは並んで歩き出していた。淡々と、淡々と進む。けれどどちらともが隣の相手を気にしながら、歩調を合わせていた。
「それで良い。最初に言い出したという事は、一番君が呼びやすい名前なんだろう? きちんと認識できる呼称だしな」
「……クルミは、むずかしいものの言い方をするんですね」
「難しいというよりは、持って回った言い方が多いんだろう。面と向かって指摘したのは、イミルイが初めてだが」
 徐々に、意識せずとも揃う足並み。口ずさむ名前も舌に馴染んで、まるで昔から知っていたかのようになっていた。

STEP3.一緒に食事をしましょう
「僕は……食事をしないのです」
 指差した喫茶店の提案を、イミルイは申し訳なさそうに断った。下がった視線と、体の前で重ねた手を握り締める仕草とが、クルミの硝子球の目に映る。
「そうか、済まない。なら次だな」
 ちくりと針の刺さる場所《こころ》は無くとも、謝罪の言葉は素直に生まれた。
 人のように食事の提案をしながらも機械的な応対できしかできない人形と、食事はできずとも自然な振る舞いのできる人形と。似て非なる二人は古びた喫茶店を通り過ぎて、その先にある公園を目指した。

STEP4.相手の好きなものを知りましょう
 差し出した手にじゃれついてくる。随分と人馴れしているこの野良猫は、最初こそ餌目当てで擦り寄ってきたのだろうが、今や目的を忘れてごろごろと喉を鳴らしてすらいた。
 膝を折って満足げに猫を撫でているイミルイを、クルミは見守っている。そのまま何も言わなければ、一日中猫をじゃらして過ごしていそうな相手に、そろりと声を掛けた。
「もしかして、君は猫が好きなのか?」
「どうしてわかったんですか?」
「どうしても何も」
 微かな驚きを込めて見上げてくる視線を、受け止める青年の瞳も驚いている。
「それほど楽しそうに猫と戯れていたら、誰が見ても分かると思うが」
「……猫は可愛い、ですから」
 遂には仰向けになって、腹まで撫でるようせがむ小さな獣は、繰り広げられる会話に全く無頓着。その無邪気さに、知らずクルミの口元も緩んでいた。
「そんなに好きなら、写真でも撮るか? 丁度デジタルカメラを持ってきている」
「僕が撮っていいんですか……?」
「ああ。君の方が上手く撮れそうだからな」
 ポケットから出したカメラを受け取った時の、その嬉しそうな顔といったらまるで子供のようで。けして賑やかではないが、くるくると豊かな表情を見せるイミルイを、気づけば目で追ってしまう。
 つぶさに観察していたのだから、しっかり両手で掴むその力加減や、必要以上に持ち上がっている肩などに、気づいてはいた。気づいてはいたのだが。
 相手がシャッターを切った瞬間、クルミは今まで撮影の時には聞いた事のないような音を耳にする事になる。それが、ついさっきまで正常に動作していたカメラの断末魔であると気づいたのは、飛び上がって逃げ去っていく野良猫が見えなくなってからだった。
「……クルミ……カメラが動かなくなってしまいました」
 それがまだ“壊れた”ものと思えないのか、イミルイは不思議そうに何度もシャッターボタンを押していた。やがて不安そうに首を傾げると、白い煙すら吐き出し始めた小さな機械を手に立ち上がる。
「また……壊しちゃったんでしょうか……」
「また、という事は君は機械と相性が悪いのか?」
「相性は、わからないです……けれど、以前シェイリッドもカメラを貸してくれなかったですから……」
「そうか。なんというか、見事な壊れっぷりだ。多少の故障ならリペアできるが、これは直せそうにないな」
「すみません、クルミ……」
「? 別に構わない。俺が個人的に買った物で、マスターの私物じゃないから壊れても支障はないんだ。今、記憶媒体も無事に取り出せたから、さっき撮った猫の写真も現像できる。メモリが破損していなければ、の話だがな。イミルイがそんな顔をする事はない」
「――」
 消えたはずの猫が、植え込みの茂みの隙間から見つめる。当人達は少しも、気づいていなかったけれど。

STEP5.相手に興味を持ってもらいましょう
「クルミにも……マスターがいるんですか?」
「ああ。存在の全てを懸けてでも守りたい人だ。何かと一人で思いつめる事が多い人で、その度に自分の無力さを痛感するんだがな。――クルミにも、という事は君にも主人が居るのか?」
「はい……お仕事の都合で、なかなか傍にいられなかったりもしますけれど……失いたくない、大切なひとの内のひとり、です」
 語る言葉に優しさが乗る。気づけば互いにくすりと微笑んでいた。
「そうか。同じ、だな」
「ふふ……同じ、ですね」

STEP6.そろそろ心の準備をしましょう
 それからどのくらいの時間が経ったのか。広い公園を横切って反対側の出口に辿り着く。
 交わらないはずの道が交わったのも束の間、勤勉な時計の針は休む事を知らないがために、その瞬間は呆気なくやってきた。
 ぴたりと途切れる足音と、一歩だけ過ぎた足音。
 ひとまず、終着点の岐路に立った。

STEP7.再会の言葉を考えましょう
「僕はこちら、ですから……」
 指差す方向は、クルミの帰り道とは逆だった。寧ろ、何の約束もなく今まで一緒に歩いていた事こそが不思議である。
「すまない、とりたてて用件も無く散歩につき合わせてしまって。時間は大丈夫か?」
「はい……急ぎの用事もありませんし……。猫とも遊べて楽しかった、ですよ」
 それだけで、別れの言葉も別段要らないほど自然な流れの中、再び見知らぬ他人同士になりかける。その直前、クルミは何かを思い出して、手中のメモリーカードを掲げる。
「イミルイ。またお互いにこの道を通る用事があって、出会えたら」
「――?」
「この写真を現像して君に渡そうと思う。忘れた頃になってしまうかもしれないが……その時は受け取ってくれるか?」
 約束よりもささやかな提案を、澄み渡った青空だけが知る昼下がりに。
「……わかりました。楽しみにしています……だからまた、会えるといいですね」
 自覚のないまま浮かべた穏やかな表情は、お互いが知るのみだった。


【お題“あなたと過ごす2週間”より抜粋 配布元:りらの花と満月の夜






人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -