名も無き怪物


 こわい、こわい夢を見た。眠りを要さぬ人形が垣間見たそれが真実、夢であったかは分からない。けれど、その悪い予感と肌にじっとりと纏わりつく不安を悪夢と言わず何と言おう。
 夜明けの曖昧な時間。気づけば、イミルイは駆け足で詩雨を探していた。お屋敷の中をぱたぱた、自分の奏でる足音すら得体が知れない。延々続くかに思われた廊下を辿り、ようやく行き着いた玄関で、探し人は扉を閉めるべく背を向けて佇んでいた。
 表情の窺えない角度と、此方に気づいていないがゆえの無言に、イミルイの足が僅かに竦んだ。
 もしも、このまま走り寄って――何時ものようにお帰りを言ったのに――彼女は柔らかくイミルイを拒む。ごめんね、イミルイちゃん。もうさよならなんだよ。
 もうってどういうことですか? どうしてさよならしなくちゃいけないんですか? 僕はひとりぼっちになるんですか?
 おねえさん。ひとりぼっちは怖いのに。
 どうして、笑っているんですか?
「あれ、イミルイちゃん。お出迎え?」
 気づけば目前に近づいていた詩雨の呼びかけ、待ち侘びていた優しい声。けれどそれが優しければ優しいほど、イミルイの恐れは募るばかりだった。
 朝でも夜でもないこの時間には魔物が居るのです。そこかしこに潜んでは、ひとりで居る子を引きずり込んで食べてしまうのです。だから、ひとりぼっちになると後ろばかり気になるのです。大きな口を開けて、今にも襲い掛かってくる怪物が見えるでしょう?
 でも一番怖いのは怪物でも、食べられてしまうことでもなくて。この世から居なくなってしまう間際、自分の存在を惜しんでくれる人が誰一人居ないことなのです。
「……どうかしたの? 私が居ない間、何かあった?」
 すいと髪を撫でる指。壊れ物を扱うような気遣いに、膨れ上がっていた寂しさが破裂する。堰をきって溢れ出す感情、不安定に揺れ動くのに合わせて肩を震わし、イミルイはふるふると頭を振った。
「なんでも……ないです」
 存在と許容を確かめるように両手を伸ばし、彼女の服の裾を掴む。
 名も無き怪物がうずくまり、住処としている場所はひょっとしたら。
「――おかえりなさい、おねえさん」
 その小さな小さな、胸の中かもしれない。




   





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