アップルフレーバーティー


 鼻の奥を突き抜けて、頭の中いっぱいに広がるアップルフレーバー。両手で包み込むカップの暖かさは、目の前で微笑を浮かべた邸の主が与える温もりと同義だった。
 お菓子の吸血鬼は崩した脚を組むと、振舞われたお茶にたっぷりと角砂糖を入れてかき混ぜる。どんな成り行きで此処へ招かれたのか。そして一時、席を共にする事になったのか。そんな事は些細な問題だった。そもそも、大層な理由など不要にさえ思えた。ふと辿り付いた者に対し、何時だって門扉が開かれている。恐らく、ブリオニア邸はそういう場所だ。
「――美味いなァ! このお茶、本当に美味しい! 君もお茶が好きなの? サイトさん」
「褒めてもらえて嬉しいな。だけど、私はお茶を飲まないよ。というより……飲めない、という方が正しいのかもしれないけど」
「そうなの? ……サイトさんは実は精巧な砂糖細工で、あったかいお茶を飲むと溶けちゃうとか?」
「いいや、そうじゃないんです。でも、もし私が砂糖細工だったら……そう考えるのは、少し新鮮だな。マヨアさんは面白い事を言うんですね」
「うん、よく言われるー。お前は、頭もお菓子な奴だな、って。あはは! 僕は何時だって真面目に話してるだけなんだけどなあ」
「ええ、わかります。茶化してる訳ではなくて、本当にそう思って言っていたんだろうなって、わかりますよ」
「だよね。だって君の目がさっきから穏やかなままだもの。僕を少しも馬鹿にしないし、怖がってもいない。それって、とっても素敵な事だね」
 カップの縁を五指で鷲づかみ、ぐいと煽る様はとてもではないが行儀が良いとは言えない。しかし、一口の度に歓声にも似た勢いで賞賛を零し、はしゃぐマヨアをサイトは和やかに見守っていた。
「でも……ちょっと残念だ」
 吸血鬼はぽつりと呟いた。今まで笑い転げんばかりに賑やかだったのに、今度はまるで葬儀の場に居合わせた者のように沈み込む。空のカップを持ったまま立ち上がるマヨアを、やはりサイトは見つめていた。
「これで君が凄く意地悪で、凄く陰険な奴だったら、きっとなんの躊躇いもなくプティングにしてしまえたのに。
 あのね。僕は実は軍人で、気づいたら此処へ迷い込んでいたんだ。度重なるトラブルで僕の部隊はちょっとした飢餓状態に陥ってる。だから、本当はこのお邸の全部を貰って、あわよくば此処に住んでる君もどうにしかしちゃおうっていう意気で乗り込んだんだけど」
 レースの敷かれたテーブル越しに、狂える吸血鬼の手が伸びる。邸の主は、微動だにしない。それを確かめて、マヨアはくしゃりと笑った。首を掴もうと目論んでいた掌は相手の滑らかな頬を軽く撫でただけであっさりと離れる。
「最初に君が僕を見かけた時、なんて言ったか覚えてる? ――この帽子を褒めてくれたんだ! とっても嬉しかったよ。君みたいなキレイな子をお菓子にしたら、ほっぺも落ちちゃうほど美味しいの間違いないんだけど……あの時のサイトさんに敬意を表して、今日はこれで引き下がろうと思う次第であります」
「優しいんだね、マヨアさん」
「ううん、違うよ。単に君には敵わないなあって思っただけ。それに、お菓子にして食べちゃったらもう、サイトさんとはお話できないでしょう? こうしてお茶だって一緒にできないし……それって勿体ないじゃない。人類規模の損失ー! あ、僕は吸血鬼だけど」
 それじゃあね、と今までの悲壮溢れる殺意をさっぱり仕舞いこんで、マヨアはソーサーの上にカップを戻す。首を傾いでひらりと手を振るサイトに、満面の笑みで応えた。
「じゃあ、またこの場所で」
 重なるのは再会を願う言葉である。穏やかな午後、太陽が柔らかに傾く頃。




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