テキスト | ナノ
黄瀬涼太は中学から高校にかけてのことを多く語らない。それは友人であっても仕事仲間であっても雑誌の取材でもテレビでも変わらない。そしてバスケ部であったのにバスケを避けていること。なにがあったのか、とまことしやかに囁かれ、いくつか明らかになっていることはあっても、すべては分かっていない。そこには青峰大輝の存在があるからだろう、二人の関係を知る一握りの人物でなければ黄瀬の中学から高校の出来事や考えを汲み取ることはできない。
中学に入って1年が過ぎた時に、二人はあった。付き合い始めたのは半年後。それから高校まで、彼らは付き合っていた。卒業と同時に別れた、というのは多少語弊が生まれる。別れは一方的で、黄瀬が青峰の意見を無視して別れを切り出した。そんなことを青峰は許さないで、8年がたった今でも、黄瀬に連絡を取ったり会ったりしている。



--------高校のころどんな学生でしたか?
普通の学生でしたよ。勉強が苦手で、部活をして、たまにモデルの仕事をしてました
--------部活はバスケ部だったそうでしたが、思い出に残る試合とか話とかありますか
あんまり話したくないので、ノーコメントでお願いします。別に嫌な思い出があるわけじゃなくて逆にとても楽しかったですよ



そんないつもと変わらないで黙秘を続けるインタビューが載った雑誌を見ながら青峰は黄瀬を待った。だんまりを続ける黄瀬に、インタビューアや記者は躍起になって話を聞き出そうとする。表現を代えたり、さりげなく別の話題に混ぜたり、たまに諦めているが形式的に聞いているだけの取材もあったりする。どんな形であれ、黄瀬はそれらの質問に答えることは無かった。ただ、楽しかった、と大まかにぼかしてから答える。
中学から高校まで、彼等は付き合っていた。バスケは二人にとって特別なものだった。共にコートに立ち、1on1では向かい合い、敵として戦い、それでもずっとバスケは二人の間に当たり前のように存在していた。高校と同時に一方的に別れを告げた黄瀬は、青峰に繋がるバスケを忘れようとした。だから、黙る。
静かな店内にメールの受信音が鳴った。青峰はスマートフォンを操作すると耳に当てた。『もしもし、ついたッスよ』と黄瀬の声が聞こえた。店の窓から外を見れば、サングラスと帽子で変装をした黄瀬が手をひらひらと振っていた。青峰は席から立ち上がり、レジに向かうとコーヒーの代金を払ってから店を出た。ありがとうございましたー、と後ろから女の店員の声が聞こえた。

「久しぶり、青峰」
「黄瀬、好きだ。付き合ってくれ」
「ごめん、無理。で、今日は何したい?よければ映画とかどう」

出会ってすぐに、青峰は告白する。別れてからの習慣になっていた。いつも黄瀬はそれを同じセリフで返して、すぐに話題を変える。毎回毎度青峰は本気だった、いつだって黄瀬と寄りを戻したいと考えているが、別れてから何度も繰り返される告白はいつだって無意味なものになってしまう。
スマートフォンを尻ポケットから取り出すと、黄瀬は操作してから青峰に見せる。洋物の作品で、感動系らしい、少しだけど恋愛要素も入っている。画像と説明文が書かれている画面を青峰はじいっと見た。ワザとなのかと問い詰めたくなる。黄瀬はいつも俺を振る癖に、恋人らしい雰囲気を作ろうとするのだ。そして、それに乗ってしまう自分にも嫌気がさす。昔を思い出して辛いだけなのに、恋人のころを懐かしむかのようにその空気を味わいたい。「いいぜ、それ行くか」あわよくば、甘ったるい雰囲気に流されて、黄瀬は「いいッスよ」と言ってくれるのを、期待している。








映画館に入ると、青峰がチケットを買って、黄瀬が食べ物の方にいく。黄瀬はいつもチュリトスセットで、青峰用にポップコーンセットを買ってくる。「これで良いよね」とプラスチックの籠を黄瀬は手渡しながら青峰に聞いた。これも恋人のころと変わらない会話、買ってるものも恋人のころと何一つ変わらなくて、頭を抱えてしまいたい。なんでそれで付き合ってくれないんだよ、と言ってしまいたい。そんなことを言ったって黄瀬は態度を変えないどころか機嫌を悪くして「帰る」とか言い出しかねないので、何も言わないで頷いてから籠を青峰は受け取る。

「席、後ろの方が良いだろ」
「そうッスね、ありがと」

代わりに、買ったチケットを黄瀬に手渡した。だいたいいつも後ろ、身長が高いからと人目を気にしないで見れるから。これだって、付き合っていたころと何ら変わりない。
館内に入れば、まだ始まっていないからかざわつきが多い。薄暗い中を、ゆっくりと歩いて奥まで行ってナンバーを見ながら席を探す。青峰が先に腰掛けて、黄瀬が続いて座った。
大きな画面では予告の映像が流れている。スパイ映画で、男が薄暗いなかを走っていく。敵らしい女が、その男の背中に向けて発砲した。「ねぇ、これ面白そうじゃないッスか。また来る?」と黄瀬は青峰に向けて尋ねた。顔を横に向ければ、薄暗いのに黄瀬の金髪はきれいに光っていた。もともと地毛だから、痛みはなく透き通って綺麗だ。「そうだな、また来るか」と青峰は返しながら、髪に触れようとした。その腕を黄瀬は自分の手で阻み笑った。

「ダメ」

黄瀬は小さく囁くように拒絶の言葉を口にした。恋人らしい雰囲気を自分で作る癖に、青峰からのアプローチを黄瀬は拒む。強引に触れてもよかったのだろうが、きっと後の雰囲気は最悪になる。青峰は溜息を吐いて正面を向きなおす。
予告よりも大きな音がして、映画のタイトルが現れた。それから二人はしばらく黙りこむ。先ほどの件から話しかけずらい青峰を置いて黄瀬は「あの人酷くね?」「あ、危ない」「あいつと絶対結ばれるべきッスよね」と小さな声で青峰に話しかける。青峰も頷いたり、「おー」「ああ」とか適当に相槌を打ちながら返事を返す。
肘掛においていた手に少しだけ違和感。小指が少しだけ思い。見なくても分かる、黄瀬の小指が自分の小指の上に重ねられているのだ。偶然を装って、黄瀬は青峰に触れる。青峰が嫌いになったわけではないから、恋人らしいことをしたいし付き合いたい。だけどそれは無理な話で、だからほんの少しだけ偶然を装って恋人らしいことをする。相手からされるのは嫌で、我儘だとは分かっていた。青峰だってその気に気が付いていて、黄瀬から触れられることにたいして文句は言わない。
映画が終わればそこでバイバイ。ぎりぎりまで一緒にいれればと最後までエンドロールを見てから席を立つ。飲み物と食べ物が入っていた籠を店員に渡してから、映画館を出た。

「じゃあね、また誘ってよ」
「おー、じゃあな」

さっさとタクシーを捕まえた黄瀬はすぐに消えた。その背中を青峰は見送る。
好きだ、黄瀬、好きなんだ。今度は相手がいないが、青峰はそう黄瀬に言葉を送った。黄瀬が青峰が好きなことも、よくよくに分かっている。だからこそ諦めきれないのだ。いっそのこと突き放してくれればいいと思うが、きっと自分は突き放されても黄瀬のことを諦めきれないだろう。中学時代に荒れていた自分を黄瀬がほおっておかなかったのと同じように。
タクシーの中で黄瀬は呟いた。「何やってんだろ、あん人も俺も」好きだよ、と付け足すように呟いた。まだ、まだ、これを伝えてはいけない。あと何年だろうか、と目を閉じて考える。来てほしいけど来てほしくないその日を黄瀬は考える。







--------最近、気になる人とかできましたか?
いる。昔の恋人なんだけど、今でも忘れられねぇでよ、会ったら毎回告白してんだけどそのたびに断られてんだよ
--------青峰選手を振るなんてすごいですね。どんな方なんですか
とりあえず綺麗だな、冷めてるけど優しいし、なにより俺のバスケを好きでいてくれる。


馬鹿だ。黄瀬は読んでいた雑誌を閉じる。何年前の話をしているんだかなぁと思うが、今でもインタビューで聞かれる恋愛の話には黄瀬のことしか書かれない。それが少し優越感、だけどいつかそこに知らない女のことが書かれるようになったらと考えると恐ろしい。
テーブルの上のカフェオレを手に取って飲む。ほろ苦い。
今でも青峰からのデートは帰国ごとに誘われる。付き合っていないからデートではなく遊びというのが正しいのだろうけれど。今度のオフは、前見た映画の予告であったスパイ物の映画を見に行くことになっている。少しでも彼の中の黄瀬が消えないように、遊びには絶対に行く。メールだって返す、電話だって出る。青峰のいるアメリカの時刻をいつだって気にしているし、試合だって見ている。それくらいに黄瀬は今でも愛している、だけどまだ時期ではない。
ぺらりぺらりとページをめくる。わざわざ海外から取り寄せた雑誌で、英語ばかりだ。苦手だった英語も、すっかり得意になってしまったが、たまにわからない時がある。その時は黄瀬は電子辞書やスマートフォンを活用しながら必死に読んでいった。
プレー中の写真に魅入る。まだ20代で、やっとアメリカにも慣れて、彼は活躍の場を増やしていた。記者のコメントも賛辞が並ぶようになった。そんな記事を読むと、今では関係ないはずなのに誇らしい気持ちになってしまう。
考え事をしていれば電話が鳴った。着信先は青峰だった。

「もしもーし、なんスか?」
『暇出来たから電話しただけだ。俺の試合見たか?』
「いつも言ってんじゃん、見てねーよ。忙しいんス」

嘘だ、ときどき見てる。本当は全部見ないようにしているけれど、どうしても辛いときは見てしまう。幸せそうにバスケをしている青峰を見て、元気をもらっていた。
『今回俺活躍したんだかんな、再放送とかでも良いから見ろよ』という青峰の声に、見たいという欲望がわく。「気が向いたら見るッス」と青峰も自分も納得できるような返事を返した。本当は全部見たい、見たいけれど見てしまったら覚悟が鈍ってしまう。青峰が堪えるならば、自分も耐えなければならない。あと少しだけ我慢だ。
壁時計を見れば、もうすぐ仕事の準備をしなければ間に合わない。「ごめん、これから仕事なんで切るッス。また後でかけてよ」と黄瀬はいう。自分からは電話はしない、青峰からさせることに意味がある。
電話を切ってから黄瀬は部屋着から出かける服を適当に着替えた。今日は雑誌の取材だけだから、そんなに着飾る必要はない。スニーカーに足を通して家を出る。タクシーに乗って、指定された店に入った。



雑誌の取材が始まった。撮影されたドラマのことを交えながら受け答えしていくと、いつもみたく話を聞きだそうと「ドラマの様に学生時代に大変だったこととかありますか」と目の前の女性は聞いてきた。今回のドラマは学園ものだから聞きやすいだろう、彼女は笑みを絶やさずにいた。黄瀬は「いつも大変でしたよ、仕事とか部活とか。特に勉強はダメでした」と当たり障りない返答をする。彼女は諦めず、部活はバスケ部だったそうですがエピソードとかありますか、と深追いして聞いてくるが、黄瀬はそれを「いつも忙しくて、毎日がそうだったので特にエピソードらしいエピソードはないですね」とはぐらかす。それからいくつか質問を受けてから取材は終わった。
お疲れ様でした、ありがとうございました。そうお互いが言って出ていこうとしたとき、黄瀬さん、と彼女が声をかけてきた。

「これは個人的なことですので答えなくても良いんですが、黄瀬さんはどうしてそんなに学生時代のことを話してくれないんですか?」

躍起になって根ほり葉ほり聞かれることはあったが、その根本を問われることは今までなかった。少し考えて黄瀬はぽつりぽつりと言葉をこぼした。
あの5年間は本当に俺にとって大切だったんです、だから誰にも知られたくない。大切な人がいて、とても幸せでした。誰かに話していったらだんだん嘘が混じってきたりしそうで、雑誌の都合で改変されたりされたりすることもあるし。だから、誰にも話さないで、あの5年間の本当に幸せだったことはあの人と俺だけがしっていればいいから、話さないって決めたんです。
ゆっくりと話聞かせるようにいう黄瀬に女は黙り込んだ。その大切な人、あの人っていうのは恋人ですか、と聞きたかったがそこまできっと答えてくれないだろうと彼女は悟った。「ありがとうございます」と再び礼を述べて頭を下げた。雑誌には載らない黄瀬の言葉は、彼女の胸の中に仕舞われた。







--------今回共演した女優さんで親しくなった方はいますか?
遠藤さんとは初めてお会いしたんですけど、仲良くなりましたね。はっきり言ってくる物言いとか、演技のことに一生懸命なところとか良いなあって思いました
--------では、タイプは遠藤さんみたいな方ですか?
それとこれとは別ですよ(笑)
--------では、どんな人がタイプなんですか?
えー、恥ずかしいッスね(笑)好きな人がタイプですよって何回言えば良いんスか





そんなことが書かれている雑誌のインタビュー記事のページを開きながら「なぁ、これって俺が好きってことで良いンだよな」と青峰は黄瀬に聞く。黄瀬はそのページを見ると顔をしかめた。どうしてそんなにうぬぼれられるんスか、と黄瀬は口を動かした。

「だって、お前まだ俺のこと好きだろ」
「そうッスけど、それとこれとは話が別ッスよ」

好きになった人がタイプってことは、毎回好きな人は変わるということだ。不安になれ、不安になれ。意地が悪いと思うが、そうやって気をこちらに向かせておかないといつ愛想を尽かされるか不安だ。意地悪いことばかりやっていても愛想を尽かされそうだから、たまにはこちらからアピールをすることも忘れない。まるで女子みたいだと自分でも思うが、仕方のないことだと思う。青峰の男らしさに比べたら、自分は女々しくなってしまうからだ。

「だったらさぁ、いつになったらお前はより戻してくれんだよ?」

いつだろね、と冷ややかに笑いながら青峰は黄瀬を見た。精悍な顔つきがくしゃりと歪む。苛立っているときの顔だ。怒らせた、愛想を尽かされるかな、そろそろ。ぼんやりとそんなことを黄瀬は思う。まるで他人事みたいにしか、考えられない。
青峰は別れてからも黄瀬を恋うてくれていた。自分が荒れていた時に傍にいてくれた黄瀬のことを思えば、待つことなど少しも辛くはなかった。今でも6年、別れてから月日が経過しているがそれ以上承諾の返事を待つことになっても、黄瀬と再び恋人になることを考えれば大した代償ではなかった。まっすぐに黄瀬を見る。いつだろね、と黄瀬は言った。具体的なことが分からなくても良かったが、ただその表情が気に入らなかった。

「…いつまでも俺がお前のこと好きだと思うなよ」

半分くらい脅しで言えば、黄瀬の表情は硬くなる。今までの余裕じみた表情は無くなって、瞳が右へ左へと揺れる。子供じみているが、それに満足感を得る。

「あんたが、プロを引退するまでは付き合えない」

黄瀬はそういうと青峰を見た。無表情に、少しだけ微笑みながら。何でだ、と聞く前に黄瀬が言葉をつなぐ。「俺と付き合うために引退してもそれはノーカウントだから。故障とか歳で引退しないとダメ」という黄瀬の顔は真顔で真剣で、恐ろしく綺麗だった。
青峰が理由を聞いても、それだけは言えない、と黄瀬は決して答えなかった。黄瀬の最後の細やかな抵抗だった。いつまで承諾の返事をしないのかも言わないで彼の心の中をできるだけ手中に収めたかったが、あんなことを言われてしまえば言うしかなかった。どんなに固く言わないと思っていても、青峰の一言でぼろぼろにその決意は崩れて落ちていく。

「約束しろよ、引退したら俺ともう一度付き合え」
「いいよ、あんたがそれまで独り身を我慢できたらだけどな」

喧嘩腰に二人でそう言った。きっと大丈夫だよな、あの人はきっと俺のもとに帰ってきてくれるよな。そう黄瀬は自分に自問自答をして言い聞かせる。帰ってくるまでは我慢する、あの人が誰を抱こうと付き合おうと我慢する。
青峰の睨むような一途な視線が居心地が悪くて「じゃあ、また」と黄瀬は一人店を出た。待て、と青峰の声が聞こえたが気にしない。黄瀬は青峰のあの目は弱かった。











--------優勝おめでとうございます
ありがとうございます
--------パーティは楽しかったですか?
やっとあのノリに慣れてきました。ジャンとジムのテンションが高くて面白かったな、酔って転んでも笑ってましたよ。
--------噂の思い人には祝ってもらえましたか?
あいつ多分バスケ嫌いなんです。けど、一応おめでとうとメールは来ましたね。
--------思い人の人、バスケ嫌いなんですか?以外ですね。
昔は大好きだったんですけど、別れてからはなんか嫌いっぽい感じですね。俺のことが嫌いだからバスケも嫌いなんじゃないですかね
--------それは辛いですね。別の人を好きになろうとは思わないんですか?
それは無いです。あいつだけしか考えられないですね(笑)もう一度バスケも好きになってほしいし、振り向かせられるまでバスケするつもりです



青峰のチームが優勝した。アメリカにわたって8年目で2度目の優勝だ。青峰も26歳になっていた。相変わらず、青峰は黄瀬が好きだった。思い過ごしでなければ、黄瀬も青峰のことが好きだと青峰は思っていた。
優勝した後のパーティやらごたごたしたあれこれが終わったあと、また日本に帰ってきた青峰は黄瀬を呼びつけた。こじんまりとしたカフェで向かい合いながら雑談をする。
自分が答えたインタビュー記事をめくる。様々な選手のインタビューが書かれていた。昔は小さくしか取り上げられなかった青峰も、いまではすっかりチームにも馴染み確固たる地位を築いて、インタビューや写真もほかの選手と同じくらい大きく取り上げられている。黄瀬が好きだと言ってくれていたから、好きな子にカッコいいところを見てほしい子供みたいに、少しでも気を引きたくてがむしゃらに馬鹿みたいに青峰はバスケをアメリカでしてきた。だが、黄瀬はおそらくバスケが嫌いではないが、二人っきりでその話題にするのを避けているし、インタビューでも深くは語ろうとしなかった。それでも、昔バスケを故障や歳以外で引退することを黄瀬はダメだと言った。

「バスケ、嫌いじゃないッスよ」

運ばれてきたコーヒーを飲みながら黄瀬がそう言った。ただ我慢しているだけだ、誰にもその事実は言わないが。

「バスケの話すると嫌そうな顔するし、ふーん、とかしか言わねーじゃん」
「色々事情ってのがあるんスよ」

また冷ややかに笑う。青峰はこの黄瀬の笑みが苦手だった。目線を黄瀬からそらし、雑誌を閉じるとコーヒーが入ったカップを手に取る。昔は手に取るように分かっていた黄瀬の考えることが分からなくなった、世間では隠していても、自分の前だけでは嬉しければ笑い、悲しければ涙ぐみ、むかついたら怒っていたはずだった。長い間離れて過ごしていたからか、黄瀬の気持ちが離れたからか、感情をコントロールすることができるようになったのか、それともすべて演技なのか。
「今日はどうする?」と黄瀬が聞いてきた。基本的に、行きたいところは黄瀬から提案されていた。だから、あんまりこれからの予定を考えていなかった青峰は、あーっと言葉を濁す。どこかないかと頭で考えても、青峰の交際は黄瀬しか経験がないのでいつもと同じようなところしか思い浮かばない。ふと思い出して、持っていた雑誌を手に取る。ぺらぺらとページをめくると、水族館の広告が載ってあった。

「ここ行ってみねー?」
「水族館?別にいいッスよ」

昔一回だけ一緒に行ったッスよね、と黄瀬が言ったのを聞いて、遥か昔のことに思える記憶を青峰は思い出した。雨が降っていて、だけど外でデートしたい気分だと二人で言い合って、一番近くの水族館に向かった。雨で客足は少なくて、二人でこっそりと手をつないで廻った。勿論人がきたときは手を離したが、人がいなくなればまた結んだ。雨のせいでショーは無かったが、ただ静かに水族館を巡った。幻想的なほどに美しい魚の群れを見て、二人で「綺麗だ」と言って笑いあった。何月何日かは忘れたが、確か高校2年の夏の梅雨の時期。記憶力が悪いと思っていたが、そこまで覚えている自分に青峰は驚く。黄瀬のことだったら、はっきりとは覚えていなくとも大体は覚えているのだろう。
来るときに濡れた傘を手に取って、店を出た。泊まっていたタクシーに二人で乗り込んで、行先を運転手に告げる。動き出したタクシーの中でぽつぽつと話す。

「変わってるかな?」
「さー、リニューアルしたとか聞いたことねーし、変わってないんじゃね」

中に入ってから見渡せば、思った通り何も変わってなくて辛かった。
透明なガラスを挟んで向こう側は、自分たちでは行けない領域で、とても澄んでいて美しかった。数えることができないほどの魚が自由に、水の中を動き回る姿に、黄瀬は息をのんで見つめた。
ガラスに手をついて、顔をよりガラスに近づけた。一匹の魚が黄瀬の目の前をゆっくりとしなやかに泳いで去っていく。名前も知らない黄色を身にまとう魚に、綺麗だ、と黄瀬の口から思わず本音が零れ落ちた。それは隣にいた青峰の耳にも届いていたらしく「カタカシって言うらしいぜ、あの魚」と言って、通り過ぎて行った魚の群れを指さして説明を口にした。

「知ってたんスか」
「いや、俺もさっきあの説明のプレートで見て覚えてた」

先ほど通ってきた道の方を青峰は指さす、魚の写真と説明が書いてあるプレートが壁などに嵌められている。黄瀬も通ってきたがあまり意識してはいなく流し読みをした程度だった。覚えていることが意外だというように黄瀬の表情は少し驚いていたが、すぐに幼い子供をほめるような優しい笑みを小さく見せた。俺もあの魚綺麗だと思ってたから覚えてたんだよ、と青峰は照れを隠すかのようにぶっきらぼうに言った。
美意識というには大げさすぎるが、綺麗だ、という物を見る価値観が同じなのは不思議と満たされる気分だった。大体の人もほとんどの物を綺麗だと、自分と同じように感じるのだろうけれども、それでも黄瀬が綺麗だと賛美するものはより一層綺麗に青峰の目に映る気がした。

「海って、あんまり行かねえよな、東京って陸ばっかだし」
「俺、去年撮影で行ったのが最後」
「俺はチームメイトと一昨年行った」

あの海の底には、こんなにも綺麗な世界が広がっていたことを知らなかった。直接取って触ってみたいな、と率直に思ったことを黄瀬は言った。遠目で見るだけでこんなにきれいだから、手に取れば宝石のように美しいに違いない、そんな考えを持ったいる。青峰は少し溜息を吐いて「魚は手で触ると温かすぎて死ぬんだよ」と呆れ気味にそういった。分かってるって、と軽口を叩くと、まだ疑っている青峰の目が黄瀬の目にも入る。

「知ってるって、そんな俺バカじゃねぇッスよ」
「どうだかな」

そういうと、青峰の目は黄瀬の目から出て行った。その目は、自分とは異なる色をしていて魚のように神秘的な深い青だ。もっと見たい、さっき魚に触れたいと思ったようにただ単純にそう黄瀬は思う。青峰っち、と名前を呼べばゆっくりとその目が自分を向いた。「あの、さ、魚、綺麗ッスね」特に言いたいことがあるわけでもなかったからか、高尾の口から出る言葉はぎこちない。

「話し方おかしいぞ」
「あ、うん、ごめん。特に言いたいことが思い浮かばなかった」

そうか、とだけ言うと要件は済んだとばかりに青峰はまた水槽の方を見つめた。確かに、魚はきれいだった。珊瑚礁の間から出てきては隠れて、追われたり追ったり、自由に動いている。それなのに、どこか窮屈そうにも思える。原因を考えたら、ここが水族館だからだろう。
ゆっくりと水族館を巡る。昔着た時と同じように、雨だからか人は少ない。二人で並びながら歩いていくと、時折手が霞めるように触れ合う。手をつなぎたかったが、青峰は諦めた。今はまだその時じゃなかった。

「そうだ、メールでも送ったけど、優勝おめでとうございます」
「おう、ありがと」
「まだまだ現役ッスね」

まだ彼はバスケができる。それは二人が再び付き合えるのは先だという事実でもある。それでもよかった、黄瀬は青峰のバスケが好きだから。気兼ねなくバスケを謳歌している青峰を、黄瀬は遠くから応援するだけでいいのだ。支えることはまだできない。
そろそろ惚れ直したか、と青峰が茶化すように言ってきた。笑いながら、まっさかー、と黄瀬は首を軽く横に振って否定を表す。ずっと惚れているから、惚れ直すなんてしない。青峰は黄瀬の返事を聞いて、少しだけ悲しそうに苦笑する「いつになったら落ちてくれるんだか」とぼやくように青峰はつぶやいた。はぐらかすかのように黄瀬は「もう帰ろっか」と提案した。まだ一緒にいたい、なんていう乙女チックなことを青峰はいうつもりはなく、そうだな、とその考えに頷いた。

「また、今度。バスケ、頑張ってね」
「おー、また連絡するわ」

タクシーを捕まえた黄瀬はまたさっさと消えていく。あと何度、こうやって見送ればいいのだろうかと、青峰は頭を抱えたかった。何でもないふりをしているが、いつだって黄瀬の背中を見るのは苦手だった。追いかけてきてくれて、隣に並んでいた恋人が、自分を捨てるかのようにあっけなく去っていく。青峰は鬱々とした気分を吐き出すように、はあ、っと溜息を吐いた。









----------この作品が最後の作品になるそうですね?
そうですね、やりたいことが見つかったので俳優を引退するつもりです
----------やりたいことってなんでしょうか?
具体的には決まってないんですけど幸せになりたいな〜って思ってます。
----------それは結婚ってことですか?
似てなくはないです、惜しい(笑)あと、ちょっと旅したいですね。
----------黄瀬さんが見れなくなって寂しく思ってるファンも多いと思いますが?
ありがたい話ですね。本当にいままで応援してくださったファンの方々にはお礼を言いたいです。


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