テキスト | ナノ
ピンポーンとチャイムが鳴った。黄瀬は今まで見ていたテレビを点けたまま、壁に付いている来客確認用の画面を覗き込んだ。そこには青峰が少し俯いたまま立っている。慌てて黄瀬は玄関に向かう。
青峰が来るときは、いつだって連絡が着ていた。一応合鍵をお互いに持ってはいるが、黄瀬は仕事が不規則で帰ってこれない日も多い。だけれども、今日は連絡はなかったはずだ。メールも電話もなかった。何があったのだろうかと心配になりながら、黄瀬は玄関の扉を開けた。見えた青峰は、よお、と青峰は無表情に言った。いつもならば、柔らかくほんの少しだけ笑う笑顔で出迎えてくれる。やっぱりこれは何かあったな、と黄瀬は直感で思う。昔からこんな時、悪い時の直感だけは当たるのだ。「入って」と黄瀬は青峰の気持ちが少しでも穏やかになればいいと思い、できるだけ何も気づいていないようにいつもどおりに、青峰には甘いとか緩いと言われる笑顔を作って青峰を招き入れる。
青峰は黙ったまま靴を脱いで、部屋に入る。黄瀬も黙ったままその前を歩く。リビングに入ると青峰は椅子に座り込んだ。その背中がいつもよりも丸く猫背みたいになっていて、弱弱しく見える。勘が当たりそうだ、と黄瀬は思った。何があったかまだ分からないけれど、相当に何か嫌なことがあったはずだ。キッチンに行くと、黄瀬は青峰用の大きなマグカップに、コーヒーを入れてリビングに戻る。

「はい、どーぞ」
「どーも」
「で、どうしたんスか?」

にこり、と笑顔を浮かべてそう言うと、黄瀬は青峰の向かい側に座った。テーブルを挟んで向かい合う。逆だ、とその光景を見ながら脳内で思った。弱くなって落ち込んだりしているのはいつも黄瀬だった、それを「どーしたんだ」と言って時間をかけて青峰は絆して黄瀬から言葉を吐き出させる。頷いたり、背中をさすったり、頭を撫でたり、抱きしめたり、色々な方法で黄瀬を慰めてくれていた。だから、こうやって青峰が落ち込むことは少ない。明るく、何があっても多少強引にでも思ったことは突き通していた男だ。今回はきっと自分だけの力ではどうにもならないのだろう。支えてあげたい、支えてきてもらったように。
話してよ。真似は得意だ、だけど真似では意味がない。彼がいつもしてくれたことを思い出しながら、黄瀬は必死に青峰に向き合った。青峰は黙ったままコーヒーをゆっくりと飲んでいた、たまに黄瀬を見ると悲しそうな表情をし少しだけ眉間に皺を寄せてまた下を向いた。黄瀬は待った、青峰が口を開くのを。

「結婚することになった」

ぼそっと青峰は静かに口を開いた。え、と思わず黄瀬は声をこぼした。思ってもいなかった、青峰が結婚するなど。それ以前に青峰が女性と付き合っていることなんて思いもしない。それは、ありえないからだ。二人は付き合っているから、青峰が結婚するなんてありえないことだった。
誰と、どうして、なんで。そんな言葉が頭の中に浮かんでは消えて、だけど言葉に黄瀬はできなかった。青峰は狼狽える黄瀬の姿を見ると、辛そうな表情になる。嫌いになったわけではない、青峰が黄瀬を今だって好きであることに間違いない。わりぃ、謝罪の言葉を青峰は述べて頭を下げた。その言葉を聞いて黄瀬はさっきから頭の中で思っていた言葉を並べた。「誰と、どうして、なんで、ちゃんと説明して欲しいッス」思ったよりも声は落ち着いていた、きっと嘘だと思いたかったからだ。
青峰は淡々と話し始める。スポンサーの娘が、俺のファンだとさ。そのスポンサー、一番チームに金出してくれてて、俺も個人的に世話してもらってんだよ。娘がファンだからって、一度会わせられたんだよ。そん時に、スゲー気に入られて、結婚してくださいとかなんとか言われた。勿論俺にはお前がいるから断ったけど、スポンサーが圧力かけてきて逃げられなくなったったんだよ。断ればチームにもいられなくなる。
結局一度も黄瀬と目を合わすことなく、俯きがちに青峰はそう話した。「そっか、じゃあ仕方ないね」するりと、黄瀬の口からはそんな言葉がこぼれていた。

「良いのかよ」
「やだよ、なんでやっと手に入れたあんたを手放さないといけないんスか」
「じゃあ、さっきなんであんなこと言ったんだよ」

泣きそうだ。切羽詰まった青峰の表情は黄瀬にはそう見えた。泣きたいのはこっちッスよ。心の中で愚痴る。3年間の片思いが実ったかと思えば、2年足らずで手放さなければならないのか、酷い話だ。
青峰は黄瀬に手を伸ばした、黄瀬も抗うことなくそれを受け入れる。テーブルが邪魔だ、青峰も黄瀬もそう思ったからか、自然と足はベッドに向かっていた。二人が入っても決して狭くない多きなベッドは、黄瀬が青峰のために買い替えたものだ。これも用無しになってしまうのか、一人で眠るには大きすぎる。
浅黒い手が、寝転がっている黄瀬の顔の横に置かれた。覆いかぶさるように青峰が黄瀬の上に跨る。何も言わずに黄瀬は青峰を見た、その青峰の顔は少し歪んでいた。泣きそう、可愛そうに。黄瀬は思わず青峰に手を伸ばして、首に腕を回して抱き寄せた。されるがまま、青峰も抱き寄せられる。「あんたは悪くない」そう言って黄瀬は笑うと、青峰にキスを送った。青峰も黄瀬に触れるだけのキスを送る。頬、額、唇、耳、いたるところにお互いにキスをした。会話は無かったが、それでもよかった。

「いつか、来ると思ってた」
「こんな展開がってことか?」
「うん、だけどちょっと違う。あんたが好きな子できて別れるとか、そんなの」

きっと来る未来だ、ちょっとだけ予定が早くて、ちょっとだけ思っていたのとは違っていただけだ。
「だから、良い。普通は女の子が好きで、結婚するのが当たり前。今までが幸せすぎたぐらいッスよ」そう言えば青峰は、黄瀬の口にキスをした。貪るような激しいもので、黄瀬はいつもやってきたような呼吸法を忘れて、ただ必死に青峰にこたえようとした。口の端から零れ落ちるどっちつかずの唾液とか、絡み合う舌とか、必死な青峰とかが思考が酸素不足でぼんやりとしているくせに、嫌に脳裏に焼き付いた。別れたくないな、黄瀬はそう思った。
ふざけんなよ、黄瀬。口づけが終わって、酸欠でいまだに思考がまともに働かない黄瀬に青峰は言い放った。泣きそうな表情に怒っているような雰囲気が加わっていた。憤慨だった、青峰は黄瀬を愛していたし、最後まで共にいるつもりだった。だからこんなにも鬱々とした気分で言いたくはないことを黄瀬に伝えたのに、黄瀬はそれを分かっていたことのように、青峰が自身の傍を離れると思っていたことに腹が立った。
好きになったのは黄瀬で、告白したのも黄瀬が先だった。いつだって不安でしかたなかっただろう黄瀬を、青峰は精一杯に甘やかし不安を取り除いて、黄瀬の思いにこたえてきたつもりだった。それが伝わっていないと分かると、切なさを通り越して怒りがわくのも仕方ない。

「俺はさー、お前のこと好きで、好きで、好きでよ、お前とずっと一緒にいるつもりだったんだけど・・・お前は違ったんだな」

違う、と叫びたかった。けど青峰の怒気に黄瀬は恐怖で言葉が喉に引っかかったまま出なかった。あ、ちが、途切れ途切れに出てきた言葉も小さく、青峰の耳には届かない。舌打ちをチッと短くすると、青峰はベッドから起き上がった。何も言わず、玄関に向かう。追いかけなければ、と思うのに黄瀬の足は動かない。
無機質な鉄のがちゃりと音がして、青峰が扉を開けたのだと分かった。出ていくな、ここにいてほしいって言いたいのに、まだ声が出ない。がちゃん。扉が閉まる音がした。黄瀬はただベッドに座り込んで、その音を聞くことしかできなかった。
それからメールをしても電話をしても返事はなかった。黄瀬は一人で部屋で泣いた。違う、本当は傍にずっといてほしくて、結婚なんかして欲しくなくて、あんたの隣は俺だってずっと笑っていたかった。そう思って、黄瀬は涙を流した。





いつ、どこで、青峰の結婚式があることを黄瀬は知らなかった。それと同時に、会ってどうすればいいのか分からなかった。彼には彼の未来があり、それをつぶさないためにはこの結婚はしなければならないことにも思えた。一人で何をするでもなく、ひたすらに青峰のことを考えながら黄瀬は過ごしていた。仕事も休みをもらった。我儘を言って申し訳ないと思ったから、この問題と気持ちが解決したら、まじめに仕事に取り組もう。そして、青峰を忘れようと思った。
考えないようにしようと、外でモデル仲間を軽く食事をして帰ってきたときに、タイミングよく家の電話が鳴る。出ると、赤司の声だった。少しだけ酔っていたものが冷めた。「もしもし、涼太かい」穏やかな声だったけれど、有無を言わさない雰囲気が電話越しでも伝わる。

「はいッス、黄瀬涼太っス」
「突然で悪いけれど、今から会えるかな。お前も知っているだろう、プロバスケットプレイヤー青峰大輝のことで話があるんだ」

それを聞いて、言葉が詰まった。赤司とは中学時代の友人だ。高校や大学は違ったが、一番仲良くしてもらっている友人の一人だ。しかし、それでも黄瀬は青峰との関係を赤司に話したことは無かった。偶然だろう、たまたま赤司が新聞か何かで青峰のことを知っていて、昔から青峰のことを好きだと言っていた自分になにか聞きたいことがあるのだろう、黄瀬はそう思って何も悟られないように平静を装いながら口を開いた。「知ってるッスよ、その青峰選手のことで何か聞きたいこととかあるんスか?」と黄瀬は言った。「まあそれはあってから話そう」赤司はそう言って話をはぐらかした。それから場所と時間を指定された。時計を見れば、今から向かってぎりぎりだ。黄瀬は受話器を電話に戻すと、慌てて先ほどまで履いていたブーツに再び足を入れて履きなおす。
店に入れば赤司はすでに着ていた。個室だから何も気にすることは無いよ、と先に言われたが意味深で黄瀬はどきっとした。黄瀬の悪い予感は当たるのだ。意識を赤司から反らすためにメニュー票を見れば値段が書いていないが、赤司が払ってくれると言ったのであまり気にしないで黄瀬は魚料理とワインを注文した。

「青峰大輝が結婚するそうじゃないか、涼太はそれでいいのかい?」
「俺は関係ないッスよ。ただのファンだから」

店員が部屋から消えると赤司は静かに黄瀬に尋ねた。やっぱり、黄瀬は思った通りのことを聞かれたのであまり驚かず、何も知らない顔をして赤司に笑顔で言い返した。
すると赤司は溜息をつき、胸ポケットからスマートフォンを取り出した。少しの間それを操作すると、画面を黄瀬の方に向ける。表示されている画像を見て、黄瀬は驚いた。その写真は青峰と黄瀬がキスをしているものだった。しかし、その写真に写っている場所と時間を思い出すが、ちゃんと人がいないことを確かめてからキスしたのだ。撮られているとは思っても見なかった。「どうして、これを」赤司を見れば、優しく微笑んでいた。それが恐ろしく黄瀬には見えた。「うちの編集に売り込みに来たそうだよ。驚いたよ、例の『きぃ』は涼太だったんだね。他にも何回か売り込みに来たが、僕は涼太の見方だからこの記事を買い取って揉み消した。居ないと思っていてもパパラッチはいるんだ、今後は気を付けるんだよ」そう言って、赤司はまた微笑む。
気を付けてはいたが、やはり撮られていたことに黄瀬は驚いた。しかし、それが今までメディアに露見しなかったのは、赤司が裏でいつも守っていてくれたからだろう。ありがと、とお礼を述べて頭を下げれば、これくらいどうってことないよ、と赤司は言って許してくれた。赤司は財閥の社長だ、きっとこれくらいのことはなんてことないのだろうけれど、黄瀬にはとてもありがたかった。

「だけど、涼太。今日は僕はこんな話がしたかったわけじゃない。青峰の結婚をお前はどう思っている。同意の上なのか、お前が知らない間にあったのか。」

説くようにいう赤司の声に、黄瀬は観念してそれまでの経緯を話した。青峰とたまたま出会ったこと、色々あって付き合うことになったこと、青峰がスポンサーの娘と結婚を強制的にさせられそうになっていること、断ったら青峰はチームにいられなくなり、チームのスポンサーも辞めるだろうからチームにも迷惑がかかること。ゆっくりと話す黄瀬に、赤司は時たま相槌を打ちながら静かに聞いていた。すべてを黄瀬が話終わると、赤司は溜息を吐いて「そんなことか」と言った。黄瀬はその言葉を聞いて、一瞬怒りが沸いた。殴りかかってしまいそうになった、そんなことで赤司は片づけられるかもしれないが黄瀬にとっては大事なことだった。握りしめた拳は赤司の台詞で無意味になる。

「スポンサーのことなら気にするな、僕がやってやろう。辞めなくても良いが、良ければついでに海外のチームに大輝を押してやろうか。勿論トライアルやテストを受けることになるだろうが、きっとあいつならば受けるだろうから大丈夫だ」

あまりのことに驚いて黄瀬は口を薄く開けたまま黙り込んでしまった。そんな黄瀬を見て赤司は、どうした、と笑いながら聞いてきた。「なんでこんなことしてくれるんスか」ただの友人に、こんなにしてくれるなんて思わないだろう。「涼太があまりに大輝の話をしてくるから僕もすっかりファンになってね、大事な友人たちが泣くのは見たくないからな」聞けば、赤司も青峰と会ったことがあり、親しい友人になっていた。
赤司にとって黄瀬は可愛い息子のような存在だ。ちょっとの我儘ならば聞いてあげたいし、大切な人ができたのならばその人と幸せになってほしいと願っている。売り込みに来た写真と記事を見れば、黄瀬は今まで赤司が見てきたことのないくらいに幸せそうな笑顔で映っていた。それに少しばかり嫉妬したが、それは恋愛感情ではなく娘を取られる親の気持ちだ。ただ言うことを聞いてやってもいいが、赤司は一つ思いついたことがあった。黄瀬も、青峰も、試すことを。
店員が失礼しますと言って料理を運んできた。赤司と黄瀬の前に、一皿ずつ皿が置かれワインの入ったボトルとグラスが置かれた。ここの料理はきっと涼太も気に入ると、と赤司は言ってナイフとフォークを手に取り器用に食べ始めた。黄瀬もそれらを手に取って食べ始める。少ししてから、再び赤司が口を開いた。別に結婚を取り潰しても良いんだが、涼太にやって欲しいことがある。黄瀬はそれに頷いた。青峰の結婚の心配も結婚も無くしてもらえるのならば、どんなことでもしようと思った。

「僕が言うことをやったらさっき言ったことを全てやってあげるよ。途中までは全部僕が手を回す、だが最後は涼太、お前にかかっている」

赤司はそう言ってから、黄瀬にさせるであろうことを話した。それを聞いて黄瀬は驚いた。狼狽する黄瀬に、赤司は再び問いかけた。できるか?と。驚いた、驚いたが黄瀬はそれに頷いた。赤司は頷いた黄瀬を見て、楽しそうに笑った。きっとこれは赤司にとててはゲームなのだろう、と黄瀬は思った。ゲームに乗ってしまえば自分たちはゲームの駒だとも思った。それでも黄瀬は頷いた。この男は、負けたことが無い、と言っていた言葉を信じた。だから、きっとこのゲームは黄瀬が勝つ。







大勢の人が協会に集まった。しかし、新郎である青峰の表情は晴れない。黒いタキシードに身を包み、大勢の視線を感じながらも青峰は一度も微笑まなかった。
結局、あれから黄瀬とは連絡を一度も取っていない。最初のころは頻繁に着ていたメールと電話も少しずつ減っていき、今では来ない。電話やメールに出なかったのは自分で、きっと諦めてしまったんだろうと思った。仕方がないことだと思っているし、黄瀬に対しての怒りはいまだに消えてはいなかった。
進行の、花嫁の登場です、という声が聞こえた。扉が開いて花嫁となるスポンサーの娘が現れた。白い純白のふんわりとしたドレスを着ていた。レースがふんだんに使われていて、ところどころパールが埋め込まれているのかきらきらと光を受けて輝いていた。女は、少し小柄で顔も綺麗な方だった。それでも黄瀬の方がきれいだと欲目なしに青峰は思った。結婚が決まってから何度もあって話したが、会うたびに黄瀬を思い出した。

「本当にいいの、大ちゃん」

花嫁が青いカーペットの上を歩いて近づいてくる度に、幼馴染と会った時の会話を思い出す。



「本当にいいの、大ちゃん。結婚なんて急すぎでしょ・・・好きでも、無いんでしょ?」
「しょーがねぇよ、するしかねぇ」
「そんな」

幼馴染の桃井は泣きそうになって、口を噤んだ。良いの、と掠れた声でもう一度聞かれた。青峰は目を閉じて頷いく。するしかない、先ほども言ったがここまできたら逃げることもできない。逃げたら、多くの人に迷惑がかかる。
あのね、と桃井は口を開いた。「きっと、私は大ちゃんと結婚するんだろうなって思ってたことがあるの。けど、次第に何か多分大ちゃんと一緒になるのは私じゃないなって思ったの。大ちゃんが彼女作るたびに、あのこもきっと違うなって思ってた。誰なんだろうな、大ちゃんを幸せにしてくれる人ってずっと思ってた。・・・最初きーちゃんを紹介された時、男、って思ってびっくりしたの。それも人気な芸能人でもっとビックリした。抵抗があったのは最初だけだったよ、なんで男って思ってたんだけど、大ちゃんと一緒にいるきーちゃん見てたら、この子が大ちゃんの子だ、って思ったの。女の勘だけどね。私は大ちゃんが好き、それにきーちゃんも好き。二人に幸せになってほしいの」彼女は泣きじゃくりながらそう言った。どうしようもなくて、青峰は彼女を抱き寄せて、黄瀬にするように背中をさすった。青峰の腕の中で、大ちゃん、きーちゃん、と何度もうわ言の様に呟いていたが、落ち着いたかと思うと、また「良いの?」と聞いてくるのだ。何度も聞きすぎて頭から離れない、いいの?という声。いいわけあるか、俺が好きなのは黄瀬だけだ、と観念して呟けば幼馴染はまた泣いた。




感傷に浸っている間にも、式は着々と進んでいく。式の中心にいるのに他人事のように青峰はそれを見ていた。
ぼーっとしれいれば誓いの言葉になっていた。機械の様に青峰は口を開いた。「私青峰大輝は灰崎祥子さんを生涯妻とし、幸せや喜びを共に分かち合い、悲しみや苦しみは共に乗り越え、永遠に愛することを誓います」言い終わった青峰を見て、灰崎は満足そうに微笑んでいた。その笑みは黄瀬とは違って、ちっとも魅力を感じなかった。女で、胸もあって、バスケが好きで、いい話でいい女であるはずなのに。そんな彼女も口を開いた。「私灰崎祥子は青峰大輝さんを生涯夫とし。幸せや喜びを共に分かち合い、悲しみや苦しみは共に乗り越え、永遠に愛することを誓います」そう彼女が言い終わると、司会が、それでは指輪の交換をお願いします、と言った。
彼女の手を取った。黄瀬の手や指よりも一回りも二回り以上も小さく、弾力があることが見てわかる。その指に、青峰は指輪を通す。指輪は興味がなかったから彼女に勝手に選ばせたものだ。これが黄瀬だったら良いのに、けどドレスじゃなくてやっぱりタキシードだろうな男だし、そう思いながら指輪を通し終える。彼女が青峰の手を取って、指輪をはめていく。これであなたは逃げられない、彼女はそう言ってはいないのに顔がそう語っていた。

「誓いのキスを」

そう視界の人間は言った。どうでもよかった。こんなのノーカウントだ、キスになんかはいらねぇ。自暴自棄に近い感覚で、青峰は女の唇を奪おうとした。当たり前だが、黄瀬よりも女は背が低く、少し屈まなければならない。黄瀬ならもっとキスがしやすくて、もっとキスがしてぇな、と思った。目を閉じた女の顔は人工的な色に溢れていた、それがとても気持ち悪かった。本人にしてみれば綺麗になっているのだろうが、人とは思えない色が肌にあるのが青峰はあまり好きではなかった。黄瀬はこんなんしなくても綺麗だったな、そんなことを思い出す。さっきから黄瀬のことを思い出してばかりだと、青峰は自分を失笑する。
あと少しでキスをするところで、バンっと協会の扉が開いた。二人のキスを見守っていた多くの観衆の視線がそちらに向かう。視線を集めた先には、黄瀬がいた。白のタキシードを身にまとっていて、やっぱり黄瀬にはタキシードだな、と青峰は呑気に思うのだ。
黄瀬は青いカーペットを走る。「だいくん」黄瀬が叫んだ。無意識に青峰は手を伸ばした。その手を握ると黄瀬は外に向かって走り出す。女の悲鳴が聞こえる、それは花嫁になるはずだった女の悲鳴だった。後ろから、捕まえろだとかあいつは何なんだとか色々な声が聞こえる。ざまあみろ、と黄瀬は叫びたい衝動を抑えてひたすらに青峰と一緒に走った。後ろから足音が聞こえるが、それもだんだんと遠くなっていく。喧騒も聞こえない、二人っきりで走る。あはは、とこらえきれなく黄瀬は笑った。息も切れ切れなのに「ざまあみろ、青峰っちは俺のもんなんだよ、ばーか」と姿の見えない女に黄瀬は吐き捨てる。
教会を出ると、目の前に黒い車が置いてあった。鍵はしていなかったのかスムーズに扉を黄瀬は開けると、乗って、と言った。黄瀬が運転席に乗り込み、青峰が助手席に乗り込む。ハンドルを手に取って、黄瀬は車を動かし始めた。

「お前、何やらかしてんだよ」
「やっぱさ、あんたがほかの人の物になるの我慢できなくて、ちょっとやらかした」
「……お前は良くても、俺が困ること考えられなかったのかよ」

そういうと、黄瀬は悪戯が成功した子供みたいに無邪気な笑顔で「赤司っちが全部なんとかしてくれるってさ」と言った。その一言でこれまでの経緯がすべてわかって、それでいて青峰の心配はすべて消えてしまう。思わず、青峰は赤司かよ…と驚きをこぼしてそれから笑った。

「さて、きぃ。これから俺達はどうするんだよ」
「とりあえず、アメリカ行きのチケット取ってる。俺は赤司っちの推薦みたいなものであっちの事務所に移籍が決定してる。だいくんはトライアルとテストを受けてよ」

二人で有名になろうよ。と黄瀬は言って笑うのだ。その横顔を見て、青峰は微笑む。諦めがよさそうで、実はすごく悪い。欲しいものは絶対に手に入れる主義者である黄瀬に、心の中で拍手を送った。
柔らかくもない、胸もない、小さくもない、子供も産めない。それでも、黄瀬が良い。優しく、可愛らしく、妖艶で、それでいて強かだ。きっと俺みたいに全てを捨てて逃げる勇気なんかなかった見た目だけな男とは違い、こいつは中身まで男らしい。こんな男でなければ、馬鹿な男である俺の隣は務まらない。
きぃ、俺、すげー幸せ。車が赤信号で止まっている間にそう告げれば、黄瀬はこっちを見て笑った。俺も、そう黄瀬は言った。







次の日の新聞は二人の話で持ちきりだった。【青峰大輝(20) まさかの同性愛 相手はあのキセリョ(20)】 【略奪愛 キセリョが結婚式乱入 花婿を奪う】 【キセリョと青峰選手がまさかの駆け落ち】 そんな文面がスポーツ新聞の一面と、新聞の芸能面を飾った。暫くして【キセリョ海外移籍】 【青峰選手NBAと契約】というような記事も同じように新聞の一面を取った。

「おめでとう」
「…そりゃ、どーも」
「赤司っちにはお世話になったッス」

色々とごたごたしたことが終わった頃に、赤司は二人の住むマンションを訪ねた。相変わらず、何を考えているかわからない笑みを浮かべながら、お土産、と言って紙袋を差し出した。差し出されたそれには、青峰でも知っているような海外の有名ブランドの菓子包みが入っていた。
リビングこっちッス、と黄瀬が赤司にスリッパを出して案内する。その後ろを青峰はついていく。広いリビングにあるソファーに、赤司と向かい合うように青峰は座った。黄瀬はリビングに飲み物を取りに言っている。「なかなかいい部屋じゃないか」と赤司は部屋を見渡して言ったが、赤司に言われると嫌味にも聞こえるが彼はそんなことをあまり言わないから素直に褒めているのだろうと受け取る。
キッチンから黄瀬が飲み物を持って帰ってきた、お茶の入ったグラスを二人の前と自分の前においてから、黄瀬も青峰の隣に座った。
出されたグラスに一口口付けてから赤司は口を開いた。

「涼太、今幸せかい」
「凄く幸せッスよ、ありがと」

間髪入れずに黄瀬が微笑みながら答えた。黄瀬の笑顔を見て、赤司は「よかったよ」と言った。

「今回の件、赤司が色々と手まわしてくれたんだろ。俺からも例を言う、ありがとな」

青峰も軽く頭を下げて赤司に伝えた。そんな青峰を見て、赤司は「大したことはしていない、僕が言っても涼太がやらなかったら成功しなかったし先ずこんなことをはできなかった」と言ってから少しだけ溜息を吐いた。
穏やかに微笑みあう二人を見て、本当によかったと赤司は思う。高校のころからずっと追いかけてきた姿を知っている、怪我をして青峰と一緒にバスケができないと嘆いている黄瀬の姿も見た、付き合っていることは彼らから知らされることは無かったがきっと幸せだったんだろう。やっと収まるところに収まってくれた。

「こんなに派手にやったんだ、別れたりしたら二人でも殺すから」
「んなのありえねぇよ。ってか、マジ別れにくいって」
「そうっすね、あんだけやらかして別れたら一生笑いものッスよ」

だから一生一緒ッス。そう言って、黄瀬は青峰の手を取った。指と指を絡める、青峰もそれにされるがままで、絡み終わったら自分からも握り直す。その様子を見て赤司は「だからって目の前でいちゃつくのはやめてくれ。独り身の寂しさが増すよ」と苦笑した。
一生一緒。なんて俺らにあるとは思わなかった、だってきっと青峰っちは女の子を好きになると思っていた。そう言ったらこの前喧嘩してしまったから、もう言わないけれど、黄瀬はずっとそう思っていた。自分でも派手にやらかしたとは思うけれど、リスクよりも手に入れられるものの方が大きい。絶対に、とは言わないが、かなりの可能性であんたは俺から離れないだろうな。自分勝手な我儘に振り回してしまった気がして、ごめんね、と呟いて握っていた手を少しだけ強く握りしめた。なんだ、と青峰が黄瀬の顔を覗き込む。なんでもない、黄瀬はそう言って笑った。
赤司には何を言ったのか悟られたのか、じっと黄瀬を見ていた。視線が交わって、黄瀬は誤魔化すように微笑んだ。幸せなのは間違いないから、安心して欲しい。

「浮気したら赤司っちに言いつけるから」
「こわっ。絶対できねぇな、それ」

けらけらと笑う青峰の手をぎゅっとまた少し力を入れる。青峰も手を握り返した。逃げんな、逃げんな、ずっと傍にいろ、そんな思いを繋がる手から黄瀬は送る。
黄瀬、と名前を赤司に呼ばれる。幸せか?と先ほどと同じ問いをされた。同じように、勿論、と言った。青峰、と赤司は青峰のことも呼んだ。そして、幸せか?と黄瀬に問うたように青峰にも問う。「あったりまえだ」と隣から聞こえる青峰の声が、黄瀬のわだかまりを溶かしていく。同じ気持ちなんだなぁ、と伝わった。我ながら単純だ。不安とか申し訳ない気持ちも消えてしまった。
赤司がそろそろ帰ると言ったので玄関まで見送る。その姿が見えなくなったのを確認して、ドアを閉めた。閉まると同時に「一生一緒にいてよ」と今日何度目かの台詞を黄瀬は青峰に投げかけた。青峰は「何度言えば気が済むんだよ、ずっと傍にいるって言ってんだろ」と言って笑った。

「お前がオヤジになってもジジイになって老けたって、傍にいる」
「うん、俺もあんたがおっさんになっておじいさんになってバスケができなくなっても傍にいる」

ちょっと前にあった、結局最後まで行われることのなかった結婚式の誓いの言葉みたいだ。そう考えたら、なんだか泣けてしまう。隣を見たら青峰が声を出さずに静かに泣いていた。どうしたの、と声をかければ、なんだか結婚式みてぇと思ったら泣けた、と言った。同じことを考えていて、ちょっぴり黄瀬ももらい泣きして目頭が熱くなった。
ずっと傍にいるつもりだって喧嘩の時も言ったけど、実際はあんまり自信なかったんだよ。俺は弱かったから、いつもお前からばかりだったよな、好きになるのも告白するのも、挙句、結婚式では攫われるの待ってるし。待ってばかりの弱ぇ男で悪いな。青峰はそう言って愛しそうに黄瀬の手を再び握る。
「…あんたが何度突き放したって、俺また引っ張って攫うから」「よろしく頼むわ」
そう言って笑って、ぎゅうっと自然に二人で強く手を握った。

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