はじまり | ナノ




曇り空の湿った空気のだるい日。
ライルは外套に身を包み、歩きながら兄からもらった御守りをしまった。ご利益があるのかは分からないが、術士の力が込められているのである程度は効果があるのだろう。
術士とは、術士学校で訓練され試験に合格した者が得られる称号であり、職業だった。
術士の種類は多彩であり、科学で立証されていない魔術を使う者を魔術士、その中で癒すことに特化した治癒士、自らは術を使わず幻界に住む幻獣と契約を結び召喚する召喚士等がある。
ライルはその中で落ちこぼれの部類だったので、途中で術士学校を辞めて傭兵のような仕事をしながら世界を旅していた。
それに比べて兄は天才だった。兄は魔術士であり今や講師だったりする。
そんな兄とはもうかれこれ十年ぐらい連絡を取っていない。俺も兄も忙しいのもあるが、住む世界が違う。
そう思っていた矢先だった。
辿り着いた街で、教会に魔物が棲み付いている噂が広まっていた。
実際に噂ではなく、派遣された術士の二人組は教会の入り口で見せしめのようにやつれた姿で放りだされていたらしい。
何が出来るわけでもないのでそんなところからはさっさと出ようと思ったが、何の因果か俺と兄さんを間違えた街の住人が派遣してきたと勘違いをして教会に放り込まれた。
これもそれも双子の兄弟だから似ているのは当然のことだし、兄さんが術士として有名だからだろう。
酷く勝手な話だが、恨みたくなった。俺がこの教会から生きて出られたら半殺しにしよう。死んでも恨み続けよう。
昼間だというのに真っ暗な教会の中。全てのカーテンが閉められているので当たり前なのだが。こういう恐怖心を煽る現象はやめてくれと言いたかった。
とりあえず魔物はどこか…出来ればどころか既に逃げ出したくてたまらないのだが、何故か中からでは扉が開かない。
街の住人が閉め出しているのか、それとも内部にいる魔物がしているのか…
出来れば後者は考えたくなかった。前者も相当酷いと思うが、頭は上手く働いていなかった。

(落ち着け、俺…昔から運だけは良かったんだ。同級生と遊んでいて二階から外に落ちても殆ど無傷だった。今回だって…)

窓のガラスをぶち破って逃げようと試みようとしたところ、ぬめっとした…想像したくもないが、触手のようなもので身体を捕えられて、聖堂の前まで引き摺られた。
恐怖で足が竦む。逃げようと思うのに、上手くいかない。
腰に提げていたナイフと銃は、暗い中でも見えるたくさんの触手によって奪われてしまった。
身一つである。
咄嗟に抵抗しようとした手段は、あまり上手く出来ない魔術だった。
昔覚えた魔術が効くだろうか。それ以前にきちんと使いこなせるだろうか。
魔力がなくて、講師に鼻で笑われたっけ…あの時を思い出すと、腹が立つ。


「ちくしょっ、魔物に喰われて終わる人生だなんてゴメンだね!」


声に出すことで、ライルは自分を奮い立たせた。
そのままほとんどない魔力を溜めて、炎を起こそうとしたが…


「…お前は、ニールか?」
「は…?」


すると魔物が触手の手(なのか…?)を止めて、訊いてきた。
まさか魔物が人間と同じ言葉を喋ると思わなかったので、ライルは自分の立場も忘れて素で訊き返した。


「…兄さんを知ってるのか?」
「兄……なるほど、お前あの男の…」


魔物はそう言うと、ライルの身体を離した。
そのまま地面に叩きつけられたライルは呻くが、何とか起き上がって暗闇の中魔物の位置を探る。
触手が引っ込んでいった方を見れば、小さな人影がひとつ見えた。

(魔物の正体はこんな小さかったのか…)

何故解放されたのか、何故逃げようとしないのか自分にもよく分かっていなかった。


「…さっさとここから出ていけ」
「…何だよ急に。どうしたんだ?」
「お前に用はない。前に忠告として二人ほど血を抜いてやったのに、まだ分からなかったのか…」
「街の人はお前がここに住んでちゃ堪らないんだと」
「好きでここにいるわけではない。お前の兄であるニール・ディランディがここに縛り付けたから、仕方なく…!」


そこまで訊いて、何だかこの魔物が可哀想に思えてきた。喰われそうになったのに可哀想なんておかしいと思うが、こいつも被害者だろう。あ、この場合は加害者か。
ライルは全部兄さんのせいだと思った。実際に間違っていないと思う。
多分兄さんの力を持ってしても、この魔物を倒せなかったのだろう。そこで魔物の苦手な場所である教会に封印したようだが、封印が解かれつつあると推測した。
仕事はきちんとこなせよ…!と旅をしているだけの若干ニートな俺が言えることではないが、今だけは文句を言いたかった。
それで俺が殺されそうになったのだ。少しは報復を受けてもいいと思う。


「…お前は悪い魔物じゃないと思うんだけど。人殺してないし、俺を逃がそうとするし」
「人間を殺して何になる?第一魔物ではない。幻獣だ」
「幻獣…?」
「ああ。召喚獣にしたくて若造が俺を呼び出したはいいが、奴の力の無さに街をひとつ潰す羽目になった。召喚に失敗した若造の後始末に来たのがニールだ」
「…なるほど…」


召喚士は、地面に魔法陣を描いて幻獣等を召喚する。
誰にでも呼び出せるのが特徴であるが、魔力の低いものは幻獣を召喚獣にすることが出来ずに(というよりも、プライドの高い幻獣が怒り)力の波動を全身に受けてしまうらしい。下手すれば死ぬ。
しかも幻獣の方もいくら力があっても召喚士として気に入らなければ、契約の段階で拒否することが出来、召喚獣にはならずに済む。それだけの力を持っている。
幻獣の気持ちはよく分からないが、人間にしてみれば面倒な職業だと思った記憶がある。更に幻獣の中でも格付けされているようだが、暗記の苦手なライルは全く覚えていなかった。


「…幻界には戻れないのか?」
「呼び出した奴の魔法陣が最後まで描かれておらず、その時は人間界で力の制御が出来なかったから帰れなかった。…やはり、殺しておけば良かった…」


うすら寒いことを言う。
その矛先を頼むから俺に向けることは止めてくれ、と願いつつライルは話を続けた。
恐怖心はまだ少しあったが、相手への興味の方が勝っていた。


「じゃあ、その封印は自分では解けないということだな?」
「ああ。魔力を奪われているからな」
「誰か召喚士と契約すれば出られるんじゃねーの?」
「まあ一理ある。だが、人間の命令を聞く気はない」


そりゃ、力のない奴に召喚されて帰れなくなったのならば、いい印象は持たないだろう。
毛を逆立てるように苛々した様子で話す幻獣に、ライルは一番訊きたいことを尋ねた。


「なあ、自由になったら何をしたい?」
「自由などない」
「いいから応えてくれよ」
「……まず、ニールを一発殴る」


ライルはその応えを聞いて、にやりと笑った。


「よし、じゃあ兄さんところに行こうぜ」
「馬鹿を言うな。俺はここからは…」
「期間限定で俺の召喚獣になればいいだろ?」


幻獣は、一瞬反応が出来なかったらしく影すら微動だにしなかった。


「まあ、俺に魔力はほとんどないけどさ…兄さんに逢うまでの期間限定だしお前をこき使う気もないし、いいアイディアだと思わねえ?」
「…人間を信じることは出来ない」
「そっちから契約解除出来ないもんな。でもお前が殺せば自由になる」
「その場合、契約した俺まで死ぬ」
「まあそうなんだけど。俺も兄さんには今ので借りが出来たし、お前さえ良ければ期間限定で契約しようぜ。兄さんをぶっ飛ばしたいだろ?」


我ながら、相手に不利な商談を持ちかけていると思った。
召喚獣からすれば、召喚士は厄介な存在であろう。自分からは契約を解除出来ないし、どうしてもの場合は自分の命と引き換えに主人を殺すしかない。自分の手を下さずに勝手に召喚士が死ねば話は別であるが。
更に格下だと思っている人間の僕のような働きをしなければならないのだから。
気に入った人間でなければ、命令など聞きたくないだろうし、そんなことを考えていたらこの幻獣の運命が更に悲しく思えてきた。
幻獣は、沈黙したまま何も発さない。
やっぱり怒らせたかな、と影しか見えない幻獣の姿を見ようとすれば、柱の影から少年が現れた。
おそらく幻獣の正体だろう。
思ったよりも可愛らしいが、鋭い眼光が彼の強さを物語っている。


「…どうする?」
「…ここにいても、住人に迷惑を掛ける。良いだろう、契約しよう」


幻獣の少年は憮然とした態度で応えた。
それでもまさか了承の返事がもらえるとは思えなかったので、ライルは驚きのあまり固まってしまう。
少年は訝しげにこちらを見た。


「どうした、契約しないのか?」
「…えっと、俺召喚士じゃないし卵でもないし…全くの素人だから契約の仕方が分からないんだけど…」
「………」


やばい。せっかくいい返事がもらえたのに相手が断りそうな雰囲気だった。
本当のことは隠しておけばよかったと後悔するが、もう遅い。
しかし少年は一度約束したことを反故にはせず、一から教えてくれた。


「契約は簡単だ。血の交換をすればいい」
「血の交換…?」
「そうだ。指でいいから出せ」


ライルは少年に従い、右手の親指を噛んで血を滲ませた。
少年も同じく長い爪をしまい(どうやってしまってるかは謎だ)、皮膚を噛み千切った。
右腕を引かれ、親指を舐められる。

(なるほど血の交換、な…)

差し出された指を舐めて、契約は終了したらしい。
イメージでは何やら長ったらしい呪文を唱えながら、魔法陣を描くと思っていたのだが案外地味だった。
しかし、右腕に施された古代文字は、おそらく契約をした証なのだろう。
刹那の腕にも紋章が掘られていた。


「…これで、終了か…」
「やっとこの教会から出られる。一応礼を言おう」
「ま、それは兄さんをボコした後でな」
「そうだな。……主、名は?」
「あー言ってなかったよな?俺はライル。ライル・ディランディ。お前は?」
「刹那」
「刹那か。よろしく」
「ああ」


こうして、奇妙なことに期間限定の見習い(?)召喚士となってしまった。
目指すのは、兄のいる中央本部である。


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