5.どうやら大切なものを盗まれたようです | ナノ
5.どうやら大切なものを盗まれたようです
世界が一つになろうとしている動きを見極めるために、中東の国境を越えて新ヨーロッパ共同体の中のイタリアに入った。
ロックオンがアイルランド出身である事を知った後で、初めてこの辺りに来た。
ロックオンは当初から何も言わない。ただ、俺の行く所についてくるだけだった。
(このままもしアイルランドへ行けば、ついてきてくれるのだろうか)
一瞬疑問が湧いたが、俺が彼の故郷に行ける筈もない。彼の家族を、人生を狂わせてしまった組織に所属していた事実がある限り、絶対に行けない。
荷物買出しのため分かれたロックオンの事を考えながら歩いていたので、俺は前方が不注意だった。
俺より体格のいい男とぶつかり、踏ん張ったので自分の身体が倒れる事はなかったが、食材を抱えた袋から林檎が数個落ちてしまった。
赤い林檎がころころと転がり、ぶつかった相手の足下で止まる。
その内の一つを拾い上げた男を見て、目を瞠った。
「…あ」
「お、悪かったな」
ロックオン・ストラトスと瓜二つな青年が、目の前にいる。
ただロックオンはラフなTシャツとジーパンだったが、目の前の男はスーツを着こなしている。
それに、少しだけ声色も高めというか軽かったような気がした。
(違う、これはロックオンではない)
結論に達するまで穴が開く程見つめていたらしく、男は俺の視線にたじたじとしていた。
「…俺の顔に何かついてる?」
「いや…前方不注意だった。すまない」
これ以上関わってはいけない予感がした。
この男は十中八九ロックオンの関係者だろう。両親と妹は亡くなったと聞いていたが、兄弟は生きていたのか。
この男まで不幸にしてしまったのか、と思うのは傲慢だろうか。
複雑な想いを胸にしまい、男の脇からすり抜けるようにして逃げるように去ろうとした。
しかし、叶わず腕を取られる。
何故、と思い再びロックオンと似た顔を凝視した。
相手はロックオンと同じように笑って応える。
「林檎駄目にしたからさ、奢らせて」
「必要ない。ぶつかったのは俺だ。だから気にしなくて…」
「いいからいいから」
人の話を聞かない男は、俺の持っていた荷物を片手で軽々持ち、空いた片手は俺の腕を引いていく。
(決めた事に強引なのは同じか)
今は別行動をしている男と目の前の男の相違点を探している自分に、笑いたくなった。
林檎を買った後何故か強引に連れていかれたのは、すぐ近くのカジュアルなカフェだった。
普段そんな店に行かない俺は、酷く浮いているのかもしれない。
誰に見られようとどうだっていいが、勝手に連れてきて俺の前に座った男が笑いを堪えている姿を見れば、機嫌も悪くなる。
不機嫌になっていく俺を見て、やっと男は笑いを抑えた。
「わり、あんたキョロキョロしすぎでな」
「……」
「あんたの名前は?」
「…刹那。刹那・F・セイエイ。あんたは、」
「俺はライル・ディランディ。仕事でミラノ来てるんだ」
ディランディと聞いてやはりそうか、と思った。
ニール・ディランディの兄弟であり、彼の唯一の家族である。
仕事という事は、格好からしてビジネスマンなのだろう。
鬱陶しそうな髪はともかくとして、似合わない事はない。
ロックオンも、テロで家族を亡くさなければライルという男のように、CBとは違い平和な仕事に就いていたのだろうか。
可能性の話をしても仕方がないが、ライルという男は随分ロックオンに大事にされてきたのだろうと予想していた。
それからライルという男は他愛のない話をしようとしたが、店員が来て注文を聞くので後回しにしたらしい。
何が良いと聞かれて、思わずミルクを頼んだ。
「ミルク、ね」
何か含みのある言い方だったが、突っかかれば相手の思う壺だろう。
相手が何を考えて俺を此処に連れてきたのか分からないため、店員の去った後、警戒心を解かない状態ですぐに問いただした。
「…何が目的だ?」
「何だろうな」
「……」
はぐらかし方は兄弟そっくりだ。
ロックオンならば、この沈黙の間に自爆する確率が高い。それでも本心は言わないのが彼だ。
この男はどうするのだろう。
黙って見つめれば、やがて降参のポーズを上げた。
「…初めて逢った気がしなくて」
馬鹿な言い訳だと俺は思った。
本当は、半分本気だったとは知らずに一刀両断する。
「本当の事を言わなければ、帰る」
立ち上がろうとした俺を、ライルは手で制した。
「あんたはせっかちだな。…実は、伝えて欲しい事があって」
誰に、とは訊き返せなかった。ポーカーフェイスが崩れそうになる。
おそらくばれている。こちらがライル・ディランディを見極めているように、あちらも会話と振る舞いで俺を見極めている。
素人に見破られるような事は、基本的にはしていない筈だ。この男の洞察力が人一倍優れているのだろう。
茶化していた時とは違い、真剣な表情に翳りが見える。
苦労しているのだろう。元をただせば俺の、…テロのせいだ。
徐々に自分の思考に流されそうになり、ライル・ディランディから視線を外す。
言え、と視線を合わせず顎をしゃくって促せば、ライル・ディランディは目を細めて笑った。
「たまには顔を見せろって言ってくれないか?あんた、ニールの知り合いだろ?ぶつかった時に俺の顔を見て、戸惑ったから」
あの一瞬の出来事でそこまで見破られているとは思わなかった。
思わず舌打ちしそうになったが、寸前で止めた。
ロックオンならば、こんな時どうするのだろう。上手い会話術で相手を言いくるめて、本心を隠してしまうのだろうか。
俺にそんな才能はない。
はぐらかす事は目の前の男に通用しそうになかったので、当たり障りのない言葉を述べておいた。
「…善処する」
「頼むな。じゃあこの話は終わりで…刹那、あんたを口説いてもいいかな?」
「…は?」
急に何を言い出すのかと思えば、ライル・ディランディは俺の頬に手を伸ばして唇を合わせてきた。
彼の突然の行動に驚いて、事前に回避する事を忘れてしまった。
この国では、そういう挨拶…スキンシップの類は当然なのか、カフェの中で目立ってもいない。
彼らの故郷のアイルランドもそうなのだろうか。
「ごちそうさん」
ぺろりと唇を舐めて、男は意地の悪い笑みを浮かべた。
からかわれたのだと分かり、悔しさだけが残る。
もう少し話したい気もしたが、時間的にも潮時だと思い、席から立ち上がって荷物を引っ手繰るように持ち上げてカフェを後にした。
今度は、ライルは引き止めなかった。
勝手に出てきて心残りがあると言えば、ミルクを一口も飲めなかった事だろうか。
だが今はそれよりも、ロックオンと合流してホテルに着いたら、ライル・ディランディの事を話そうか少し迷っている。
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