縷紅草〜押し花の栞


catered by かゆれ





開け放した窓から爽やかな風が吹き込む

竹で組んだ格子に絡み付いた緑鮮やかな蔦科の植物は、暑い太陽の光を遮り、濃い影を秋月家の和室の庇にもたらしている

和室から濡れ縁に続く掃き出し窓に凭れて座り、海司は静かに本を読んでいた

短い髪に風が触れてゆくのも構わずに、海司は端正な顔を伏せている
海司の黒い瞳は夢中で活字を追いかけ、ページを捲る間ももどかしいかのように素早く指先を動かす
寛いだ読書の時間さえも緊張感が伴うのは、海司の集中力ゆえか

暑い夏の午後

爽やかだが緊張が漂う空気だった

が…


「んん…っ」

「!」


海司の集中力も本への執着も一瞬でむしり取る、その存在


「大丈夫か?」

「あ…海司…?」


畳の真ん中に敷かれた白い布団の上に横たわる、郁美がゆっくりと目を開けると、海司の黒い瞳が彼女を覗き込んでいた


「んー…まだ、少しくらくらする感じ」

「仕方ねぇな」


郁美は海司に少しだけ視線を流したが、また直ぐに上を向く
海司はぶっきらぼうに言いながらも、優しく郁美の額から髪を撫でた
血の気のない白い肌で、郁美は海司の掌の動きに合わせて数回瞬きをした
 

「何か、飲み物持ってきてやるよ」

「ありがとう〜」


海司は郁美に笑いかけると、軽い動作で立ち上がった
出て行く海司を見送る郁美だったが、
ふと、枕元に目が行った

海司が置いていった本
読んでいたページに海司が挟んだ栞が、半分はみ出していた


「海司ったら、こんなところはいい加減なんだから…」


郁美はゆっくりと上体を起こすと、海司の本を手に取る
栞を挟み直そうと本を開き、手を止める
栞は海司に似合わない、赤茶けた小さなラッパ型の花の押し花の栞だったのだ

パウチでコーティングされているが、黄ばんだ台紙
花を留めたセロハンテープの劣化
花の乾燥が栞の古さを物語っていた

だが…


「これ…この栞…」


何故か郁美の
記憶に残る
印象的な
小さな
花の



「…起き上がって、大丈夫なのか?」


本を膝に栞を見つめていた郁美に、優しい声が掛かる
見上げれば、水の入ったグラスを手にした海司が、部屋に入って来るところであった


「うん、海司」

「お?興味ある?」

「ごめん、本じゃないの」


海司は郁美の膝に広げられた本に目を輝かせた
郁美は少し苦笑すると、布団の横に座った海司に栞を差し出した


「これ、この栞…」

「え?あ、ああ…」


海司の頬が紅く染まる
郁美はもう一度栞に視線を落とした


「これ、私が海司にあげた、栞だよね?」


海司は無言で郁美の布団に上がる
そのまま恋人の頭をそっと抱く
郁美は海司の肩に頭を預けた


「…忘れてっだろーと思ってたのに」

「忘れる筈ないじゃない。あの時、家の庭で一番綺麗に咲いた花を、海司にあげたんだよ」


それは、幼い日の思い出

初夏に咲いた縷紅草の綺麗な紅い小さな花を、郁美は摘み取り押し花にした
出来上がったばかりの小さな押し花を、郁美は白い台紙に丁寧に貼り、青いリボンを付けた


「出来たっ!」


郁美は小さな栞を手に、懸命に走った

その時海司はちょうど柔道着を肩に担ぎ、友人と道場に向かって公園の側を歩いているところだった


『い、要らねぇよ、花なんか。女じゃあるめーしっ』


額に汗を浮かばせて、郁美が笑顔で差し出した小さな掌の中には、可憐な紅い花の栞
だが、囃し立てる友人の手前、海司は素直に受け取る事が出来なかった

ぶっきらぼうに告げると、郁美の手をはね除け、通り過ぎる海司
背後に神経を研ぎ澄ませるが、郁美の気配を感じ取ることが出来なかった


「でも…持っててくれたんだ」


郁美の声に海司は柔らかく笑う
気も漫ろに練習を終え、海司は道場を飛び出した
公園付近には、既に郁美の姿はなく、悄気て帰宅しようとした海司の目に飛び込んで来た



道に面した公園の植え込みの緑の中に、その栞はそっと置かれていた

海司が郁美の手をはね除けて、落ちた筈の紅い花の栞

郁美が拾って置いたのか
誰かが拾って置いたのか

海司は震える指で栞を掴むと、両手で優しく包み込んだ

手の中がほんのりと温かく感じられ、
紅い色が海司の心に映る

海司は縷紅草の花の栞を両手に包み込んだまま、家路を走ったのだった


「礼を言いたくて行ったら次の日、お前もう引越しした後だったんだよな」

「うん…海司に最後にプレゼントしたくて…でも、受け取って貰えなかったと思ってた」


郁美の小さな呟きを、海司は胸で受け止める


「なんか…あの時は気恥ずかしくってな。…ごめん」


海司の腕の中で、郁美は静かに首を振った


「こんなに、大切に使ってくれてたなんて…。海司、ありがとう」


今度は海司が首を振る
そして、郁美の唇に触れるように囁いた


「俺の方こそ、ありがとな」


風が蒼い緑のカーテンの間を縫って、口付けする二人の許へ流れてくる


緑の格子にはところところ
縷紅草の紅い小さな花が
優しく風に揺れていた





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