Chrome Hearts この前、彼女に会った。それが俺のケジメの日だ… 俺は一番になれない。一番にはなってはいけない男だと思っている…あの部署と同じで誰の目にも触れられず生きていくのが性に合ってる。 『もう辞めよう…辞めた方がいい』 会った時、いきなりそう切り出した。 そう切り出した時の郁美の反応は思ったよりも薄かった。郁美はいつ言われるか、どちらから言うのかを恐らくは測っていただろう。いつかは、終わりが来ることをお互いに解っていたから。 俺は冷たく見えたかもしれない…いつも会うと別れる時は、俺が先に部屋を出た。それには理由がある… 郁美をあの男の元へ返すという事が嫌で堪らなかった。部屋に一人自分が取り残される事が嫌だった…彼女が帰った後の空虚感を味わいたくなかった。 だが、郁美はいつも味わっていたかもしれない…きっと後悔と罪悪感を感じながら。 会って別れる時間が来ると本当は、郁美の傍に居たいのに…俺は逃げるようにいつも郁美から離れた。ただの俺の身勝手な理由で彼女はいつも1人部屋に残されていた。 お前には帰る場所があるからいいだろう?卑怯にもそう思った自分もいた… 『もう少し早く出会えたら、私達何か変わってたでしょうか…』 俺が切り出した言葉の後、彼女は涙を堪えるかの様に切ない顔をしてそう言った。笑ってしまうくらいにありきたりで…決まりきったよくあるセリフ。 俺は彼女の問いには答えようとも思わなかった。俺が何も応えなかった事に彼女は納得したのだろう。 “言葉が役に立たない時は、真摯な沈黙がしばしば人を説得する” 先人は的を得た言葉を残したものだ。 ただ、俺は彼女の後ろに見える景色を眺めたままだった。俺の視界から見える景色は完全にフリーズして、グレーな色を帯びて時が止まっていた。 彼女の悲しい顔を見るとおかしな衝動を起こしそうで、自分自身の感情に怯えた しかし、その問いに答えた所でどうなる…どうにもならない。俺に運が無かっただけだ。ただ、それだけしかないだろう… 恋は盲目…一旦走り出すとブレーキが効かない。もう、この状態のまま彼女にハマる自分も怖かった。 それに、あんな男でも一柳は俺の中では認めている所がある。何だかんだ言いながら、あの男のことを裏切っている自分にも人として罪悪感を持ってしまった。 自分の持っているZippoにデザインされた十字架を見つめた。後悔や懺悔という言葉は、この世で一番重い言葉に思う。消えない罪だと解ってる。誰が知らなくても俺の心の中にはずっと残る。 郁美はいつか忘れてしまうだろうか… せめて彼女の罪は消えて郁美が、自分の事を通り過ぎて幸せになれるように…そんな祈りにも似た言葉を心の中で吐いた。 何とも言えない、偽善者染みた言葉。 気がつくと煙草は、いつのまにか灰になり火が消えてフィルターしか残っていない。その煙草を暫く見つめた後、思いっきり灰皿に投げつけてやった。 この罪も燃え尽きて灰になればいいのに… 人は、思い通りにならない時や不測の事態が起こった時“これが運命だった”という言葉で片付けるが、本音を言えば、俺はその運命を呪ってやりたいくらい郁美が好きだった… ― 郁美に心奪われた… 郁美が俺に向けてくれた笑顔を思い出す。タイミングという神の悪戯…十字架がデザインされたZippoを憎しみに近い感情で握りしめた… Fin |