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Powder Snow


catered by 結華


一晩のうちに見事に降り積もった真っ白な雪を踏みしめながら、父の元へ向かう。
 吐く息は白く、真冬の寒さを全身で感じる。
 最近漸く見慣れてきた総理官邸が見えてきて顔を上げると、玄関にいつもの人影を見つけた。



Powder Snow



「真壁さん、こんにちは!」
 声を掛けると、人影が動きを止めて顔を上げた。
「…甘子さん、どうもこんにちは」
 敬礼と共に挨拶が返される。
「雪かきですか?」
「はい、昨夜結構積もったみたいなので、今日は朝からずっと雪かきばかりしてます」
 真壁はそう言うと、屈託の無い笑みを浮かべた。
「甘子さんは、総理に御用ですか?」
「あ、えっと…特に用事という訳じゃないんですけど、昨日電話の声が鼻声だったのが気になって…だからこれを差し入れに」
 甘子は右手に持っていた薬局の袋を持ち上げて見せた。
 袋の中には栄養ドリンクやらのど飴やらうがい薬やら、たくさんのアイテムが詰め込まれている。
 どうやら、思いつく限りのものを買ってきたようだった。
「お優しいですね、甘子さん。総理もきっと、お喜びになると思います」
「部下に頼めば直ぐに手に入るとも思ったんだけど…やっぱり私も何かしてあげたいと思って」
 照れ臭そうに笑うと、甘子は腕時計を見遣った。
「そろそろお父さんが戻ってくる頃だわ。真壁さん、雪かき頑張ってくださいね」
「ありがとうございます。甘子さんも風邪など召されませんように!」
 真壁の声に頷くと、甘子は笑顔のまま官邸内へと入っていった。







 忙しい父にも何とか差し入れを渡すことが出来、甘子は官邸の広い廊下を出口に向かって歩いていた。
 袋の中身を確認した父の、驚いたような照れたような、それでいて嬉しそうな顔が思い出される。
 はにかんだ笑みを見られただけで、雪の中必死で来た甲斐があった。
 思ったより元気そうな父の姿も、甘子を安心させた。
 本当は夕食でも一緒にしたかったが、とすまなそうに言う父に気にしないでと笑顔を向け、部屋を出たのだった。
 SPの控え室の前を通ると、珍しく静まり返っていることに気付く。
 いつもならそらの元気な笑い声や、それを窘める桂木の声がしていて賑やかな雰囲気の部屋なので、何だか少し違和感を感じた。
「ちょっと覗いてみようかな…」
 つい気になってしまって、甘子は足を止めるとドアをノックした。
「はい」
 中から返事が返ってくる。
 無人という訳ではなさそうだ。
「失礼します…」
 そう言いながらドアを押すと、一番奥の椅子に座って視線を落としている昴の姿が目に入った。
「昴さん!」
「何だ、甘子か」
 昴は読んでいた本から顔を上げると、ゆっくりと椅子から立ち上がった。
「今日は総理に用事か?」
「あ、はい…もう済んだので帰ろうと思ったんですけど、この部屋があまりに静かで、気になってしまって」
「あー、確かに今日は静かだな。うるさい奴がいないから、実に快適だ」
 昴の言葉に、思わず吹き出してしまう。
「もう、それ聞いたらそらさん、怒りますよ」
「別に恐かねーよ。それより、お前はこの後時間あるのか? 今皆出てて暇だし、コーヒーくらいなら出すぞ」
「あ、ありがとうございます」
「適当に座ってろ。この俺が特別にいれてやる」
「はい…」
 昴は部屋の一角に設置された小さな給湯コーナーへ歩み寄ると、おっ、と声を上げた。
「何ですか?」
「それはお楽しみってやつだ」
「えぇー、何か不安…」
「ったく、失礼な奴だな、お前も」
 陶器のカップがカチャカチャと乾いた音を立てる。
 窓を見遣ると、中庭のもみの木に積もった雪が、音を立てて落ちるのが見えた。
 暫くすると、ふわん、と甘い香りが鼻先を掠める。
「ほら、飲め」
 無造作に出されたカップに視線を落とすと、白磁に映える焦げ茶色の液体が湯気を立てながら揺れていた。
「ココア…!」
「そう。たまたま今朝、俺が飲もうと思って持ってきたやつだ。有り難く飲め」
 昴はそう言って、口端を僅かに上げた。
「…あのっ、昴さん!」
「何だよ」
 甘く優しく香り立つココアを見た瞬間、脳裏を過ったものがあった。
「すごく…すごく図々しいお願いなんですけど……聞いて、いただけませんかっ!?」
 甘子の剣幕に、昴は驚いたように目を見開いた。
「な、何だよ、図々しいお願いって」
 カップを置いて腕を組んだ昴に向き直ると、甘子は目の前で祈るように両手を合わせた。







 朝から黙々と続けていた雪かきも、その後降ってくることもないお陰で、漸く終わりが見えてきていた。
 大きなスコップを持つ手は、幾ら厚い手袋をしているとは言っても指先が冷えて、じんじんと痺れている。
 最後の雪を勢い良く積み上げると、真壁は大きく息をついた。
 冷たい外気に触れて、吐いた息が白く染まる。
 すっかり痛くなってしまった腰を擦りながら伸びをしたとき、背後から自分を呼ぶ声が聞こえた。
「真壁さんっ!」
「わっ…甘子さん!」
 入口を見遣ると、そこには息を切らせた甘子が立っていた。
「もうお帰りですか? 総理にはお会い出来ましたか?」
 入口の横にスコップを立て掛けながら尋ねると、目の前に真っ白なカップを差し出される。
「…え?」
 予想外のことに、真壁は大きな目を何度も瞬きさせた。
「ココア、昴さんに淹れてもらったんですけど…良かったら、真壁さんもどうかなって思って…あの、ずっと寒い中で作業してたから、冷えてしまってるんじゃないかと思って…」
 一生懸命に言葉を探す甘子の耳や頬が、照れからか赤く染まっていく。
「お、お仕事の邪魔かなとも思ったんですけど…」
 雪を思わせる白い陶器の器から、温かそうな湯気が立ち上る。
 そのカップを両手で受け取ると、真壁は嬉しそうに笑みを浮かべた。
「ありがとうございます、甘子さん」
「いえ…あの…」
「このココアを持って、急いで来てくれたんですね。雪かきしてる僕のことを思い出して…僕、そのことがなによりも嬉しいです」
 真壁はそう言って、カップに口を付けた。
「…うわぁ、これ、凄く美味しい。それに、身体がとても温まります」
「良かったぁ…!」
「あ、甘子さんは控え室に戻ってください。ここに居ると、甘子さんまで冷えてしまいます。カップなら、飲み終わったら返しに行きますから…」
 目の前の甘子がコートも着ていないことに気付いた真壁が慌ててそう言ったが、甘子はふるりと顔を左右に振った。
「もし、ご迷惑でなければ…私もここに居させてください」
「甘子さん…?」
「積もった雪を見ながら、真壁さんともう少しだけお話したいです」
「えっ…」
 甘子は真壁の横に立つと、見事に雪化粧を施された官邸前の街並みを見つめた。
「…たった一晩の雪で、こんなにも違う景色になるものなんですね」
「香澄さん」
 横で呼ぶ声に顔を上げると、ふわりと肩に温もりを感じた。
 驚いてそれを確認し、再び真壁を見上げる。
「あのっ、これじゃ真壁さんが…!」
「大丈夫。僕は制服着てるし、これでも警察官ですから」
「でも…」
 包み込むように両肩に掛けられた紺色のコートを握り締める。
「本当に平気です。それに、甘子さんが風邪を引いてしまうほうが、ずっと悲しいですし」
「真壁さん…」
「実を言うと僕、ここで甘子さんに会えた日は仕事も凄く頑張れるんです。甘子さんっていつも笑っているから、こっちまで元気になれるっていうか…」
 照れ臭そうに頬を染めながらそう言って、真壁は瞳を細めた。
「だから風邪なんか引かないで、明日も元気な甘子さんの笑顔を見せてください」
 優しい眼差しに、甘子の胸がきゅっと締め付けられる。
 その笑顔に、元気な声に、いつも励まされていたのは自分のほうだ。
 父が多忙であっても、誰かに追われていても、いつだってここへ来れば、彼の笑顔が自分を迎えてくれた。
 それがどれ程甘子の心をほぐしてくれていたか知れない。
「じゃあ…」
 甘子の小さな声に、真壁は目だけで先を促す。
「じゃあ、明日また、来てもいいですか…? …明日は、真壁さんに会うためだけに…来ても、いいですか…?」
「甘子さん…」
「…そんな不純な理由でも、いいですか…?」
 真っ赤になって俯く甘子に、真壁は伸ばし掛けた手を慌てて引っ込めた。
「ずるいですよ、甘子さん…ここは官邸なのに、自分は制服着てるのに…貴女のことを、抱き締めたくなってしまうじゃないですか…」
「真壁さん…」
「それに、残念ながら、明日は非番なんです」
「そう、ですか…」
「だから」
 伏せた視線を、再び真壁に戻す。
 変わることのない、優しい微笑みが自分を包み込む。
「だから…明日、仕事以外の僕と、会ってくれませんか?」
「え…っ」
「ご迷惑でなければ、なんですけど…」
 ぽりぽりと頭を掻く真壁に、甘子はぶんぶんと首を左右に振った。
「そんな、迷惑なんてこと、絶対ないですっ!」
「じゃぁ、明日…デート、しましょうか」
 真壁の言葉に、甘子は満面の笑みを浮かべた。
「…はいっ」
 白い雪で彩られた東京の街。
 明日も一日寒いと聞く。
 それでも、大丈夫だと思える。
 お日様のような彼と一緒に歩けるなら、寒さなんて気にならない。
 いつもと違う街並みを見ながら、手をつなごう。
 そして歩きつかれたら、どこかのカフェでまた、ホットココアを一緒に飲もう。
 それだけで、心までぽかぽかだ。


+++ fin +++




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