小説 | ナノ





空のつづく場所


catered by 結華


 この空はどこまでも続いている。
 大地に立って上を見上げれば、いつだって空がある。
 そして、この空の下に、きっと貴方も居るのだろう。



空のつづく場所



 キッチンに立ち、最近購入したお気に入りのエプロンを首に通す。
 きゅっと紐を結び、腕まくりをすると、それだけでやる気が出てくるから不思議だ。
 丸い型を傍に置き、鍋の中に砂糖と水を入れて中火に掛ける。
 木製のへらで前後に拡散しながら、私の思考は過去へと旅立っていく。
 彼に出会ったのは、もうどのくらい前になるだろう。
 私はまだ大学生で、『彼等』が目の前に現れたのは、まさに青天の霹靂だった。
 訳も分からないまま命を狙われ続ける私を、ぶっきらぼうに、強引に、口悪く…だけど、いつだって優しく、強く、守ってくれた。
 守り抜いてくれた。
 それが、昴さんだった。
 完璧なまでの容姿を持ちながら、実は可愛いものが好きで、料理が得意で。
 そんな彼が、忙しない日々の中で、決して料理が得意とは言えなかった私に教えてくれたものがあった。
 鍋の中の砂糖水が徐々に飴色に変わっていく。
 カラメルの香ばしい匂いが、鍋から部屋へ広がる。
 そろそろかな、と思ったところで鍋を濡れ布巾の上へ移動させ、粗熱を取る。
 カラメルが固まるのを待つ間に、程好く赤く色付いた林檎の皮をむく。
 そういえば、昴さんが林檎をむいてくれるときは、うさぎやら何やら、いつも凝った形にしてくれていたっけ。
 真似しようと思って隣で一生懸命挑戦してみるけど出来なくて、そんな私を笑いながら見ていた。
 うさぎの林檎を食べたくなったら、いつだってむいてやるから。
 彼はそう言って、笑っていた。
 懐かしさに、無意識に瞳を細めながら林檎をスライスし、オーブンの予熱を開始する。
 程無くしてカラメルが良い感じに固まり、鍋の側面にバターを塗って林檎を敷き詰めオーブンへ。
 その間にアーモンドパウダーや砂糖、卵白を混ぜ、そこに卵黄とレモン汁を加えて生地のもとを作っていく。
 そうしているうちに、オーブンの中の林檎が焼き上がり、水分が出ている状態に。
 この汁も使うんだ!と、何度も口を酸っぱくして言われたのが、つい昨日のことのように思い出された。
 その言い付けをしっかり守って、生地に林檎の汁も混ぜ込んでいく。
 更にそこに薄力粉とベーキングパウダーを加えて生地が完成。
 これを林檎の型に流し込み、再び型をオーブンへ。
 約25分後には焼き上がるはずだ。
 25分という時間は長いけれど、その間も温度調節をしなければならないので、私はオーブンの傍に腰掛けた。
 彼は…昴さんは、元気にしているだろうか。
 キャリアである彼に付いて回るもの、それは異動というシステムだった。
 全てがひと段落したその時を待っていたかのように、昴さんに異動の辞令が下された。
 行き先はヨーロッパの国々で、研修期間の間に、語学をはじめ警察組織、制度、犯罪情勢等々を学ぶものだ。
「研修は1年間だけだから、信じて待ってろ」
 そんな言葉だけを残して、昴さんは旅立って行った。
 それからも総理官邸へ行けば警護課の皆と顔を合わせるし、変わらない日常が過ぎて行った。
 昴さんだけが、居ないまま。
 ただひとつだけ救われたのが、昴さんが抜けたポストへの人員補充がされなかったことだった。
 彼が帰国したときにはまた此処へ戻ってくるという、何よりの証だったから。
 オーブンの温度を少し下げて、更に焼いていく。
 部屋の中はすっかり香ばしい匂いで満たされ、私は思わず口元を綻ばせた。
 その時、インターホンが来客を告げた。
「はーい」
 パタパタと玄関まで走って行き、ドアを開けると、顔が見えるより先に不満げな声が飛び込んで来た。
「寒いッ!」
「海司、早かったね」
「うわっ、何だよお前、まだ支度出来てねーじゃん」
 部屋着のままの私を見て、海司は呆れたような声を上げた。
「海司が来るのが早いんだよ。私はちゃんと、冷ましてる間に着替えようと思ってたんだもん」
「そういや、外までいい匂いがしてたな。差し入れか?」
「うんっ!」
 ニヤニヤしながら尋ねた海司に、私はとびきりの笑顔を向ける。
 この日のために、何度も練習したんだから。
 彼のためだけに、こんなに頑張ったんだから。
「浮かれてんなぁ。ま、無理もねーけどな」
 海司は呟くと、部屋の一角を陣取っているソファに腰掛けた。
「今日は休みだったんだね」
「珍しくな。結局、全員集まることになっちまったけど」
「いいじゃない、おめでたい日なんだから」
 私はそう言いながら、オーブンから型を取り出した。
 ふんわりきつね色に変化した生地は、甘い香りと共に温かそうな湯気をまとっている。
「出来たっ!」
「おー、じゃー早く着替えて来いよ。そろそろ行かないと間に合わなくなるぞ」
「うんっ」
 型をそっと台の上に置くと、私は急いで寝室へ向かった。
 昨夜のうちから決めていたワンピースを手に取る。
 ピアスもネックレスも、全て昨日のうちに選んでおいた。
 それはまるで、初めてのデートのように私の気持ちをふわふわと軽くさせた。
 少しの緊張と、それを大きく上回る期待、嬉しさ。
 それらが一緒くたになって、私の胸を切なげに締め付けた。
手早く着替えてキッチンに戻り、冷めつつある型に大きな皿を乗せて一気に引っくり返すと、綺麗に並んだ林檎が顔を出した。
「よっし、最高傑作!」
「マジかよ、ちゃんと食えんのか?」
「失礼ねぇ。そんなこと言うなら、海司は食べなくていいよ」
「ははっ、嘘だって」
 苦笑する海司に舌を出し、更にラップを掛けてそっとバッグに仕舞った。
 後で切り分ける包丁やお皿も忘れずに。
「おっ、そろそろ本当に行かねーと」
「あ、うん。もう行ける!」
 海司の催促に返事をして、バタバタと玄関を出る。
 エントランスの前には、海司が呼んでおいたらしく、タクシーが停まっていた。
「…1年振りかぁ…」
 タクシーの座席に背中を預けながら、海司が呟く。
「…うん、丁度1年だね」
 改めて口にすると、落ち着きかけていたはずの心臓が少し大きく跳ねた。
「昴さん、益々キャリアっぽくなってそうだな」
「本当、楽しみだね」
 ヨーロッパは遠くて、結局一度も会いに行けなかった。
 だから私は日本で、腕を磨き続けた。
 信じて待ってろ、という彼の言葉を信じながら。
「向こうで金髪美人にモテてたんじゃねーの」
 揶揄とも心配とも取り難い海司の言葉に、私は僅かに口角を上げた。
「その時はその時よ。別に構わない」
「…お前、変わったな」
 一瞬の沈黙の後、海司が感心したように言った。
「どんな風に?」
「何ていうか、強くなったっつーか」
「1年も待ってたんだから、当たり前でしょ」
 それに、私には昴さんが残したあの言葉があったから。
 馬鹿みたいにそれを信じることで、1年もの間、彼だけを待つことが出来たのだ。
「昴さん、驚くぜ」
「そうかなぁ?」
「絶対そうだって。今のお前にも、お前のそのお菓子にも、な」
 海司が、私の膝の上で大事に大事にに抱えられているバッグを指差す。
「…だと、いいな」
 出来立てのタルトタタン。
 昴さんが私のすぐ傍に居てくれた頃に教えてくれた、ただひとつのお菓子。
 早く見てほしい。
 早く食べてほしい。
 きっと、胸を張って、おかえりなさいと言えるから。


+++ fin+++





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