マシュマロ・カフェオレ
catered by トモ
休日の午後、アパートの自室で大学のレポート作成をしていた私は、一段落してホッと息を吐きふと窓の外に視線をくれた。
分厚い雲で覆われた冬空にフルっとひとつ身震いして、先日買っておいた物を思い浮かべながらキッチンに向かう。
一人暮らし用の小さなケトルで、シュンシュンと音を立て沸いたお湯をカップに注ぐだけの即席カフェオレ。
温かい湯気と甘い匂いを連れてリビングのテーブル前に腰掛けた。
淹れ立てのカフェオレにフーッと息をふきかけると、一瞬鼻先を掠めた湯気が霧散していく。
コクリ。
一口含んだカフェオレ。
難易度の高いレポート作成に集中していた所為か、知らず緊張していた身体からふっと力が抜けて。
緩んだ脳裏に浮かぶ顔は、いつだって同じ、ひとりしかいない。
ああ、会いたいな。
会って、声を聞きたいな。
「甘子」って、名前を呼んでほしいな。
ぼんやりそんな事を考えていると、静かだった室内に不意に鳴り響く電子音。
…このメロディーは!
考えるより先に、身体が反応した。
慌てて立ち上がった私の背後で、座っていた椅子の脚がフローリングで飛び跳ねガタンと大きな音を立てたけど、そんなのお構いなしで。
レポートをしていた机に置きっぱなし、音に合わせて振動していた携帯を掴むと、名前の確認もせず通話ボタンを押した。
「瑞貴!」
『甘子?何か慌ててる?ひょっとして、忙しかった?』
私の上擦った声に、ちょっと驚いたような、だけど落ち着いた声が耳元をくすぐる。
「ううん!瑞貴は?今日、忙しいんじゃないの?」
『…うん、交代で休憩中なんだ。昨夜から拘束されてたから、甘子の声が聞きたくなって。…甘子は?今日は大学休みでしょ?』
「うん、家にいるよ。さっきまでレポートやってたんだけど、一区切りしたからカフェオレ飲んでたの。そしたら瑞貴の顔が浮かんで…凄いタイミングで電話がかかってきたから驚いちゃった!」
『…甘子は、カフェオレを飲まないと、僕の事を思い出してくれないの?』
「ええっ?!違っ、そんな事ないよ!!」
予想外の瑞貴の言葉に慌ててブンブンと首を振りながら否定すると。
『ふふ。冗談だよ』
可笑しそうにクスクスと笑う瑞貴。
ああ、またからかわれてる。
「もう……でもね、瑞貴とカフェオレってなんだか似てるなぁって思うの」
『…?』
「ほわほわって湯気みたいに掴みどころが無くて、甘くて温かくて、だけどちょっぴり苦味もあって…」
色も、陽に透かした瑞貴のふわふわの髪の毛みたい。
柔らかくて、優しい色。
『ねぇ、甘子はカフェオレと一番相性の良いものって、知ってる?』
「え?…うーんと、ケーキ…クッキーとか…?あ!チョコレート?」
唐突な質問に面食らったものの、一瞬で考えを巡らせ思い付くままに答えると。
『どれも違うよ』
「ええー?じゃあ何?」
敢え無く不正解を告げられ、少々不満げに溜息を漏らしながら正解を促した。
『マシュマロだよ』
「…マシュマロ?」
『そう。マシュマロみたいに白くて、柔らかくて、ほんのり甘い、甘子』
「……ほぇ?」
カフェオレに合う物の話だった筈なのに、自分の名前を出されて驚いた私は間抜けな声を漏らした。
そんな私を気に留める風もなく、瑞貴は言葉を続ける。
『カフェオレに浮かべると、普通に食べるのと比べて、周りが熱で溶かされて、トローンて甘くて美味しいんだよ』
妙に色を含んだ瑞貴の声に、私の思考があらぬ方向へ向きそうになって、思わず質問してしまった。
「……えーっと……、瑞貴、今、マシュマロとカフェオレの話をしてるんだよ、ね…?」
『そうだよ。あれ?甘子は何か別の事考えてたの?』
柔らかくて甘い、だけどしっかりと男を感じさせる声が、受話器から直に鼓膜を震わすから。
じんわりと耳朶が熱くなって、押し当てた冷たい携帯にまで熱が移る。
「……い、いじわる……」
私が考えている事なんて全てお見通しといった様子でとぼける瑞貴に、今更うそぶく事も出来なくて、小さな声で呟いた精一杯の厭味。
それさえも、どこか甘く響いてしまう自分の声に、もうどうしようもない敗北感を覚えた。
『…僕が、時々みんなから“冷めてる”って言われる理由が分かったよ』
「……え?」
またもや、唐突に思える瑞貴の言葉を受けて、頭の中に浮かぶ疑問符。
『カフェオレが、海司さんみたいにいつでも暑苦しいと、マシュマロが溶けて無くなっちゃうものね。甘子が消えちゃったら困るから、僕は熱くなり過ぎないように気をつけなきゃならないんだ』
「…え?え?」
カフェオレとマシュマロの話なのか、なんなのか。
真剣なのか冗談なのか。
こんがらがった脳内を整理しようとした瞬間。
受話器の向こうで空気が震えて、頭の中に淹れ立てのカフェオレみたいに温かい瑞貴の微笑が浮かんで。
キュンと締め付けられるみたいに胸が高鳴った。
会いたい。
会いたい。
今すぐ会って、
その腕に飛び込んで、
思いっきり抱き締めて、
トロトロのマシュマロみたいに溶かしてほしい。
『甘子』
脳内が瑞貴一色に染まった私に、呼びかける声が少し低く響いた。
「……?」
『会いたい?』
「…え!」
『今すぐ、僕に会いたい、って思ってる?』
なんだろう?
からかわれてるのかな?
テレたり、正直に答えたりしたら、また笑われちゃうのかな?
……でも。
「……えっ…と、あの、……うん。瑞貴に、会いたい……」
『僕も、甘子に会いたい……けど』
真剣な声音のまま返ってきた瑞貴の反応が意外で、妙に焦ってしまう。
「…あ、あの、大丈夫だよ?瑞貴が今仕事で忙しいの解ってるし、あ、休憩そろそろ終わる?私は、電話で声聞けただけで充分」
『僕は声だけじゃ満足出来ない』
慌ててまくし立てる私の台詞の途中、瑞貴の普段より大きな声がそれを遮って。
『でも、今甘子に会ったら、甘子の事思いっきり抱き締めて全部溶かしちゃうかもしれない』
何か含めたような甘い言葉を囁く。
…何だろう、さっきから微かに感じるこの違和感は。
瑞貴は今、仕事の休憩中なんだよね?
どうしてそんなに期待させるような事を言うの?
………期待、しても、いいの?
『……それでも良いなら、今すぐ、部屋の鍵を開けてくれる?』
「……っ!!」
告げられた一言は期待以上。
その瞬間、玄関までのほんの僅かな距離さえもどかしく思えた。
鍵を開けると、私が飛び込んで来るのを待ってたみたいに、ドアの前に立ってた瑞貴が両腕を広げていて。
「おいで」
携帯越しじゃない、目の前の瑞貴がはにかむように告げた一言が、空中に白く浮かんだのが見えた。
なんで嘘吐いたの、とかそんなのもうどうでも良くて。
迷わず飛び込んだ瑞貴の腕の中は外の冷たい風に晒されて冷え切っていたけど、2人の温度がじんわり交ざり合っていくのを感じて。
やっぱり、マシュマロはカフェオレに溶かされちゃう運命なんだな、なんて思った。
マシュマロ・カフェオレ
マシュマロはカフェオレの甘い熱の虜です。
→オマケ絵