眠れぬ夜を越えて
catered by すず
とぼとぼと街灯の少ない夜道を歩く。ガサガサとコンビニの袋の擦れる音が静まり返った空間に響いた。
パカッと携帯を開く。暗闇には眩しいくらいの光に目を細めた。
「………」
着信も、メールも、ない。
時間はもうすぐ日付が変わろうとしている。
いつも、そうだ。
電話するねと言ったくせに、そらさんは私の期待をことごとく裏切る。
その理由はいろいろで、仕事が押したとか抜けれなかったとかはもちろん当たり前。他にも酔い潰れてしまったとか、充電が切れたとか。幸い女性関係はないみたいだけれど。
「…はぁ……」
私がどんな気持ちで電話を待ってるかなんて、そらさんはわからないだろうな。
電話が鳴らないことが怖いなんて、きっと、知らない。
カンカンカン、と音を鳴らして部屋までの階段を昇る。真っ暗な画面を再度見て、諦めて携帯を閉じた。
また今日も、何事もなかったように約束を忘れたそらさんから忘れた頃に連絡が来るんだろう。
カン、と携帯を握りしめて最後の一段を昇りきった。
「あ、甘子ちゃん!」
この場に聞こえるはずのない声が聞こえてハッと顔を上げた。
私の部屋のドアの前にもたれかかってたそらさんの顔はホッと緩む。するとすぐに表情を変えてすごい勢いで私の肩を掴んできた。
「なんでこんな時間に出歩いてんの!?スッゲー心配したんだよ!?」
「…っ」
「ねぇ!聞いてんの!?」
私の肩を掴むその手の力が思いの外強くて、顔をしかめた。爪が食い込んで、痛い。
必死なそらさんの姿に私の心は焦るわけでもなく、急速に冷えていく。
「何時だと思ってるわけ!?何かあったらどうすんの!!」
「…何時にお仕事終わったんですか?」
「今はそんなことどうでもいいから!もうこんな時間に外出歩いちゃダメだからね!?わかった!?」
「……」
「甘子ちゃん聞いてる!?」
「……どうでもいいって、どういうことですか?」
「え?」
そらさんの手から少し力が抜けた。さっきまでの形相なんて跡形もなくなって、恐る恐る私を覗き込む。
心配させたのはわかってる。
でも、私は、いつも、
「私は…そんなどうでもいいことをずっと待ってたんです」
「……あ」
「ずっとずっと…待ってたんです…っ!」
涙目になりながらそらさんを睨み付けた。
「…甘子ちゃん…」
そっと申し訳なさそうに私の顔に伸びてきた手を、私はかわしてそらさんの横をすり抜けた。
いつもなら、きっとその手を素直に受け止めただろう。でもそんなこと、今の私には出来なかった。
そらさんが私のことを大事に思ってくれてることは、わかってる。
少ないお休みの日も私のそばにいてくれて。連絡も、忙しい合間を縫って私にしてくれるのもわかってた。
今日だって、仕事が終わって疲れてるはずなのにそのまま直接私のところに来てくれたことくらいわかってる。
だから、急な呼び出しで楽しみにしてたデートがドタキャンされたとしても、約束を忘れて電話が来なくっても。私は笑って大丈夫と言い続けてきたの。
でも、本当は大丈夫なわけ、ない。ただの強がりなだけ。本当は寂しいし、不安で押し潰されそうで。
「…どうぞ」
「あ…うん…」
私からコーヒーを受け取ったそらさんは目を伏せながらありがと、と小さな声で言った。
コンビニの袋をそらさんの目の前のテーブルに置くと、不思議そうな顔で見上げてくる。
「…さっき買ってきたやつ…食べますか?」
その中身を覗きこむと一瞬目を見開いてぷっと笑った。張り詰めた空気が少しやわらいだ気がした。
「ありがと!腹へってたんだよねー!」
「…ふふ」
「んじゃ、これいただきっ!」
パッケージを破いてガブッとかぶり付くそらさんを見て頬が緩んだ。それとともに、酷く後悔をする。
私は、疲れても私の元へ来てくれるこの人の笑顔を見ていたかった。常に感じ続けている緊張感を少しでも和らげてあげたかった。
だから、不安も、負担もかけたくなくて黙っていたのに。
「うわっ!ヤベッ、甘子ちゃんティッシュある!?」
「え?わ、何やってるんですか!」
「いやーこのシュークリームの中身思ったよりとろとろしてて」
「もー、パッケージにも書いてるじゃないですかー!」
大きく書いてある注意書きもろくに読まないそらさんに呆れた。両手をカスタードまみれにしていたそらさんの手にティッシュを渡すと、そらさんはベトベトの手を拭っていく。
「ッ!」
その声に勢いよく顔を上げた。誤魔化すように渇いた笑いを貼り付けるそらさんを、訝しげに見つめる。
かばうようにティッシュで隠す手に、何か違和感を感じた。
まさかと思って無理矢理そらさんの手掴んで引き剥がすと。
「……!」
上から息を呑む音が聞こえる。私は血行の悪く冷えた自分の手を握りしめた。
そらさんの手には、甲から手首にかけて生々しくて新しい切り傷が出来ていた。
血は止まっているけれど今日出来たものみたいだった。
「あ…、えーと…甘子ちゃんこれはね…」
「……手、洗ってきてください」
「…ハイ」
素直にキッチンに行ったそらさんの小さくなった背中を見て、私も立ち上がった。
怪我をして帰ってきたのはこれが初めてじゃない。今日のは、軽いほう。この前は身体中に痣と擦り傷を作って帰ってきた。入院したそらさんのお見舞いにいくことも一度や二度ではない。
そんなそらさんを見るたびに、私は泣きそうになるのを必死で堪える。心臓を握りつぶされてるように苦しくなる思いを、何度も味わった。
もう、何度も。