恋はひとりで堕ちるもの 「食欲無くてもジュースくらいは飲めるだろ」 金茶色の浴衣を纏った甘子がベッドから下りて、ローテーブルの前にちょこんと座った。 たしかこの浴衣は総理にプレゼントするとか言って、俺が手ほどきしたやつじゃ・・・。 「ミックス・ジュース?・・・ミントの葉っぱが乗っけてある・・・さすが昴さん」 「料理は五感で楽しむもんだ。見た目も大事ってこと」 「いただきます」 甘子はそっとグラスを口に運んだ。 少しでもこいつの体に栄養になるものを入れてやりたい・・・取り返しのつかないことになる前に。 ふわりとめくれた袖から伸びた白い腕は、男物の浴衣のせいか余計に華奢に見えた。 「・・・美味しい!夏みかん?」 「ああ。他にはヨーグルト、ハチミツ、牛乳、バナナ・・・あと、ピーマンだ」 「ピーマン?!・・・この緑の粒は・・・」 「ピーマン、ダメだったか?」 「少し・・・苦手かも」 「我慢しろ。最近まともな食事も摂ってないだろう。それとも、無理矢理食わせて欲しいのか?」 「いえ、結構です。これで十分です!」 甘子が困った顔をする。その顔を見ていると余計に意地悪したくなるんだよな。可愛いやつだ・・・。 「ところで・・・その浴衣、総理に渡さなかったのか?」 「えっ!・・・あ、ああ・・・お父さんにはやっぱりもっと渋めの方が似合うかと思って、別の色のものを贈りました・・・」 「じゃあ、これは誰に・・・」 「えっと・・・自分用に・・・部屋着にでもしようかなって・・・」 ・・・にしては、総理の体型よりも大きめに仕立て直されている。 どう見ても、もっと大柄な体型に合う様に縫われている。 「お前、好きな男が出来ただろ?」 「は?!・・・な、何を・・・と、突然言い出すんですか!?」 「その慌て振りからして、図星だな。どこのどいつだ?俺も知ってるヤツか?海司か、瑞貴? それとも、桂木さんか?!(そらにはこの浴衣はデカすぎる・・・ので除外だ)」 「・・・す、昴さん・・・怖いです・・・なんで急にそんなこと・・・」 甘子の顔がどんどん上気して赤く染まっていく。 最近の妙な色気は・・・やはり・・・ 。 「お前をこんな状態にまで追い込んだ野郎にムカつくんだよ!」 「こんなって・・・貧血起こしたのは私自身のせいだし・・・誰も悪くないですよ。それに、なんで昴さんが怒る必要が・・・」 「お前のことが好きだからだ」 甘子の目が点になった・・・とうとう口に出してしまった。 こいつの恋焦がれている男は、少なくとも俺ではない・・・それだけは分かる。 だから余計にこの浴衣を想定した男の存在に嫉妬した。 「ま・・・又また、からかってー!昴さん、真顔で言わないで下さいよ」 そう言いながらも、ほんの少し俺から距離をとったのは意識しているからか? 「・・・からかってない。正直な気持ちだ」 「だ・・・って・・・昴さんには、婚約した人が・・・」 「親が勝手に決めたんだ。俺がホントに欲しいのは甘子・・・お前だ」 「!」 遠くで鳴る花火の音が部屋に響いていた。 無言で見つめ合ったまま・・・お互いに瞳をそらせないし、動けない。 この後の展開をどう持って行けば良いのか・・・甘子の頬を伝う涙にそっと右手を伸ばした。 固まったままの甘子につけこんで、更に体を寄せていく。 「私・・・好きな人が・・・」 「お前が誰を想っていようが構わない。俺が勝手に好きなんだから・・・けどな、お前がキツそうなのは俺も見てて辛いんだ・・・だから・・・」 「あ・・・!」 甘子の腕を引っ張って、そのままもたれ掛けてきた体を抱きしめた。 布越しに感じるのは、生温かい柔らかな感触。 「一人で泣くな。俺がその想いごと全部引き受けてやる・・・」 「・・・す・・・ばる・・・・・・」 掠れた声で名前を呼ばれた。暫くして、それは嗚咽へと変わり、甘子の体から力が抜けていくのが分かった。 泣く事で緊張の糸も切れたのだろう。 本当なら今すぐにでも、この浴衣を引き剥がしてやりたい。 ただの金茶色の布なのに、甘子を守ろうとしているような妙な感じが伝わってくる。 俺は浴衣を通して、甘子の想い人と対峙しているような錯覚に陥った。 「・・・お前が望むなら、俺は婚約を解消する」 「そんなの、駄目です・・・相手の方が傷付きます」 「人を愛するって、そういうもんだろう」 「ごめん・・・ごめんなさい・・・好きなの人がいるのに・・・私、この腕を振り払えない。昴さんの気持ちを利用して・・・私は・・・ずるい人間です・・・」 胸元に顔を埋めて泣きながら、俺に訴えた。そんな自虐的な告白すら愛しくて甘子の頭を優しく撫でた。 「お前は俺に甘えてればいいんだよ。何も考えるな・・・」 抱きしめていた腕をゆるめて、甘子の顔を覗き込んだ。 ・・・俺の思いを察したのか、涙を零しながら甘子の瞼はそっと閉じられた・・・とき。 ♪♪♪〜♪♪♪〜 上着の胸ポケットに入れていた携帯が鳴った。 と、同時に甘子が俺の腕の中からするりと抜けていった・・・。 「はい・・・」 『昴さん、甘子は大丈夫ですか?』 「秋月・・・今は眠ってる。俺ももう帰るところだ」 『そうっすか・・・なんなら皆で見舞いでもって言ってたんですけど・・・』 「いや。今夜はもう寝かせてやった方がいいだろう」 『分かりました。じゃ、俺たちも帰ります。お疲れ様でした!』 「お疲れ・・・」 はぁ・・・と小さく溜息を吐きながら携帯を切った。 あいつらにこれ以上邪魔されてたまるか。 だが、この気まずい空気はどうしたものか・・・。 「・・・昴さん。今日は本当に有難うございました」 「甘子・・・」 「ジュースも美味しかったです。ご馳走様でした・・・もう大丈夫です。昴さんに心配かけないようにしますから!」 さっきまでの泣き顔を払拭するように、満面の笑顔でそう言ってきた。 これ以上、俺の手を取ることを拒むかのように居住まいを正して・・・。 「・・・その浴衣に邪魔されたな」 「え?」 「何でもない・・・お前はとにかく笑ってるのが一番だ。泣きたい時は俺がついててやるから・・・いつでも呼べ」 何事も無かったように、いつもの調子で甘子の頭をクシャクシャとかき乱す。 それがこいつの望むことならば、今夜だけは受け入れようと思った。 「はい・・・」 甘子のホッとした笑顔・・・それだけで、俺はどこか救われたような気持ちになるのだった。 部屋を出て、ふと夜空を見上げた。上弦の月がぽっかりと浮いている。 さっきまでこの腕にあった温もりが、もう恋しくなってきた。こんな気持ちになったのは初めてだ。 あの時、携帯が鳴らなければ俺は・・・・・・。 甘子への気持ちを確信した今、もう自分を誤魔化すことはできない。 ・・・たとえ誰かが傷付くことになったとしても。 運転席で煙草の煙をくゆらせながら、しばらくの間あいつの部屋を眺めていた。 ・・・頭の中で、自分に問いかける。 人を愛するって、そういうもんだろう? 〜THE END〜 →あとがき |