小説 | ナノ


02

研究所の扉は重厚で見上げるほどに大きく、その厳重さから、部外者なる者は拒み、中の秘匿は空気さえも逃さない印象を受けた。

この中に私たちは潜入する。
具体的な目標を目の前に確認すると、どことない所在なさに無意識に生唾を飲んだ。

建物内は空調が効いていてコートを脱いでも問題なさそうだ。手のひらにのせていたノースバードを近くの男に持っていてもらい、さっさとコートを脱いで腕にかける。

クリーム色に近い黄色のエプロンにローさんは若干の眉を顰めるが、もうここまで来た以上今更何も言わない。


コツコツと歩く音は二つしかない。
数名の男がふわふわと自身を浮かせているバルーンをレバーで動かしながら道案内をした。

しばらく進むとマスターがいると言うC棟の研究室に辿り着く。

コの字に置かれたソファーと、バーカウンターがまず目につく。研究室という割には開けていると感じたが、用途によって違った機材を置くために広いスペースが必要なのかもしれない。
研究とか化学とか、そういう分野についてはさっぱりの門外漢だ。


私たちの入室に、バーカウンターに座っていた女性が振り返る。秘書だと言うその女性はモネと名乗り、厚底のメガネの奥で薄く笑った。


「マスターはもうすぐ来るわ」


お茶菓子でもいかがかしらと彼女は気を遣ってくれた。彼女の気遣いはありがたいのだが、毒物を扱う得体の知れない場所で出されたものをそう易々と口にできない。
現にローさんが、いらねェとにべもなく断っている。


椅子に座って待つようにと伝えられ、ローさんは研究室のコの字に並べられたソファーに腰掛けた。
私が隣に座ることは世話係という立場上不釣り合いだとも思ったので、多少の悩みはありつつも彼の座る後ろに立って控えることにする。

そんな私を後ろを軽くのけぞる形で見上げたローさんと目があったが、すぐに逸らされ、鼻で小さくため息を吐いていた。
彼が座る隣に鬼哭を立てかけた様子から、私の立場上そうしたことも理解してくれたみたいだ。


先程まで、ピーピーと力なく鳴いていたノースバードの鳴き声はだんだん間が空いてきた。体力の限界による眠りなのかもしれない。
眠って体力が少しは回復すると良いんだけど……





マスターは何分もしないうちに現れた。
扉の隙間からガス状の何かが滲み出て来たと思えば、それがどんどん細長い人状の形を作り出す。

重いガス状の煙が私たちに相対する椅子に集まると、目や口を形作る部分が現れた。
ロギア系の能力者か。

ズズ……、ガスに姿を変えているシーザークラウンはゆらゆらとその身体を揺らしながら、ニタニタと口を開いた。


「ここに、一体何の用で来た?」
「滞在に。しばらく身を隠す必要があるもんでな」
「それで……パンクハザードに滞在を?」


ローさんの返答は簡潔だったが、滞在の理由としてはピッタリかもしれない。
シーザークラウンも身を隠しながら秘密裏に研究をしている。まあ言って仕舞えば、後ろ暗い存在だ。

ここで私たちがしばらく身を隠す必要がある理由を問えば、無駄な厄介ごとに首を突っ込むことになりかねない。
不必要な正義感を持っている人物でなければ、自分が秘匿を抱えている状態で、相手の秘匿まで暴こうとはしたがらないだろう。


「記録の取れねェこの島に来るのも苦労した。元政府の秘密施設だからな…この研究所内には現在にも続く世界政府の研究のあらゆる城跡が残っているハズだ」


この島を探り当てるのは大変なことだ。
よって、身を隠すのには最適だという事。
この島がどういう島なのかも正しく理解しているという事。

そう話す内容は、偏屈そうなシーザーの耳の傾けさせた。


「この研究所内と島内を自由に歩き回れりゃ、それでいい。こっちもお前の役に立つ何かをする。お互いにつまらねェ詮索はしない」


島に滞在するにあたり、お互いの簡潔かつ重要な取り決めを提示する。
最低限の提案に見せかけて、これならの私たちの行動に一番重要な、滞在における島内と所内での自由行動を取り付けるあたり、ローさんの交渉の巧さを垣間見た。


「勿論、おれがここにいる事も他言するな。『JOKER』にもだ」
「!?……訳知りじゃねェか……何故そこまで知ってる」
「何も知らねェ、ド素人が飛び込んで来るのとどっちがいい?」


質問には答えない。しかし、そちらの事情を知った上でこちらも詮索はしない。

シーザー自身の立場を悪くしないためにも、他所者がパンクハザードに滞在していることを雇用主のJOKER含めバレることは得策ではないだろうとローさんは持ちかける。

鮮やかな切り返しとやり口に内心感嘆した。
シーザーという男も、一から十まで説明しなければ分からないような愚鈍な男でもないからこそ、二人の会話が成立している。


その証拠に、シュロロロロと大口を開けて笑ったシーザーは同じ穴のムジナってヤツかと納得していた。

科学者である頭脳は伊達ではない事、そして……こういった裏取引に慣れていると直感した。
つまり、表舞台で生きてきた人間でもなければ、ロクな人間でない可能性が高いという事だ。茶色の髭をした男の、『救いの神』という言葉が脳裏に浮かんで消えた。


「信用はできねェが害はねェかもな。なあモネ」
「"北の海"出身、"死の外科医"、能力は『オペオペの実』。医者なのね」


ガリガリと羽根ペンで分厚いノートに書き込んでいく彼女は、ローさんのプロフィールを読み上げた。相手の情報を多く持っているということは、大きな武器になる。

勤勉さを物語る厚底の眼鏡をずらしながら、彼女はこちらに顔を向けた。ローさんもそれに気づいて視線を向ける。


「この島には毒ガスに体をやられた元囚人達がたくさんいるけど、治せる?」
「……毒ガスで失った神経を復活させることは不可能だ」
「なんだよ!オペオペの実なら出来るんじゃねェのか!?」


ローさんを煽りたいのか、シーザーは大きな身振りで不可能を強調する。オペオペの実をなんでも治せる万能な力だと思っているのかもしれない。
それとも単なる挑発か。

悪魔の実の能力は、本人の鍛錬次第で出来ることは大幅に増えるが、能力にだって決まった範囲がある。

身体を自然そのものに変えられるロギア系は、悪魔の実最強と称されることも少なくない。多くの鍛錬などなくとも自分そのものが自然であるが故に、無敵の強さを身につけたと勘違いをする能力者も多いくらいだ。

だからこそ、己が無敵と勘違いした自然系の寿命は短いとも言われているが。


「代わりの足があれば、挿げ替えてやることは出来る」
「人の足は流石にねェが……実験動物の足ならすぐ用意できるな」


人の姿を成してきたシーザーが顎に手をやり考える素振りをする。目の奥に宿る意図として、部下を助けようとする善意というよりもどちらかというと実験に近いものを感じて、不愉快さが募る。

そんな彼にローさんは、人数分用意すりゃオペしてやるとも返した。


「お前がここに滞在する……その代わり部下共に足をくれる……そりゃあ、ありがてェよ」


悪人は善人の顔をして近づくという。
片やシーザーは悪巧みをする表情を隠しもしない。「真っ当」「イイ人」を取り繕っているというのなら、その笑い方はあまりにも下衆だ。


「……だが、お前はおれより強い!!!」
「………」
「この島のボスはおれだぞ!!!ここに滞在したけりゃあお前の立場を弱くすべきだ」
「別に危害は与えねェ。どうすりゃ気が済む…」


あまりにも過剰な自意識。自己顕示欲。本人の器の小ささが透けて見える気がした。
しかし本人の言う通り、ここはシーザーの根城だ。出来るだけ本人の要望に沿うのが一番だろう。

こうしよう、トラファルガー・ロー、とさも名案を提示するかのように含みを持たせる。


「おれの大切な秘書、モネの心臓をお前に預かって欲しい」
「!?」
「いいな?モネ」


モネも暫しの逡巡の後、いいわよと応えていたが、彼女の身を脅かす提案をシーザーが持ち出したことが理解し難い。だけど、シーザーの下品な笑みがこちらを向いていることにヒヤリと嫌な予感もした。


「そのかわりに……!!!お前の『心臓』をおれによこせ!!!それで契約成立だ!!!」
「なッ……!!」


なんて、臆病な……!!!

あまりの理不尽で卑怯な言い分に、我慢できずに思わず非難の声が出た。
大切な秘書と言いながらも、提案を持ちかける材料に簡単に命を持ち出しているあたり、言葉の綾みたいなものに違いない。


お互い首根っこを掴み合っていりゃあ、お前は変な気を起こせねェ。おれも安心だ。シーザーはそう言いながら、勝ち誇った嫌らしい笑みを浮かべてローさんに契約を持ちかける。
だが、私はその笑みが許せないし、この提案は理不尽だと突っぱねるべきだとも思った。

怒りから全身の毛が粟立ち、思わず肩にかけていた弓に手をかけようとした私をローさんが座ったまま片手を手を上げて背中越しに静止させる。


「わかった」
「!?私の心臓をお使いください!」


予想外にもローさんがその提案を飲んだことに、私は焦りを禁じえなかった。ローさんの心臓を差し出したとて、シーザーには大きなデメリットが無い。彼は秘書の命を何とも思っている筈がないのだ。


戦慄く私を帽子の影から見上げたローさんは、目を細めて無言で私に言い聞かせる。その瞳から、この作戦は自分の命を賭けて臨むほど重要なものなのだと直感した。


「その通りだ、トラファルガー・ロー。お前のメイドの心臓を差し出したとして、お前の戦力が落ちる訳じゃねェ。お前の、心臓でなけりゃあ、交渉にならねェよ」
「だから、わかったと言っている」


くどい。とでも言うようにキッパリと言い放つ。
自分の命を相手に握られるも同然の取引だというのに、ローさんは至って毅然としている。
動揺するばかりの私とは大きな違いだ。彼のために命を懸けるつもりで挑んだ筈なのに、自分の覚悟の甘さを痛感するようだ。

もしこの手のひらの上にスノウバードを乗せていなければ、脅しをかけるために、何かしら攻撃の手段を探してしまった。
動揺しながらも逡巡めぐる一瞬を動かずにいられたのは、手のひらで眠るスノウバードのおかげかもしれない。


冷静さを欠いては、毒に足元を取られてしまう。
そうだ。どうしたって私たちはこの島において異物なのだから、公平な交渉ができないことなどわかっていたではないか。

まずはここに潜入と滞在をすること。ローさんの命は私が命をかけて守ること。そのための誇りと自由だと、頭に昇った血を外に積もる雪を思い出しながら冷やしていった。




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