小説 | ナノ


1.Nothing ventured, nothing gained.01

「嬢ちゃん、情報が欲しけりゃ"身体で払う"って方法もあンだせ?」


ガヤガヤと喧騒が絶えない飲み屋の奥、カウンター越しにニヤリと男がいやらしい笑みを浮かべてそう言った。

対峙している外套に身を包んだ長い黒髪の女はその申し出にキョトンとした後、コテンと軽く首を横に傾げる。そして身体を覆う外套と背負っていた大きめの弓をカウンターに立てかけた。


「いいわよ」


あっけらかんと答える彼女の意外な返答にカウンター奥の店主の男は、驚きと喜びに目を開かせる。

しかし彼が彼女の白い手を取ろうと伸ばした腕は、当の彼女が椅子に足をかけてカウンターに跳び乗ったことで空を切った。


彼女が履くタイトなズボンの上に、いつの間にか腰に巻き付けたのか、長いシフォン生地のスカートがふわりと店主の目の前で揺れた。


艶やかに長い前髪を無造作にかきあげる。
それは何かのスタートを予期させる仕草だ。

その予想の通り、彼女はタン、タン、タン、タンと四拍子の手拍子で小気味良いリズムを取り始めた。


呆気に取られる店主をよそに、事の他その乾いた拍手の音は居酒屋に鳴り響く。
突如始まった一定のリズムを刻む手拍子に、酒を飲んでいた一部の客がなんだなんだと視線を向け始めた。


手拍子は一定のリズムを保つ。
そのリズムに合わせて、彼女は爪先立ちで両足を肩幅くらいに開いたり、時に片足のつま先を軸足の膝につけてバランスを取ったりした。

自分でする拍手の音に合わせて始まった動きは、次第に伸びやかに、大きくなっていく。

彼女が上にジャンプした時には軽業のように空中で足を打ち替え、ふわりとテーブルの上に着地する。

拍手につられて他の者たちも拍手に混ざり、始めはたったひとつだけ響いていた拍手の音がだんだんと数を増やし始めた。


彼女はその動向に応えるように大きく手足を伸ばす。

簡単な動きのはずなのに、指先まで神経の通った仕草はそれだけで目に焼き付いた。

右足を顔の真横の高さにまで上げてバランスを取った後には、足を組み替えて今度は左足を真後ろにあげてポーズを取る。

足を打ち鳴らすと、軽快な音が弾けた。

腰に巻かれたストール状のスカートがキラキラと靡いて優雅に踊りに色をつける。



何事が始まったのかと言う騒めきが自然と彼女に視線を集める。
酒屋で起きる騒ぎなどといえば、十中八九、荒くれ者どもの喧嘩だ。

それなのにいつもとは様相の違う囃し立てる音と声に、事態を飲み込む前につられた野郎どもが手拍子を叩いて、それらが渦のように大きな音楽となる。

彼女は空いているテーブルの上へ軽やかにジャンプし同様に小気味良く踊りを続けた。

ひらりと観客の眼前で揺れる布地は、飲み屋にはある種似つかわしくない、凛とした華やかさを纏っていた。


まるで真っ直ぐ咲いた一輪の花だ。
芯の通った彼女の体幹は、ピタリと動きを止めたり、しなかやに流動線状の動きを辿った。


彼女が一人踊るその場だけ、何にも侵害されることのない、気高く、それでいて身近な特別な空間を思わせる。


いいぞー!という声やピューという口笛に周りもつられて彼女に注目し始めると、彼女もその言葉を煽るようにクルクルとその場で何度も回転して観衆を沸かせた。


沸き起こる笑い声と歓声と拍手が、つい先程の物騒な飲み屋の喧騒をかき消していた。


彼女が踊りを終えて、テーブルの上で手足を伸ばして礼をすれば大きな拍手が店全体を震わせる。
アンコールの声も上がったが、彼女がにこやかに手を振ると歓声に変わる。

面白いもんを見せてくれて、ありがとよ!そんな口々に投げかれられる言葉に彼女は小さく手を振りながら応える。


「ありがとう!チップはここのお酒を頼んで返してね」


高らかに彼女がそう伝えた途端、酒を追加する呼び声があちこちのテーブルから次々と上がった。

もともと騒ぎの好きな連中なのだろう。
オーダーする声が我先にと競うような雄叫びに変わり、先ほどの熱気とはまた違う喧騒に包まれた。


そんな歓声の隙間を彼女は背筋を伸ばして歩く。
そして行き着いた先、先ほど店主と話をしていたカウンターのテーブルに肘をついた。


「"身体で払った"わよ」


にやっと悪戯に微笑んだ彼女の挑戦的な眼差しに、店主は腹を抱えるほどの豪快な大笑いをする。
その間も注文はどんどんカウンターに溜まっていった。


「身体で払った事には違いねェ!!面白ェ奴だ!!!」


ちょっと待ってろ!そう大声を投げかけた店主は奥に下がると、床に置いた殻の樽を蹴散らす勢いですぐに戻ってきた。


「これだ」
「ありがとう」
「だがよ、なんだってそんな情報が知りたいんだ?」
「内緒。今度はあなたが身体で払うことになるわ」


男から丸められた一枚の地図を受け取ると、外套を羽織り、頭にフライトキャップを被る。

大弓を肩に背負い、軽い微笑みを浮かべるた彼女は、飲み代の代わりにと紙幣を置いた。

振り返った彼女は店に入る前よりも一層賑やかになった出口までの道のりを、真っ直ぐ前だけを見て歩き出す。

まるで、周りには興味がないとも言えるその歩みを、1人の伸ばした腕が引き止めた。


性急に引かれた手にバランスを崩しそうになるものの、彼女は油断なく掴まれた腕の手首を返し、相手の腕を掴み捻りあげようとする。

だがその相手の掌に見えたある模様に、ピタリと動きを止めた。

そして信じられないものを見たかのように、黒くて大きな瞳を見開く。
そこには先程までにはなかった光が宿っていた。


「出るぞ」


腕を掴んできた男が小さくつぶやく言葉に、彼女は大きく頷く。

青い膜に包まれた時には、2人の姿はそこにはなかった。


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