小説 | ナノ


6.どんな別れなら、01

「そうか」


言われた言葉は、想像していたものよりもずっと簡潔だった。

返ってきた返答に漠然とした寂しさを憶えた時、私は一体何を求めていたのかとハッとする。
甘ったれた自分の無意識にどうしようもなく情けなくなって、医務室のベッドに座りながらシーツを固く握った。


海賊女帝について行く。

つまり、この船を降りることを伝えた時、ローさんは眉毛をピクリとも動かさなかった。



元々、もっと前に船を降りるはずだった。

彼の好意で乗船を続けていられたことに感謝の気持ちでいっぱいだ。

残念だと言われないことは当たり前で、むしろ厄介者が船からいなくなることに喜んだ様子を態度に出さないローさんは、なんて立派なことか。



何度も思う。

この船に乗れてよかった。


大切な思い出も大好きだった人たちも燃やされて、暗がりの中に生きてきた私に、もう一度希望や人の温かみを教えてくれたのはハートの海賊団のみんなだ。


生きる意味を見出させてくれたのも、檻の中に囚われていた私を救い出してくれたのも、ローさんだった。


山小屋で助けてもらってから、
賞金首に追われた時も、
雷鳴に魘された時も、
シャボンディでも、
彼が幾度となく助けてくれたその光景は、目に焼き付いてこれからも離れることはないだろう。


時に厳しく時に優しい低い声や、
帽子の鍔に落ちた影から覗く真剣な眼差し。
それが時に柔らかく細められて、蜂蜜色が深く美しいことも私は知っている。
筋張った手が大きくて、人より冷たいことも。


「ありがとうございました」


何度伝えた言葉だろう。
治療の時にもう言わなくて良いと言われたっけ。
それでも何度だって伝えたい。

日に焼けた肌、潮風とシンとした雪の日みたいな匂いと、消毒液の匂い。

指に掘られた死を意味する入れ墨に、私は命を救われている。




いつか船を降りる。

最初から決まっていた。

そんなことは何度も確認した。

だから、だから、




泣くな。




「いっ…、いつか……お役に立だせで……ぐだざい!!!」


鼻の奥が熱くなり、望んでいないのに涙が溢れて視界を朧げにさせる。

ちょっとだけ困った顔をしたローさんが小さくふっと笑った気配と共に、私の頭にぽんと手を置いた。

その優しい重みに堪えていた涙は、いよいよ我慢が効かない。
ズッと音を立てて鼻をすすっても、ポタポタと白いシーツにひっきりなしに染みを作り続ける。

この優しい重みに勇気付けられてきた。

これからも何度だって思いだしては、自分を支えてくれるだろう。


「お前とおれに、貸し借りはねェよ」


優しい声色。
突き放すようなものじゃなくて、諭すようなゆっくりとした言い方だった。

傷の手当てと輸送船の航路の情報の交換の契約は、随分と前に果たされている。
治療以上のものは私に与えていないとローさんは言いたいのかもしれない。

必要以上に義理を感じることはないのだと。


ローさんにしてみれば、なんて事のないものだったのかもしれない。
だけどハートの海賊団の皆んなに会えたことで、私は心を取り戻せた。
私の世界に明るい色をもう一度灯す事ができた。
それは、生を与えられたに近い出来事だと思っている。


だからいつか、命をかけてでも恩を返したい。


だけど、こんな弱った状態でそれは叶わない。
力だって足りない。
今の私には、恩を返す望みを叶えることができない。


「必ず会いに、行きますから……だから、」
「わかった」


思いを伝え切る前に、シーツを握りしめた手の手首を掴まれ、強引に掌をひっくり返された。

その上に置かれた一枚の小さな紙の切れ端。
真っ白な紙には何も書かれていない。

だけど、これは、間違いなく、


「ビブルカード……」
「ベポのものだ。航海士と船は常に共にある」


手に置かれたビブルカードを両手で握りしめて、祈るように自分の額につける。
溢れてくる涙を我慢することは難しく、嗚咽に肩が震えて声も出ない。


また、いつか、会うことを許してくれた。
それが何よりも嬉しくてたまらない。


もし彼らにもう一度会った時、「おかえり」と言っとくれるだろうか。

グラン・カルバナル号から戻った私に皆んなが言ってくれた温かな言葉に、私は何も返せなかった。

私の帰る場所じゃないから、ただいま、なんていえなかった。

次にみんなに会った時、そうであったら良い。
その時にはローさんへの恩を果たしていたい。

自分に都合の良い願いを胸に抱き、未来を想う。


「まずはさっさと怪我を治せ」


話は全てそれからだと、ローさんは私の肩をピシャリと叩いた。
ビリリとした痛みが背中に走ると同時に、肩に優しく置かれた手は優しい。

コクリと頷く私の頬に残る涙の跡を、彼は人差し指で拭ってくれた。


「はい」


そう笑顔で返事をした私に、蜂蜜色したローさんの瞳が柔らかく細められて、それが眩しくて堪らなかった。


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