小説 | ナノ


1.A new day has come.

「お願いがあります」


意を決して放った声は、操舵室によく響いた。
ベポちゃんやペンギンさん達と進路を話し合うローさんがこちらを振り向く。

航路の話をしている彼らの間を割って、声をかけるのはかなり勇気が必要だった。
けれどシャボンディ諸島はここからそう遠くない。
島についてしまえば、場合によっては私は船を降りる必要があるかもしれなかった。

だから失礼を承知で、会話中のローさんを呼び止めてしまった。だいぶ我儘な所業だと思う。

一度部屋に帰り汗を流し、シニヨンに結い上げていた髪を今は下して、肩で揺れている。
緊張から、ごくりと喉が鳴った。


私の言葉を聞いたローさんは途端にギュッと眉を寄せて、物凄く嫌そうに顔を顰める。隣に居たペンギンさんがギョッとした表情を隣に立つローさんに向けた。
その反応から見ても、だいぶ珍しい表情なのだとゴクリと生唾を飲んだ。


この海賊団のクルーではない、言ってみれば部外者の私のお願いなど聞く筋合いもないと言いたいのかもしれない。だけど、以前私がお願いした時は聞き入れてくれた……以前したお願いは……、


ーーしまった。
話の切り出し方に問題があった。
思い起こせば、私には無茶なお願いをした前科がある。


"心臓を取り出して欲しい。"

彼に以前お願いした時も「お願いがあります」と同じ切り出し方をした気がする。
というか、そう言った。


「……今度はなんだ」


溜息と一緒に吐き出された低い声に滲む呆れに、一瞬怯んでしまう。今度、という言葉から推察しても、前回心臓を取り出して欲しいと彼に無理くりお願いしたことを指していたのは間違いない。

しかし、聞いてくれる姿勢はあるようだ。
なんてありがたいと思う。
ただの居候となっている私のお願いを今更聞く必要なんて彼にはないのだから。

だけど、決心を固めた今しか、チャンスが無いような気がした。


「入れ墨を消してくださいませんか」






*******



やっとまともな"お願い"が言えるようになったな。
褒めてるのか、嫌味なのか。私には判断はつかないのだけれど、ローさんはニヤリと口角を上げて手術台に私を座らせた。

イッカクに選んでもらった芥子色のブラウスと、グレーのホットパンツから見える左の太ももの外側には闘牛のツノが生えた仮面が笑う。

この証と、決別したい。

今回トレーロに対峙して彼をもう一度振り切って逃げた時、目の前一面に広がった青い空を見て、強くそう思った。


過去の自分とのしがらみを断ちたい。


入れ墨を消すことが、その一歩になる気がした。





ゴムの手袋をはめるギュと掠れる音。
メスや縫合針が載る滅菌トレーがカチャカチャとぶつかって鳴る。目の前には手術台に付いた特徴的なライトがいくつも並んだ。

手術の用意をするローさんが口を閉ざすと、手術室という見慣れない場所や、音、置かれた器具が目や耳についた。そこで自分がかなり緊張していることに気づく。


「持ってろ」


投げて寄越された厚手のタオルを胸に抱くと同時に青い膜に包まれた。

そして何故か彼の右手に握られている鬼哭。
どうして大太刀を持っているのか聞く前に、私の左脚が太ももの付け根からあっという間に切断されてしまった。


「……ッ……!!!」


自分が彼にお願いしたことなんだから、怖がってはいけない。

まして叫び声なんて出してはいけないと、悲鳴を喉に押し込むように飲み込む。


斬られた、という事実に痛みを連想して驚いただけだ。そう自分に言い聞かせて、浅くなった呼吸を細く息を吐くことで整える。


ローさんはそんな私にチラリと視線を向けて、斬り落とした左脚を、手術台の上で自分の手元に引き寄せた。


「この方がやり易い」
「は、はい」
「怖けりゃ目を瞑ってろ」


ローさんの言葉に手元にあるタオルを握り、抱え込むように目に押し当てる。

暗転した視界の中、麻酔の効いた自分の左脚には確かに何かしら処置を与えられている感覚はある。
それなのに目蓋の裏に残ってしまった、無機物のように置かれる自分の脚の光景がなんだか怖かった。

カチャカチャと鳴る医療用の器具の音が、視界を覆ったことでより耳に響く。無意識に力の入った腹筋がゾワゾワと波打つように震えて酷く情けない。


殴られたり蹴られたり、物をぶつけられることは、組織にいた時もままあった。

武器輸送の際に闇討ちを仕掛けられたり、仕掛けたり、賞金首だということで何度も身を危険に晒すことは珍しくなかった。

痛いのは嫌いだけど、多少なりとも慣れている。


それに、ローさんは間違いなく腕の立つ医者だ。
彼の腕に恐怖心を感じる必要は無い筈だ。

彼の手元の道具から察すると、メスで皮膚を切り、縫合し、入れ墨を消す処置なのだろう。
ローさんからしてみれば決して大きな手術ではない。


「怖ェか?」
「いいえ」
「……嘘が下手だな」


鼻先に笑いをこぼしながらもローさんの手元の動きが止まる気配は無い。
彼の動作は何となく伝わってくるし、痛みはないけど、皮膚を引っ張る感じがあるから、多分縫合しているのだと思う。


「お願いしたのは、私ですから……怖いなんて、そんなこと」


怖くない。
私のための処置を怖がっていてはいけない。



急に殴られるよりも、処置とは言え今から斬ると分かっている方が怖いのだろうか。
そんな疑問が頭をよぎった。


トレアドールにいた時も、これから酷い暴力を受けるんだと確信したことは良くあった。
ひたひたと近づいてくるトレーロの前に、なす術なく立ちすくんだことは、記憶の奥底に焼き付いている。

あの時のことはもう思い出したくないけれど、怖いと思っていたかと自問すれば、確かに恐怖を感じてはいたが、どちらかというと何も感じていなかった気がする。


震える身体を押し込めて、心を空っぽにして、早く意識を失うことだけ願っていた。
あれは、恐怖というよりも絶望の方が近い。


ローさんがしてくれるのは、暴力ではなく、明確な措置だ。しかも自分がお願いをした。
自分で望んでいるというのに怖いと感じることは、おかしなことだ。


自分の身体が異能にさらされたことが怖いのか。

自分の身体から、四肢の一部が切り離されたのは初めての経験だ。
だけど、その異能を使うのはローさんであり、手厚く怪我の治療をしてくれた彼が今更、私を無闇に傷つけようとはしないはず。何よりもローさんは海賊であるが、それとは別に医者としての矜持を感じていた。


では、何故。
私は不安や恐怖を感じてしまっているのか。


「気を楽にしろ。痕も残らねェよ、大丈夫だ」


思考の合間に不意に耳に届いた、ローさんの真剣ながら絶対的な自信を滲ませる言葉。

大丈夫だと言う彼の言葉に「安心感」という、自分でも思いもよらない感情をはっきり自覚して、顔がボッと燃え上がるほど熱くなった。

咄嗟に体を縮こませようとしてしまって、脚をひくと、斬られた左脚も動いてしまってローさんに押さえつけられる。


「おい!じっとしてろ!」


危ねェだろうが!怒気を隠しもしないで彼が叱るのは当然だろう。
けれど、私は別の意味で泣きそうになって、タオルをキツく目に押し付けた。


「ごめんなさい」


甘えていたんだ、ローさんに。


今から1人でこの広い海へ飛び立たなければいけない。それは前から決まっていたことだ。

今更彼に甘えなどという感情を抱いている場合じゃない。

孤児院が燃やされたあの日から、私に甘える相手なんて許されなかった。
だからと言って治療をしてくれた、優しくしてくれた相手に、無条件に甘えの感情を抱いてしまうのは、あまりにも図々しいではないか。


ローさんへの気持ちを理解してしまった今、彼に私を見てほしいと思えど、それを彼に伝えるのはお門違いな気がした。

運良く彼に救ってもらえた私が、その思いを抱くには分不相応にも思えた。


治療は"取引"だった筈。
何かと気遣ってくれるローさんとは言え、取引以上の何かを私が無意識にも求めてしまったとしては、良い顔はしないだろう。


なんて、いけない考えだ。
邪念を振り払うように何度も左右に首を振った。


これ以上、私がここにいて良い理由がない。


生きる目的を見つけさせてくれたローさんには抱え切れたないほどの恩を感じている。
今も入れ墨を消す施術を手ずから施してくれている。

いつか彼の役に立つことで、この気持ちは返したいと思う。


だけど彼との取引を終えた今、私が船に乗り続ける"理由"を見つけ出すことはできなかった。


「もういい。目を開けろ」


どれほど考え込んでしまっていたのだろう。
強く握りしめていたタオルをそっと外されると、金色の瞳とかち合う。

その瞳の虹彩があまりにも綺麗に思えてしまって、そこに優しさの光さえも都合よく錯覚する私は、なんて浅はかなんだろう。

自分の弱さに恥ずかしくなって、目頭がじわりじわりと熱くなった。


「よく頑張ったな」


そんな私を見て、施術への恐怖と勘違いしたのだろう。ローさんは私の頭を優しくぽんぽんと叩いて目を細めてくれたから、自分が情けなくてまた泣きたくなってしまう。


優しい瞳で私を見てほしい。

優しくなんてしないでほしい。


二律背反した気持ちが胸を掻き毟る。
息をすれば気持ちを吐露してしまいそうで怖い。


手術中ずっとタオルを強く握りすぎて握力が抜けた拳をなんとか握りしめて、ようやく瞬きができた。
それでも選ぶ道はきまっているから。


「ありがとうございます……これで、前に進めそうです」


いつも身にまとわりついて離れなかった組織の証。
それが消えた左の外腿を、丁寧に巻いてくれた包帯の上から撫でた。

無意識のうちに私を縛り付けていた見えない縁が、どんどん細くなって、いつか、ぷつんと切れて無くなりますように。

入れ墨を消したことは、その足がかりに必ず、なる。


身体に刻まれていた忌々しい証を消すことで、記憶に焼き付いた辛い過去を乗り越えていきたい。
ローさんに出会って初めて、そういう意思を持てた。



「節目、か」


使った医療器具を片付けながら、ローさんが短く含むように呟いた。


「なァ、羽根屋。時代の節目を見に行くか?」


振り向いたローさんの瞳は、不敵に揺れていて、まさに最悪の世代に相応強い強さを宿していた。

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