小説 | ナノ


6.火遊びはしない 01

「どうした?食事が進まないみたいだな」


朝日が白いカーテンから透けて入る部屋で、上品な白い食器にカトラリーが軽くぶつかる音が鳴る。静かで落ち着いた食卓のはずなのに、ちっとも手指は動かなかった。


「……味が濃くて、口に合わない」


無愛想な言葉と共にカチャリとナイフとフォークを置く。昔と変わらない味付けは、塩辛くて好きじゃない。


「変わらないな」


トレーロは含み笑いを隠さずに口元をナプキンで拭い、近くに立っていた給仕の女性に人差し指一本で指示する。メイド服を着た女性は軽くお辞儀をすると、私を一瞥して部屋を出て行った。

随分とわかりやすい不躾な視線だ。私が屋敷にいた時には見なかった顔だと、彼女の視線を横目に受け流す。

別になんと思われているのかは知らないけれど、私はトレーロの特別な人なんかじゃないのよ。胸のあたりがムカムカして、居心地の悪さにどんどん食事を食べる気が失せていく。


とは言え、朝方にグラン・カルナバル号での彼の拠点としているホテルを訪ねてきた女と、それを快く招き入れた自分の主人との関係を不審に思うのは仕方ない事だ。

部屋を出て行ったメイド服の女性は、私がここを抜け出してからここにいる奴隷なのかな。薄暗い気持ちになりながら、目の前に置かれた綺麗に盛り付けられたままの食事に視線を落とした。



……いずれにせよ、お互い詮索しあいっこは無しだ。どんな事情でここに居るにせよ、私が彼女にしてあげられることなどないし、彼女が私に出来ることもない。



第一この朝食はなんだと言うのだ。私がこの組織にいた時と待遇が違う。常習的に足首には鎖を繋がれて、満足に食事を与えられなかった日だってあった。


私が彼の元へ戻って来たことに機嫌を良くしていても、それはまるでひとときのまやかしだ。
どうせ待遇などこの男の気分次第だし、私がここにいることに慣れれば以前の生活に戻ることは目に見えている。

ならばこちらだってほの都合の良い時間を利用させて貰おう。爆弾付きの首輪で行動を制限されていたとしても、思考までは奪われたくない。

楽屋でトレーロに対峙した時に頭が真っ白になってしまった。逃げ出せなかった事実は変わらないのだけれど、今はひとつだけ、どうしてもやらなきゃいけないことができた。


ハートの海賊団を、この船から、無事に出航させることだ。


四方を砲台に囲まれて、無惨にも海に沈んでいった海賊船が脳裏をよぎった。


「舞台を確認しに行きたいのだけれど」


下げられた食事の代わりに、果物が盛られた皿が出される。林檎やバナナ、キウィや苺が一口サイズに美しく盛り付けられていた。


この席で食事を始めた頃より少し高くなった朝日が、首にはめられているゴールドを輝かせる。反射した光が下瞼を首元から煩く照らした。その輝きがどうにもわずわらしくて、顔をしかめて窓から背ける。


「1時間後に出るとしよう」


私一人に行かせる気はないらしい。
舞台が始まるまでは逃げやしないから安心していいのに。内心思うも、伝える気はない。


そう。舞台が始まるまでは、逃げない。



ブズリと苺にフォークをたてた。



*******



「バル・マルケよりも歴史は劣るがね」


会食をしながら芸術を楽しむ事が出来る、特別な会場になっている。と、劇場へと続く町並みを歩きながらトレーロは言った。

料理も一流のコックを用意して、お客様をもてなすつもりだ。鼻高々に話す彼の頭には、武器の商談を引き立てる華々しい演出が描かれているのだろう。


うんざりしながらその隣を歩いていると、
「買われてしまったか。残念だ」
という言葉が耳に飛び込んできた。

思わず振り向くと声を発したであろうある貴族の男性と目が合う。男は気まずそうに帽子を軽く掲げて会釈をした。


ああ……なるほど。

この、グラン・カルナバル号のもう一つの側面が分かった。
 

海賊に何か一芸を披露させてその芸術性を楽しむことが、この船の第一の目的かもしれない。
だけど同時に、その中で気に入った海賊がいたら奴隷として買い入れることがこの船のもう一つの顔だったと言うことか。


なかなか良い趣味を持った船だ。
侮蔑の感情を隠しきれないまま、男性に会釈を返した。


トレーロも周りから私に注がれる視線に気づいたのか、私の肩に手を回す。それはまるで、自分のアクセサリーを見せびらかす行為と同じだ。

肩に回った手をきっかけに、先程よりも無遠慮な私への値踏みをする視線がまとわりつき始める。
賞金首として命を狙われるチリチリとした気配とは違う、ねぶるようなネットリと絡み付く視線。


気持ち悪い。思わず顔を伏せた時に、視線の端に白い見慣れた服装が人混みに紛れて見えたのは、恐らく心の何処かで彼らに助けてほしいだなどと幻想を抱いてしまったからだ。


彼らに助けは求めない。


ポーラータング号の出航の妨げにならない様、私は私の舞台に立つ。

生きる活力を与えてくれた彼への恩返しをしたい。
今の私を突き動かしているのは、そんな気持ちだった。


彼に助けを求めてしまうということは、彼らがこの船を出航出来なくなってしまうということだから。

私は私の力で、戦う。

そう決意を強く瞳に宿して、劇場の扉をくぐった。




練習は今、済ませる様にと指示される。事前にトレーロが用意していたトーンダイアルを音響を担当する黒服がスピーカーに繋いだ。

流れてきた音楽に合わせてステージの広さや感覚を慣らしながら踊りを踊ると、観客席の真ん中に座ったトレーロが満足そうに頬を緩めた深い笑みが垣間見えた。


曲が終わると、ゆっくりとした拍手が鳴り響く。
トレーロは機嫌の良さそうな顔して舞台の前まで歩いてくると、くるりと観客席を向いて手を広げた。


「今日のステージは最高なものになるだろう」
「それは……良かった」


舞台の中央に立ちながら、トレーロに声をかけると彼はこちらに顔だけを向けニヤニヤと笑った。
嬉しくて堪らないのだろう。珍しい表情だとも思った。


「最高の商品が手に入った」
「私が運ぶの?」


もちろん、そうだ。トレーロは頷く。
一度逃げ出した私を、彼はまた信用しているのだろうか。


「これからの時代は、SMILEだ」
「スマイル?」


笑顔か。物騒なものほど明るい名前が付く。スマイルとは闇取引におけるなにかの隠語なのだろうか。

首を傾げる私に更に気を良くしたのか、トレーロは聞いてもいない話をツラツラと話しだした。


「人造悪魔の実のことだ。どんなに美味しそうに見えても食べるなよ?途方もない苦労と労力、金をかけてやっと手に入れられる商品だ」


これからの時代を作る、新たな商品だとも彼は続けた。

つまりは、ろくでもない人間がろくでもないのとをしようとしているということ。
今の私にはその事実だけ分かれば良かった。


「……ねえ、トレーロ」


駆け引きは自然な装いで行うものだ。
いつもの何気ない会話、調子、全ては日常の一コマに紛れ込ませる。


「貴方、まだ私を信用しているの?」
「……」
「貴方の元を逃げ出した私に、そんなに大切なものを運ばせるの…?」
「…逃げられないことは、もう分かっただろう?」


背中を向けている彼に私は淡々と話し続ける。
話す言葉の意味以上のものを何も悟られない様に。


「認めたく無い事実なんだけど……貴方の元を離れて、わかった」


舞台の中央から彼の背中に向かって歩いて、膝をついて彼の肩にそっと手を乗せた。


「貴方の籠の中じゃないと、生きられないんだって」


肩に乗せた手を、トレーロが肩越しに握る。
彼の指をジャラジャラと装飾する指輪が冷たい。
その冷たさが背中をゾワゾワさせた。

だけど私の本心なんかどうだって良い。演技ならいつもしていた。足に血豆ができて切り裂くような痛みが走ったとしても舞台の上では常に、そう、スマイルだ。
人造悪魔の実がなんだというのだ。怖いものなんてこの世にはたくさんある。今の私が恐ろしいのは、私のせいで私の大好きな人たちを傷つけてしまうことだ。


「やっと気付いてくれて良かったよ。
その言葉を聞くことができたなら、お前のいなかった4年間の苦労も報われる」
「……ごめんなさい」


私の不在が寂しかったなど、そんな情のある理由ではない。それは、足のつきにくい輸送の手段を失った取引が酷く苦労したことを指していた。


彼にとって私は便利な道具でしかない。
昔と変わらず、彼は私を道具として使うつもりだろう。

道具として生きるのは構わない。
でも誰に使われるかは、私が選びたい。


「だからね、貴方にせめてもの償いのプレゼントを舞台でしたいの」


舞台は私に任せて。彼の耳元に頬を寄せて、そう呟くとトレーロは満足そうに深く息を吸い込んで口角を上げた。



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