小説 | ナノ


05

ーーシェリー酒には"今夜は帰りたくない"って意味があるのよ。

本来なら男性から頼むお酒なんだけれど、女性が飲むとその愛を受け入れると言う意味になるお酒なの。

彼は、きっと貴女のことを少なからず大切に思っているんじゃないかしら。
だからそのお酒を意味も知らずに頼んだ貴女に驚いたのかもしれないわねーー



"お前の安全が確認できる島に責任持って下ろしてやるよ"



……優しさがこんなにも悲しいだなんて知らなかった。


私との約束を守るためにローさんがリュムールさんとしてくれた取引を、当の私が全て無碍にしてしまうことが遣る瀬無くて情けなくて、辛い。




窮屈に冷たく肌を冷やし続ける首輪がある限り、私はもう、どこにもいけない。


ローさんの優しさを知った今、
自分の置かれた立場が忌々しくて、情けなくて仕方なかった。

トレアドールから逃げ出して、自ら生きたいと思えるようになった今、私は世界を自由に飛べていると思っていた。

でも結局、そんなものは思い違いだった。
私はいつまでも"籠の中の鳥"でしかなかったと、トレーロと対峙して思い知らされた。


トレーロを目の前にしたら、足が動かなくなり思考も奪われた。
過去の痛みを思い出した身体は自由を奪われて、恐怖に染められた頭の中は絶望的に真っ暗だった。

もう足にはめられていないはず足枷は、目に見えなくなってもずっと私の足を縛り付けている。自覚せざるを得ない事実に目の前がどんどん暗くなって、真っ直ぐ立っていられなかった。





この首輪がある限り、私はどこにも逃げられない。それ以上に、見えない鎖で雁字搦めにされていて飛べやしない。



最初に鎖を巻きつけたのはトレーロだったかもしれない。でも、それを振り解けないのは私の力が無いせい。
彼を前にしたら、持ち得ていた僅かな勇気さえも風に吹かれた塵の様に霧散してしまった。



どんなに自由だと思いこんでいても、本当の意味で私は自由なんかじゃなかった。
すぐに足元を掬われて、もとの場所に容易に連れ戻されてしまう。




全ては弱い私のせい。



だからこそ、惨めで堪らなかった。





"連れて行って欲しい"



そうローさんに乞い願うことさえも、重い首輪が喉を締め上げるように言葉を全て奪って、出てくるのはカラカラと乾いた音のない叫びだけ。




せめて。

せめて、私が出来ることはハートの海賊団の彼らを、安全にこの船から出港させること。この事だけは叶えたい。


彼らがグランカルナバル号を離れるのは午前中の内だけらしい。
私の舞台は午後。舞台が終わるまで、絶対に彼らに手出しはさせない。


明日にはもう会えなくなってしまう彼らの、飾り気のない大口を開けた笑顔が目蓋の裏を過ぎる度に、嗚咽が漏れてぐっと喉を締め付けた。




夜道をめちゃくちゃに走って、どこをどう抜けて辿り着いたか記憶がない。けれどいつの間にか大きな時計塔の真下に辿り着いていた。


「はぁ…ッはぁ……っ、」


喉がひりひり焼き付いて息がうまく吸い込めない。膝に手をつき、呼吸を整えると、自分の心臓が慌ただしく音を立てる鼓動が身体中に響いた。


時計塔がカチリと鳴らした短針の音に顔を上げると、丁度長針も短針も12を指した大きな盤面が頭上に見える。

御伽噺で言えば、ちょうど魔法が解ける時間。


楽しかった私の冒険も魔法が解ける様に終わる。



翼を広げて、時計塔の上にふわりと降り立つ。

ここで叫んだことも、今は何だか懐かしい。
ローさんに掴まれた腕の感覚が未だなお熱を持っているように思い起こされた。

下を見下ろしてみればゆらゆらと輝く街頭や家から漏れる明かりが宝石みたいに輝いて見える。



一つ一つの宝石が宿す濡れるような光を見ていると、胸にしまっていた、輝きを纏う思い出たちが次々と蘇ってきた。



森で初めてベポちゃんに会ったことも、
治療してくれた丁寧で、確かなローさんの手捌き。眠れない私の境遇を彼が黙って聞いてくれた時の、深夜の静けささえも昨日のように覚えている。


そうそう、ハートの海賊のみんなが快気祝いの前祝をしてくれてビックリするほど嬉しかった。嬉しくて涙が出ることをあの時初めて知った。

一緒に洗濯物を甲板に干した時、目の前に広がっていた澄み渡る青空と洗濯物の揺れる白さが目に焼き付いて離れない。




ローさんに買ってもらった二段アイスの味もずっと覚えているし、いつもと同じように賞金首に狙われた私を頭を優しく叩いて慰めてくれた手の感覚も昨日のことのように思い出せる。


死にたい気持ちが無くなり戸惑う私の心臓を抜き取って、自分の生に向き合わせてくれたのも、
雷鳴に魘される私の手を握り続けて側に居続けてくれたのも、ローさんだった。


ローさんを振り向かせたくて自分の知らない感情に任せてに全身全霊で踊ることができたことも、全ては彼がいたからだ。



「全部、全部……。ローさん、みんなの、おかげです」


ありがとう。

物語は魔法が解けて、おしまい。
私の身に余る程の幸せだった。



感謝の気持ちを噛み締めた。
震える肩を抱きしめて、目をつぶり夜に散らばる宝石を遮る。


すると夜の風に乗って、深夜には煩いと感じる、けれど聞いたことのある濁音の鳴き声がこちらに不規則に向かってくるのを耳が捉えた。


「ジョ〜〜〜〜〜!!!!!」
「ハートちゃん?!?!」


明かりの少ない夜の空にこちらに飛行をする派手な色をした鳥。バタバタと不恰好に大きな音を立てて翼を羽ばたかせる音が時計塔まで届いた。



一部の鳥は鳥目と言う夜盲症を持っている。夜間になると急激に視力が落ちてしまうと図鑑で読んだことがあった。

ノースバードがその種類にあたるかは定かではないけれど、こちらに向かって飛んできている彼女はふらついて、そのうち建物にぶつかってしまうのではないかとゾッとさせる。

嫌な想像を確信する前にハートちゃんの背中に彼女が持つ翼よりも大きな翼を生やした。
突如背中に生えた、自分のものではない翼に驚き、更にバタバタと暴れて羽ばたくハートちゃんに思わず叫ぶ。


「ハートちゃん!!私だよ!ショウトだよ!」


ハートちゃんの耳に届くように大きな声を張り上げれば、視界の悪い中私の声を拾ってくれたみたいでバサバサと不穏に鳴り響いていた羽音が止んだ。

そのタイミングを逃さないように、私の腕へと運んで彼女を抱きとめる。ようやく安心したかのように頬を胸に押しつけるのは、ずっと不安な気持ちで飛行していたからだろう。背中をよしよしと撫でると、唸り声のような低い鳴き声を小さくあげている。


「一体何処へ行きたかったの?」


そう問えば、力強く嘴を上げた彼女が私の目をみて、彼女は濁音を鳴り響かせて叱り付けるかのように大きな声を上げ始めた。
多分私に対して怒っているのは分かるんだけど、いかんせん鳥語が分からない。今度はこっちが混乱する。


「あの……、その、私、何かしちゃった??」
「ジョーー!ジョーー!!」


当惑する私を他所に、ハートちゃんの珍妙な大声量は中々止まらない。そろそろ耳が痛い上に、勢いに押されてごめんと叫ぶ私も何に謝っているのかわからない。


ハートちゃんの嘴がゴチン!と頭に当たって、鋭い痛みと熱を感じたのを最後に、彼女の気持ちも済んだのか言葉の通じない怒号はやんだ。


それでもまだ怒りの炎を目に宿したハートちゃんは、フンと鼻を鳴らして自分の背中を私に向けた。あまりにも彼女が暴れるから気づかなかったけれど、その背中には小さなリュックを背負っている。

可愛らしいリュックを見ていると、早く!と言わんばかりにハートちゃんが短く大きな声で鳴いて急かした。は、はい!と身を引き締めリュックを開けて中身を取り出せば、薄い黎明色の長いヴェールが綺麗に折り畳まれていた。

鮮やかな紅掛空色は、まるでこれから朝日が昇ろうとしている、夜との境目の神秘的な青紫だ。




ヴェールを使った踊りは数多くあるけれど、この色や、長さのものを使った踊りは一つしか知らない。


……でもそれは、禁止された踊りだ。



「…………戦えって、言うの?」


絞り出した私の質問にハートちゃんはニヤリと笑って応えた。

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