小説 | ナノ


02

__BAR ROSEUS

ロセウスと描かれた、些か古くも歴史を纏う木彫りの袖看板は、ネオン街の光の様々な光を受けながら重厚なドアの上に鎮座している。そして同じく漆黒の木で出来た重くずっしりとしたシックなデザインの扉の前に、私は立ち尽くしていた。



ーー今日、21時に"ロセウス"という店に来い




一度ホテルに帰ってシャワーで汗を流した後ローさんに言われた言葉を律儀に守り、派手ではない紺色のミモレ丈のドレスを着てお店まで来てまたは良いものの……、


今尚扉を開けることができずにいる。



かれこれ、もう30分は経っているだろうか。
つまり、約束の21時はとうに過ぎていた。



ここまで来たのだから、さっさと扉分ければ良い。
頭の隅でそう思うも、この場所は紛うことなく昨日、ローさんが美しい女性に腕を取られながら入っていったお店だ。チリン、扉を開けた時に聞こえたベルの音がまだ耳に残っている。


「…綺麗な人だったな」


切り揃えられた後ろ髪が風にさりげなく靡いたのも、そこからちらりと見えたうなじも、細く長くてしなやかな指先も、艶やかな形の良い赤い唇も、

全て私には無いものだと痛感した。


怖かった。


悔しいと思う気持ちよりも、私なんかにローさんが目を向けるはずもないとやけに確信めいた気持ちが沸き起こり、勝手に突き放されたような気分なって、足元がグラグラと崩れていくような錯覚がした。


この扉を開けるのが、怖い。


自覚として突きつけられた不相応を、彼の口から再度現実だと認識させられるために私はここにいるんだと思うと、扉が恐ろしく大きく、酷くおどろおどろしいものに感じた。
いつも通り、首にかけた黒い羽の入った小瓶を握りしめてみても、事実を突きつけられて傷つく準備はいつまでも整わない。



___チリン


昨日聞こえたベルの音が聞こえた時、見知った顔が扉の隙間から顔を出した。



「あ、ショウト。あんまり遅いから、お前の事を呼びに行こうと思ってたところだったんだ。それにしても、入り口に突っ立って何やってんだ?キャプテンずっと待ってるぞ」
「ペンギンさん」


瞠目して立ち尽くす私に痺れを切らしたのか、ペンギンさんは、ホラ!と私の手を掴んでドアの奥へと引っ張った。

黒を基調にした、薄暗い明りに照らされた店内には様々な種類のお酒の瓶が立ち並んでいる。色取り取りのステンドグラスのようだ。

店内には疎らに人がいるが、それぞれがお酒を嗜むように飲んでいる。時折いくつもの笑い声が響いた。

ジャズのしっとりとした音楽が、店全体を撫でていく。ピアノの曲調と部屋全体の灯りが、落ち着いた、けれど怪しげな雰囲気を醸し出して揺れていた。


場違いな場所にいるのではないか。

そう思うと心細い感情が肩をジリジリと焦がしていく。首元にはめられたゴールドのネックレスがやけに冷たいし、重い。


「キャプテン、ショウトが来ましたよ」


入り口奥のバーカウンターに見慣れた背中が立っていた。もはや親しみさえ感じるジョリーロジャーが描かれたパーカーを着た彼がペンギンさんの声を受けて、不機嫌そうにゆっくり振り返り、カウンターに背中を預けた。


「……遅ェ」

響いた低い声には微かに怒気をはらんでいるような気がした。
当たり前だ、約束の時間は過ぎている。


ペンギンさんは苦笑すると、私の背中をポンと軽く叩いて笑い声が聞こえる席の方へと去って行ってしまった。きっと向こうにはシャチたちもいるのだろう。
不機嫌そうに眉を寄せるローさんを前にすると結果として遅刻した後ろめたさに怖気ついてしまって、どうか私も彼らの方に行きたいと思った。


「あら!今日大活躍だった子じゃない!とても素晴らしかったわ!」


ローさんに遅刻したことを謝るために声を出そうとしたその時、ローさんの影になっていたバーカウンターの奥から女性がひょっこり顔を出したものだから、思わず息が詰まった。


彼女の口ぶりから言っても、舞台から感じ取った雰囲気からしてもローさんと舞台を一緒に観にきていた女性に違いない。

明るい表情で話しかけてきた彼女は、この前見た艶っぽい表情よりも茶目っ気が強そうな軽快さを纏っていた。それもまた彼女の魅力なんだなと思うと、どんどん自分が矮小なものに思えて仕方なくなり、逃げだしたくなった右足が一歩後ろに下がる。



「嬉しいわ、来てくれたのね。
私もあなたとお話ししたいと思っていたの」


意外とハスキーな声だと思った。
ただ、気さくに話しかけてくれる彼女の顔をまともに見る勇気は無かった。

話したいことって、なんだろう。
私はあなたと話したいことなど、無いはずなのに。

もうローさんに付きまとわないで欲しいとか、彼が貴女に優しくする義理なんてないのよとか、そういう私の立場を知らしめる話をしたいのかな。


それならどうか安心して欲しい。
私は、すでに、船を降りたのだから。


「ふふ、可愛い子じゃない。船長さん?」
「……うるせェ」


カウンターに肘をつきながら、ローさんににこやかな表情を向けて話す彼女をローさんは鬱陶しそうに遇らう。そんな2人のやりとりが仲睦まじく見えて、なんだか羨ましくも遠い存在に感じた。


「何か飲む?」


バーカウンターの奥に立つ彼女がウィンクしながら目配せしてきた。私も彼女にならって愛想をよく出来たらいいのだけれど、先程から自分がこの場に居る事に感じる居たたまれなさについ視線は下に落ちる。
それでも突っ立っている訳にもいかずローさんの隣まで歩き、目の前の彼女の整えられた美しい爪を見つめた。


こういうところで飲むお酒は分からない。
どうにか知っているお酒の名前を頭の中で懸命に思い出そうとした。この前、ポーラータング号の台所からお酒を拝借した時に並んでいた酒瓶のラベルはなんだっけ……


「えっと……シェリー酒、…を」
「……!?」


そうだ、そんな名前の酒瓶があった。思い出しながらお酒の名前を言うと、カウンターに向き直り気だるげにグラスを傾けていたローさんが急に噎せた。


いつもの彼らしくない反応に、私が何かおかしなことを言ってしまったかと焦りに焦り慌ててローさんの顔を覗く。彼は拳で口元を覆いまだ軽くむせていた。

そんなにおかしな事を言ってしまったのかな……。

目の前に立つ女性も驚きに軽く目を見開いた後、楽しげに軽く微笑み返してきた。

そんな2人の反応に、恥ずかしくて居たたまれなくて、なんだか、もう嫌だな、と思いながら木目が刻まれたカウンターにまた視線を落とす。ここに居るのが、どうしようもなく辛い。


「お前、意味わかって言ってるのか…?」
「意味…ですか?」


首を傾げる私をローさんは見下ろした後、盛大にため息をついた。


「酒の意味もわかんねェ奴は、こっちでも飲んでろ」


ピシャリとそう言うと、ローさんは近くに置かれていた可愛らしい絵柄のボトルをひっ掴み、私にグラスを持たせて乱暴にお酒を注いできた。
オレンジの香りがするその飲み物は、先日ペンギンさんに酒場で渡されたジュースと同じものだった。


「あの、これ…」
「それも立派な酒だ」


そう言って、ローさんはグラスに残っていたお酒を煽るように飲み干した。不機嫌にさせるような事をしてしまったのかと思うと、この場からすぐにでも退散した方が良い気がしてバツの悪さに居心地が悪い。


「ごめんなさい…」
「ちょっと、船長さん。そんな言い方したら彼女が可哀想でしょ」


あなたも謝ることはないのよ、と小首を傾げて私のグラスを握る手を取る女性の手は思ったよりもしっかりしている。
それでも、長い指は美しいし肌もきめ細やかだった。そんな手に自分を比べてしまい、情けなさから喉の奥が熱くなる。


「ノーブルは元気にやってる?彼とは古い仲なの」
「え、あ……はい。ノーブルさんのお陰で無事踊りきることができました」


ノーブルさんのアシストが無ければ、今回の踊りを踊りきることは出来なかっただろう。
舞台の熱気と照明の眩しさがまぶたの裏に浮かぶと、彼への素直な感謝の気持ちが溢れてきた。


そんな私を、ふぅん。と優しい口調でカウンター越しの彼女は見つめてきた。その視線にどう返せば良いのかわからずに戸惑っていると、彼女はバーカウンターに片腕で頬杖をつきながら口の端を悪戯に少しあげて私の顔を覗き込む。


「あんなに刺激的な踊りを踊れる子は、どれ程の自信家かと思っていたけれど…控えめで、それにとっても純真なのね。
貴女に興味があるわ。…男としても、女としても」
「…おい」


彼女の目がキラリと鈍く光った様な感覚に囚われたと思った時、隣からローさんが嗜めるように言葉を挟んだ。

その一言に我に帰り、同時に目の前の女性が言った言葉に引っかかりを覚える。


「男としても、女としても…??」


私の呟きに、ローさんと女性が同時に視線を向けた。2人の反応に私が首をかしげる。


「あの、男性の方がいらっしゃるんですか…?」


バーカウンターには目の前の女性しかいない。
男としても、女としても、と彼女が言った意味が分からなかった。


「お前…まさかとは思うが…」


キョトンとする私にローさんがサッと顔を青ざめさせて、言葉を詰まらせる。

カウンターの奥で、パンッと柏手を打ち鳴らす乾いた音が聞こえたと同時に、先程とは打って変わったテンションの高い声色が耳に届いた。


「やっだ!ショウトちゃん!!私のこと女だって思ってくれてたの?!」


頬に手を当てて、もう片方の手をヒラヒラと降る女性は嬉しそうに頬を染めているが、私の隣ではローさんがげっそりと脱力していた。


「………、……え??」
「見る目がねェにも程があるな、羽根屋…」



「えーーー?!?!」

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