小説 | ナノ


5.So much for my BAD ending 01

「随分、辛そうだなァ。俺の最愛の籠の鳥」

ドアがガチャリと開いた音は、確かに耳の端で捉えていたと思う。
聞こえていたのに劇場の関係者が何かと思い込んで、心の震えを抑えるために無意識に聞かないふりをしてしまっていた。

そんなこと、するんじゃなかったと本気で後悔して心臓に冷たいものが落ちた。



「……トレーロ」


二度と呼びたくなかったその名前。


「もう忘れちまったかと思ったよ」


ドアの鍵をガチャンと後ろ手に閉められた。
高級そうなスーツに身を包んだ男が、ジャラジャラといくつもの宝石の指輪をはめた両手で、襟を正しながら不愉快な笑みを浮かべる。



二度と、顔など見たくなかった。


「忘れたくても、忘れらんねェか?
お前のご主人様の顔は、よ」


コツコツと態と靴の音を響かせて私に近寄ってくる男は、紛れもなくこの左足に刺青を施した男だ。

私ががいた組織『トレアドール』の若きボス、トレーロ。私を、籠の中に閉じ込めた張本人。

首がヒュッと締まり、冷たいものが背中を伝う。
トレーロが一歩近づく度に、足が自然と後退した。


喉がカラカラに乾いて、声が出なくなる。
隙をついて逃げようにも足が震えて力が入りない。
近づかないでと叫ぼうにも、唇はワナワナと震えるばかりで役に立たなかった。



体に刻み込まれた恐怖心が、私の身体の自由を一瞬で奪い取り、底のない絶望に落とす。

頭から冷水を浴びせられたように総毛立って、冷えているのに昏倒しそうなほどに思考がまとまらない。



「せっかく見つけたお前を取り逃がしたと聞いた時は焦ったよ。だが、ここに現れたのはラッキーだった」



ガタン。大きな音を立てて、腰に化粧台の椅子が当たった感覚に背筋がゾッと凍る。

男に近寄られる度に後退していたが、部屋の端まで来てしまった事に血の気が引いて何も考えられなくなった。

頭が真っ白に染まったいくことに、爪先からパニックがせり上がってくる。


せっかく、ここまで、逃げてきたのに。
戻りたくなんて、ないのに…!!!


「せっかくの再会なのに、警戒した子猫のように毛を逆立てないでくれよ。……ああ、お前は、小鳥だったな」


睨みつける私を見て、大袈裟に悲しそうな顔をするが、話している内容は私を侮ったものでしかない。



私はお前の小鳥なんかじゃないと、全身の血が熱く滾る激情に任せてナイフを片手に生成する。
しかしそんな私を見下ろしながら男が懐から取り出したのは長方形の封筒だった。

手から滑り落ちたナイフが床に落ちて、カランと高い音を立てた。


「毛を逆立てるばかりが賢いだけじゃない。これが欲しければ、大人しくしているんだな」


男が手にしていた封筒にはバル・マスケの刻印が入れられていた。つまり貴族から今回の踊りの評価が記入されたカードが入っているに違いない。
ハートの海賊団のみんなが無事にこの船を出港するための手立てとなる切符だ。


「なんで、貴方が…」

それを持っているの。
ようやく絞り出した言葉は、稚拙な疑問でしかなかった。


「親交のある取引相手でな。お前は俺の"古くからの知り合い"だから、素晴らしい踊りを賞賛しに行きくために是非そのカードを届けさせて欲しいと『お願い』したところ、快く譲ってくれたよ」


古くからの知り合いなどと言う言葉を強調して、封筒をひらひらと揺らして見せびらかす。

何も政府や海賊がマフィアの取引相手だけではない。国や貴族だって武器を欲しがる者達は星の数ほどにいる。
この目の前で下品に笑いかけてくる男と親交をもつ貴族など掃いて捨てるほど存在するだろう。


絶望感からくる目眩に目がチカチカした。



「要求は」
「相変わらず、話が早いな」
「勿体ぶらないで!何が望みなのよ?!」

両手を降参の位置に上げ、声を荒げる私を物珍しそうに眺めている。いちいち勘に触る男の仕草に、焦りからか舌打ちまで出そうになった。


「随分感情を表に出せるようになったんだなァ。
……あの、海賊たちのお陰か?」



底意地の悪い声に思わず肩が揺れた。



知られている。

彼らを私の都合に巻き込みたくなどなかったのに。


私のせいだ。

あの冷たくも優しい温もりを持つ指を、私が乞うてしまったからだ。

冷たい彼の視線に時折混じる、優しげな光をいつまでも見ていたいと望んでしまったからだ。



もとより彼らに、私なんかが関わってはいけなかったんだ。

悔しくて情けなくて、目頭が熱くなる。
身体中の血が沸騰したような気分になった。


「この評価を記したカードも、あの海賊団の為のものだろう?お前がその気になればこの船から飛び立つことなど容易いだろうからな」
「……」


トレーロは片手に封筒を見せつけたまま、もう一度懐に手を入れて、ゴールドの輪になったアクセサリーのような物を取り出した。
輪の大きさから言ってネックレスだろうが、この趣味の悪い男のことだ、ただのアクセサリーである筈がない。


男はそれを私によく見せつけるように、自分の顔の位置まで掲げた。金属がキラリと光る様がどうにも底冷えする冷たさを感じさせる。


「それで、ここからはお前と取引だ。
今回のお前の踊りを見て、かなり多くの貴族どもがまた観たいと言っていてな。
お前が『俺のために』明日踊ると言うなら、このネックレスをはめた上で、カードをお前に渡そう」


一層強調された、俺のために踊れという言葉。
誰が貴方の為になんか踊るか、とは言えなかった。


そのカードは大好きな人たちのために手に入れようとしたもの。
私が、我慢すれば、みんなの為になるなら。




「わかった」


覚悟とともに奥歯がギリと鳴った。


「良い子だ」


トレーロは近づき、私の首に冷たい金で出来たネックレスをかけた。ネックレスと言えば聞こえは良いがこれは紛れもなく、首輪だ。


「あの海賊どもが出航できるのは、明日の午前中のうちだけだ。お前のステージは午後3時。
もう明日にはあんな奴らに会うことも無いだろう」


不愉快な優しい手つきで頭に乗せられた掌を、私は軽く頭を横に振ることで拒絶した。
ローさんのあの、手の感触に比べてみるまでもない。
勇気づけてくれた優しい掌だけは忘れたくなかった。


「この首輪……私が逃げないように、爆弾でも仕込んであるんでしょう?明日にはもう逢えないんだから、お別れくらいは言わせて……」


もちろん良いとも!と、大袈裟な身振りでトレーロは私の願いを承諾した。それにさえ勘に触る。


「……もう、良いでしょ。早くカードを置いて、出て行って」
「久しぶりの再会なのに、つれねぇな。……まあいい。明日の昼前にお前の泊まっているホテルに迎えを送る」



指輪が並べ立てられた手で、私の手を取り彼は唇を寄せてきた。足元からゾワゾワと恐怖と絶望が這い上がり、なりふり構わずその手を振りほどく。


トレーロはそんなこと気にもかけない様子でテーブルにカードを置いて、振り返ることも無く部屋出て行った。



バタン。


そう音が聞こえた時に、膝から崩れ落ちるように床に座りこむ。足に力が入らない。


頬に一筋の涙が伝った。

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