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4.あなたの髪に指を絡めて 01

18時。


舞台の開演を知らせる低いブザーの音が、会場に響いた。
オーケストラの音楽が静かに流れ始め、緞帳がゆっくりと上がると観客席から大きな拍手が沸き起こる。



賞金首である私がこの舞台で踊ることは、公演前に劇場のポスターである程度周知されていた。


賞金首が出演するとなると、賞金稼ぎや海賊、果ては海軍まで呼び込むトラブルの元じゃないのか。

そうノーブルさんに尋ねたが、この船は貴族たちの力で成り立つ船であり、海軍は貴族の遊びに手を出せない。
万が一、賞金稼ぎや海賊が騒ぎを起こせば、海軍の駐在所やここからほど近い海軍本部からすぐに海兵たちが駆けつけるから、そう言ったトラブルはそうそう起きないらしい。



その他気になることが多くて、公演前にいくつかノーブルさんに不安や心配事は質問していた。

特に、私が代わりに出演してしまうことへの影響に関してだ。


ーー「チケットを事前に買ってくれていた人に、出演者が急に変わることで残念に思う方々がいると思うのですが。クレームや払い戻しに対応されるとしたら、私はどうやってその分をお支払いすればよろしいですか」


人気のダンサーならその人を見たくてチケットを買った人だって少なくないはず。
なのに今回急に私が割り込んでしまっているから、本当に心配だった。


「うちはいつも白鳥と黒鳥は一人二役でやっていたから、ダンサー自体がまるっきり見れなくなるわけではない。それよりも賞金首の代役というのはなかなかお目にかかれないもので、レアなチケットに変わったことを喜ぶ人の方が多いよ。
万が一の場合は払い戻しをするけれど、あまりそう言ったケースはないね」


私の質問に君はとても律儀だなと、驚きに目を丸くして呟いた後ノーブルさんは優しく言い聞かせてくれた。


「現に、当日のチケットまで午前中のうちに売り切れて満員御礼さ」ーーー




彼の茶目っ気のあるウィンクが印象に残った数日前のやりとりを、一人与えられた楽屋の椅子に座り思い出していた。


上と左右に明かりがつけられたドレッサーに映る、自分の姿。
そこには黒鳥の衣装に身を包んだ私が真正面にこちらを見つめていた。


黒のチュチュの胸元から腰までには金色の豪華な刺繍が施され、スカートにはシルバーのスパンコールを星屑のように散らした、全体的に黒が美しく映える衣装。

頭には赤い宝石をあしらった幅広のクラウンが飾られた。


衣装も髪飾りも全てが舞台で照明を浴びれば、一層キラキラと美しく輝くだろう。



チュチュに袖を通せば、気が引き締まり、
付け睫毛を付ければ自信が湧いて、
メイクが仕上がれば、それはもう私じゃない。


鏡を見つめて、昂ぶった気持ちを抑えるために息を吐く。



ーー誰かを欲しい。と思ったこと、ないでしょ


胃のあたりにズドンと重く伸し掛かる言葉は、不安な気持ちをふつふつと押し上げた。


上滑りするような踊りだけはしないようにしなくちゃ。目の前の自分を信じて、自分の全力を出し切るしかないんだ。


伏せた目をもう一度あげる。
鏡に映る自分自身に向かい、黒い瞳に目を合わせたまま頷いて、憂いに震えた気持ちを鼓舞し直した。

大丈夫、大丈夫。やれる事はやったんだから。



絡み合う不安は忘れて舞台に集中しようと、どんな時もお守り代わりにしている黒い羽根の入った小瓶を握りしめる。

その握り拳を額に当て、細く長く息を吐いた後、舞台袖に向かうために楽屋の椅子を引いた。


そろそろ、第二幕も終わる頃合いだ。
これが終われば25分の休憩を挟み、私の出番の第三幕が始まる。












舞台袖に着いて、それをやってみようと思ったのは、本当に、出来心だった。




ハートの海賊団の皆は来てくれているのかなと、観客席の気配へ意識を集中させてみたのだ。


あの時計塔でした約束通り、ローさんも来てくれていたら嬉しい。
彼が私の姿を観に来てくれていたら、それだけで舞台に立つ力になる気がした。



瞳を閉じて、息をゆっくり静かに吸って、吐く。


……いつも感じていた彼らの気配は、研ぎ澄ました意識の中、舞台右斜め前のボックス席にあった。


ローさん、ベポちゃん、シャチ、ペンギンさん…



「…え……、」



ローさんの隣に知らない人の気配を感じた。

二人の距離がやけに近い。
ローさんの肩にしなだれかかり、寄り添うような格好でこちらを鑑賞する姿に、確かめるまでもなく女の人と一緒に舞台を観ていることがわかった。



頭を殴り付けられたような衝撃とは、まさにこう言うことを言うのか。変に冷静な自分が、他人事のように独りごちたけど、理解は追いついていない。

膝の力が抜けたのか、もしくはめまいを起こしたのか、フラフラとよろつき、とっさに舞台袖の手摺を掴まえる。
混乱している頭と、掴んだ金属の冷たさがあまりにもチグハグで、思考だけがどこかへ切り離された気分だ。




私の、踊る舞台なのに。

なぜ、なんで、関係のない、女の人がいるの?

隣に座っているのは、一体、誰?




頭の中を鈍い衝撃が幾層にもなって殴りつけてくる。
砂嵐のような混乱が胸中を蹂躙して駆け巡る中、休憩を知らせるアナウンスが遠くに聞こた。
ザワザワと静かな喧騒が会場に返ってくる。


「ショウト?どうしたんだい?!」


二幕を踊り終えたノーブルさんが舞台からはけて来た時に、私の異変に気づいたのか慌てて声をかけてきた。


「…、……っ」
「なんで、泣きそうになってるの」


舞台に立つことへの不安に押しつぶされそうだと勘違いしたのか、ノーブルさんは私の背中を少し強めの力でパシパシと叩いた。


「…悔しい、悔しいんです」


背中を叩かれた勢いで、ポロッと溢れた私の本音。

それはあまりにも拙い、子どもじみた思いだった。
だけどこの胸の中で怒涛のように激しく渦巻く思いを一言で言うならば、「悔しい」がピタリと当てはまる。


「何に悔しいんだい?」
「ここには、私のことを、観に来てくれているんだと思ってました」


ノーブルさんは何かを悟った様に、私の背中を叩く手を止めた。目の前に膝をついて、私の両手を取り、目線を合わせてくれる姿に、迷子の子どもをあやすような優しさを感じる。

そして声のトーンを落としてしっかりとした声色で、言葉を区切って言い含めた。


「それは間違いないよ。皆、君を、観に来ている。ここからは、君の舞台だ」
「でも、他の女の人と一緒なんて酷いです……」


ポロリと一粒だけ、涙が零れ落ちる。


ローさんが誰と一緒でも、自分にはもう関係ないと何度も何度も割り切ったはずじゃないか。


私はハートの海賊団の皆の為に踊るって、
それが何より果たすべき目的だからって。


それでも、私の踊る舞台に"他の誰か"なんて連れて来て欲しくなかった。
私とハートの海賊団の……ひいては、ローさんとの約束の舞台だと、勝手に思い込んでいた。




「…君の今の気持ちを、言ってごらん。大丈夫、君は誰よりも魅力的だから」


ノーブルさんの優しくも力強い声に、今まで喉につかえていた言葉が思わず溢れて、零れ落ちる。




「私を、みて」




出てきた事はとてもシンプルだった。

ずっと頭の隅で言ってはいけないと、閉じ込めていた思いは、荒れ狂う気持ちの高まりにいよいよ我慢できなくなってしまった。


言葉にしてしまえば、難しい気持ちでは無かったかもしれない。

嵐のように胸を掻き乱すドス黒い渦は、結局のところ嫉妬なのだ。

一度気づいてしまえば、堰を切ったかのように、もう、歯止めが上手く効かない。


他の女の人なんて見ていないで。

私を、私だけを、みていて。



「その気持ちを今から彼に、ぶつけに行こう」


伸ばされた手を取り、彼の後ろに控える舞台からじっと目を離さず頷いた。


叫び出したいこの気持ちが、
瞳の奥で、胸の中で、溢れかえる。

身体全身から熱く揺らめくこの思いが全て、舞台の上から届く様にと、緞帳が降りて見えなくなった観客席を見つめた。


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