小説 | ナノ


02

何処と無くモヤモヤする気持ちを抑えて、バル・マスケでノーブルさんやバレエ団の人たちと打ち合わせをした後、夜まで練習に打ち込んだ。


約3日で踊りを仕上げる為には信じられない程の急ピッチで取り組まなければいけないし、何より踊っている時は気持ちが空っぽになって余計な事は何も考えずに済む。


意図せずとも練習にも力が入り、気づけば劇場近くのホテルのベッドに倒れこんでいた。



練習はとても充実していた。


3日後に開かれる講演で一つ役を貰い、そこでノーブルさんと一緒にグラン・パドドゥ※を踊ることになった。

流石スターダンサーとのダンスとなると、アシストも抜群に上手い。何度も繰り返し練習させてもらう内に、やっと相手の呼吸や癖を掴んできた所だ。


※華やかな二人の踊りの意味。男女主役二人の組みの踊りのこと。




練習に打ち込んだ分、身体が鉛の様に心地よく重い。

フカフカのベッドに沈み込んだ身体には、もう起き上がる気力は残っていなかった。

自然と下がってくる瞼の重みに従う。
明日の朝シャワーを浴びて、外に出て、ご飯を食べよう。

決意だけ固め、そのまま泥の様に眠りに落ちた。





*******




「はー、美味しい」


そう言いながら鼻から息を吸って深呼吸すると新鮮な空気が肺をキラキラと満たす。

しっかりと眠った翌日は身体もスッキリしている。


綺麗に整備された公園のベンチに腰掛け、太陽光を受けて光の粒が跳ねる噴水を眺めながらベーグルサンドをもう一度口に運ぶ。


少し硬めのパンに、塩味の効いた生ハムが食欲をそそる。


そう言えば、パンを食べたのは久しぶりだ。



ポーラータング号の食事は基本的にお米が主食だった。というのも、船長であるローさんがパン嫌いな為らしい。

あのすました顔をしてパンが嫌いだと憚らずに言ってのけるローさんを少し可愛らく思う。



これからは、好きな時にパンを食べることができる。

けれど、ハートの海賊団の皆の事を思い出す度に、きっと私は懐かしんで、おにぎりやお米が主食の物を積極的に食事に選ぶんだろうな。


そんな大切な思い出が増えた事が嬉しくもありながら、過ぎてしまった日を寂しくも感じる。



「昨晩は最高だったわ!あの大物ルーキー、トラファルガー・ローと一晩過ごせたんですもの」
「良いわねぇ、私もあの酒場に行けば良かったわ」
「あら、それでも夜を共にしたのは私よ!」


三口目を口に運んでいた時、背後から至極楽しそうに話す、少しハスキーな声が飛び込んできた。それは今まで身近に感じてきた人物の名前を含むその話題で、かいつまんで聞こえた内容に何故だか背筋が冷たくなる。


「つれない態度が、こう、グッと来るのよね。彼とってもセクシーだったわ」


興奮冷めやらないのか気色ばんで話す女性の声が聞き耳を立てるわけでもないのに嫌でも耳に入った。


大声でぺちゃくちゃ話す程、嬉しかったんですね。


冷ややかな思いでもぐもぐとベーグルを咀嚼するが、パサつくばかりで、何故か先程みたいに美味しいとは感じなかった。


ベンチに座る私の後ろを、カツカツとヒールの音を鳴らして通り過ぎていった足音を背中で見送る。


目の前の噴水からは、変わらず光の粒を浴びた水が絶えず流れ続けているのに、心は急に靄がかかって、美しいとは感じなくなっていた。




何故、昨日も今も、こんなに苛々しているのだろう。



ハートの海賊団の皆が無事に出航できる様に力になりたいと思い、彼らの居る酒場に駆けつけた。


全部自分の心のままに行動しただけなのに、
酒場にいる女性たちの視線を集めるローさんを見た途端、ムカムカと胸あたりが淀んで来たのだ。



そして今、彼と一晩共にした事を喜ぶ女性の声を聞いて、悲しいと言うか、ムシャクシャすると言うか……どうにも心を乱されている。




私はローさんの行動に何か言える立場じゃない。

そう、そもそも関係ないのだ。



もう私は船を降りているし、ただの患者と医者の間柄で、単なる情報提供者。
お友達でもないし、クルーでもない。


それなのに、彼の挙動に気が立つなどお門違いも甚だしい。



ベーグルサンドを包んでいた紙をぐしゃぐしゃと丸めて、公園に設置されているゴミ箱に投げ込んだ。

放物線を描いたそれが、ゴミ箱を掠め地面に落ちたことにさえ、舌打ちをしそうな程苛つく。



ねえ、私は一体どうしたと言うの。
しっかりしてよ。


肩を落として溜息をつきながら、指先でゴミに翼を生やして、再度紙くずをゴミ箱に放り込んだ。





「なーんだ、お前元気ねェの?」


背後から間延びした声が降ってきた。

声の持ち主は、私が座るベンチの後ろ側から背凭れに手をつく。
かと思うと、あっという間に背凭れをジャンプで飛び越え、座面にドシンと私の隣のスペースに着地した。


あまりにも唐突で、それなりに大きな振動を伴った登場の仕方に驚きを隠せないでいると、隣に尻餅をつく様に座ってきたーーシャチがどうだ、と言わんばかりのしたり顔で覗き込んできた。


「凄い…びっくりした」
「だろ?なんとなくショウトの背中が元気なさそうだったからよ」

驚かせてやろうと思って。
悪戯っぽく笑うシャチにつられて思わず笑ってしまう。


不思議とさっきの苛々なんて、何処かに飛んで行ってしまっていた。


「元気だよ、シャチのおかげでもっと元気出た」
「そりァー良かった!
……ところでよ。昨日一緒に居た男、何者なんだよ」


シャチが居ると一気に、場も気持ちも明るくなるなぁ。

畏まって声を落とし尋ねてきたシャチに、そう言えば昨日、ハートの海賊団の皆へノーブルさんが何者なのか伝える前に、酒場を後にしてしまったことを思い出した。


「彼はここのオペラ座のスターダンサーで、オーナーなの。力を貸してくれる、とても心強い人だよ」

「へー、なんだかキザな奴だったけど、この船の実力者だったんだな。……お前の肩を急に抱いたりするから、変な奴じゃないか俺もキャプテンも気にしてたんだ」


シャチがポロリと零した、ローさんの存在に先程のモヤモヤが顔を出しそうになる。


別に気にしてもらう様な事、何もないじゃない。


なんて、悪態をつきそうになるのは、所在のはっきりしない自分の気持ちへのただの八つ当たりだ。


ただ、ペラペラとローさんとの関係を話す女の人と一晩過ごす事は、なんだか私だって看過できない気もする。

彼の品位まで下げられてしまう気がしたからだ。

私が勝手に"憧れのローさんの像"を創り出してしまっているだけかもしれないけれど。


「ねぇ、シャチ。ローさんに、女の人を選ぶならもう少し慎重になったらいかがとは言わないの?
さっき、ローさんとの事を大きな声で話している女の人が居たよ。ちょっと、その……下品かなって」


見た目は見ていないので分からないけれど、きっと綺麗な人なんだろう。

でも話の内容は大声で話す内容ではないし、周りに誇示したくて話しているなら尚更、品位に欠ける。


シャチは、あー……と言いながら帽子の上から頭をガシガシかいて困った顔をしていた。


「そりゃ聞いてたお前も気分を悪くしたかもな。でも仕方ないっていうか……」

言い澱む彼に、どうしようもない事なのだと言外に伝わった。
女性がローさんのお眼鏡に叶うタイプの人だったとか。そういうこと?
シャチから口出しできる様なことじゃないってことなのかもしれない。


「そっか。ま、ローさんだって男だものね」
「お前、それ、言い方…」



やめだ、やめ。


ごちゃごちゃ考えても精神衛生上良くないし、これ以上私が口を挟む事もないだろう。

バッサリと言い切ってしまえば、隣でシャチが唖然としながら口をパクパクさせていた。

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