小説 | ナノ


04

厨房で明日の仕込みをするコックさんを手伝い、仕込みが終わる頃には夜も遅くなっていたけれど、暫くキッチンに残ることにした。
どうしても眠りにつくことが難しそうだったからだ。

キッチンを出て行くコックさんが、無理はしすぎない様に。と、心配そうに一言声をかけてくれたことに感謝しながら頷いて、彼の気配が無くなってからキッチンの戸棚を開く。


そこには酒瓶が何個か並んでいた。
それらが何と言うお酒なのかはわからないまま適当に1瓶掴むと、戸棚からガラスのコップを取り出す。

盗み食いだな。もしこの場にコックさんがいたらきっと止められただろうなと、内心で彼に謝りながらも、どうしても飲みたい時もあると自分を正当化した。
そして、いつも座るカウンター席の一番端っこに腰掛け、潜水の窓から覗く暗い海の泡を眺めて、薄く息を吐く。



瓶を開けると小粋な音が弾ける。コップにトプトプと注ぐと、黄金色の液体が容器に満たされた。
アルコールはあまり好んで飲まないので、お酒の名前とか度数とかよく分からないまま注いでしまったが、一口、口を付けてみるとリンゴの甘い香りが鼻に広がる。まろやかで甘く口当たりが良いので飲みやすい。


ふぅと一息ついて、ゆっくりとした瞬きと共に今日の出来事を振り返る。
今日という1日は本当に色々と巡るましかった。

人攫いに追いかけられてみたり、ヒューマンオークションを見たり、海軍に追いかけられて、パシフィスタとの戦闘もあった。


そして、何より天竜人がいた。


あの時、ローさんに止められていなかったら私はどうしていたんだろう。
麦わらのルフィみたいに、彼をぶっ飛ばしていたのだろうか。


私にそんな勇気無かった。


怒りに任せて天竜人に手を上げようとしたのは間違いないけれど、その後ろに控える海軍大将やら諸々の権力に怒りを押しつぶされて矛を収めていたに違いない。つまり、ローさんに止められるもなかった。

それが常識的な反応かもしれない。
そもそもあの日、私たちを追いやったのはあの天竜人ではない。

それでも暴走した権力を振りかざし続ける人物であることには変わらないのに、矛を収めてしまう臆病な自分を、私は許せなかった。


「弱虫だよね…」


両肘を机について黒い羽根の入った小瓶を両手で握りしめる。
組んだ掌の上におでこを押しつけて、やるせなさに詰まる息を吐き出しながら呟いた。

もちろん、返事など誰からも返ってこない。





ーーー踊りと音楽が盛んな国に、私たちとシスターは暮らしていた。

決して裕福な生活じゃ無かったけど、笑いの絶えない幸せな毎日を過ごしていた。


皆で朝露に光る野菜を採って食卓に並べたり、
シスターの焼いたクッキーが黒焦げだと笑ったり、
花や動物と戯れ森の中をどこまでも走ったり、
子どもたちと日が暮れるまでごっこ遊びをした。

毎日午前中にはシスターにバレエのレッスンをしてもらい、時には街へ行って舞台の屋根裏にこっそり忍び込み、ダンサーたちの踊りを見に行ったことだってあった。



それがいとも容易く壊されたのは、あの日。

忘れもしない、あの国で数年に一度開かれる大きな舞台を天竜人が鑑賞に来た日だ。


天竜人が来航するという日は、朝から物々しい雰囲気に包まれていた。
厳重な警備が港を固めて、町中の音楽隊やダンサーが歓迎の音楽や踊りを奏でて舞う。それらはいつもと違う雰囲気をありありと感じさせた。

とても大きな船が港に来て、護衛の海軍を引き連れた天竜人の一団が、たまたま孤児院の前を通った。


私たちはシスターに言われた通り、その時間は外に出ずにいた。誰の目にも止まらないように、建物の中で一団が通り過ぎていく事を静かに息を潜めて見守っていた。

それなのに一体、何の不幸か。
私たちの孤児院を見て天竜人は、こう言い放ったのだ。

「この質素で小汚い小屋は何だえ?この、素晴らしい踊りと音楽にそぐわない景観だえ。早く焼き払ってしまうがいいえ」

彼らの通り道は、孤児院と教会をつなぐ裏手に近かった。たまたまそこに身を潜めていた私は彼らの会話に、耳を疑った。

小汚いと言われる様な外観じゃない。小屋と言われるような建物でも無い。ただの慎ましやかに生活して、貴方たちには何も迷惑をかけずに私たちが住んでいる場所だ。護衛についていた海兵たちにも動揺が走った。

「し、しかし、あれは教会の孤児院でして…」
「うるさいえ!言う事を聞けないのかえ!!」
「…承知しました」

天竜人の近くに控えていた海兵が進言するが、それを聞き入れようとする姿勢は一切無かった。

「しかし、大佐!」
「……天竜人の言う事だ。それに……ジゼルには…、いや、シスターには"あの"疑いがかけられている」
「………」

恐怖に震える脚を叱咤し、シスターに逃げようと伝えようと振り返った瞬間、建物が大きく揺れて爆発が起こったことが数秒遅れて理解できた。


その後は、その混乱に乗じて街に居着いていたマフィアが乗り込み、シスターと皆を焼き払っていった。

でも、私は知っている。
最初の爆発で、孤児院を混乱に追いやり、建物の中に居たシスターや子どもたちの逃げ道を奪ったのは、海軍が放った一撃だったと言う事を。

その後、マフィアがすぐに襲撃してきたのは、自分たちの手を汚す事を嫌った海軍からの差し金であると言う事を。




目を閉じれば、あの時の混乱や恐怖が匂いや音を連れて蘇ってくる。
額を手の甲に乗せたまま、唇を噛み締めた。
あの日の悲鳴が何度も胸を貫く。





「絶食明けに飲酒とは、感心しねェな」

耳慣れた心地良い低い声。
その声に意識を取り戻すように目を開き、緩慢な動作で頭をあげる。
声のした方向に視線をずらすと、眉間に皺を寄せ、不機嫌を隠さないローさんが扉を開けてすぐの所に立っていた。


「昼間の心配をして健康状態のチェックをしに行ったら、部屋に居ねェ。その上、こんな所で酒を飲んでいやがる」

私の顔を見たローさんの片眉がピクリ動く。
コツコツと僅かにヒールの音を立てて私の元に近寄りカウンターに左手をつくと、私の顔を軽く覗いた。


「泣いてンのか」

ローさんの問いかけが意外で、驚いた。
泣いてなんていなかった。
瞼にも頬にも涙の気配など何処にもない。

それなのに、ローさんは右手で私の乾いた左頬を拭う。

「ご心配をおかけして、ごめんなさい」

昼間、戦闘があったのは私だけじゃ無い。
命のやり取りの最前線にいたのは、むしろローさんの方だ。

疲れているのは皆同じだと言うのに、絶食明けに無理した患者とはいえ、私の体調を気遣ってここまで探しに来させてしまった。

謝りながら、笑顔を作って彼を見る。
ローさんは未だ私の瞳を真っ直ぐな目で覗き込んでいた。


「嬉しけりゃすぐに泣く癖に、辛い時は笑うのか」


今度ばかりは瞠目するしか無かった。
開いていた口は何も紡げずに、そのままゆっくりと、無力に、閉じた。

その通りだ。

嬉しくて泣いても、辛くて歯噛みしても、いつだって笑顔は絶やしたく無かった。


記憶の中のシスターがいつも笑顔である様に、
海軍のお兄さんが明るく笑っていた様に、
私もいつも笑顔でいたかった。



「…誰かに思い出して貰う時は、笑顔を思い出して欲しいですから」

そうポツリと零した言葉にローさんが軽く息を詰め、空気が震える。


一体誰に覚えていて欲しいの?


そんな自分への問いに答えなどなかった。

ただ、いつも思い出の中で私を支えてくれる2人と同じ様に笑っていたかった。
そんな風に生きていたいと思う。


自分への問いに対するやるせなさに膝の上で拳を握りしめた。
これ以上ローさんと視線を交わらせるとあらぬ本音まで見透かされそうで、テーブルの上に置かれた金色に揺らめく液体に視線を移す。

グイとその液体を喉に流し込むと、喉がアルコールで焼ける感覚に襲われた。かなり強いお酒なのに、こんな飲み方するんじゃなかったと後悔しながら軽く咳き込む。

「あの。心配してくださってありがとうございます。私はこの通り、おかげさまで元気です。夜も遅いですし、おやすみなさい」


机に両手をついて立ちあがるも、不意に私の左手をローさんの右手が掴み、動きを制せられる。
彼の体温が低いせいか、アルコールで多少火照っている肌には少し冷たくて心地良い。

どうしたのかと手を伸ばした本人を見るが、何か思いつめた様にお互いの手の上に視線を落としたまま動かなかった。


ローさんの入れ墨の入った手の甲に彼につられて視線を落とすと、まるで電気が走ったかと錯覚するほど唐突に、あの雷の音の中、私の手を握り続けてくれた筋張った優しい手の感覚が蘇る。

先程シャボンディ諸島で手を繋いだ時に初めて握ったはずの彼の手に覚えがあったのは、きっとあの、嵐の時の記憶があったからだ。

誰よりも長く私の手を握ってくれて、頭を撫でて、安心させてくれた彼の手はとても心地良くて好きだと思った。

私の左手に乗った、ローさんの右手に私の右手を重ねてみる。
綺麗に切り揃えられた爪、スラリと伸びるしなやかな指、体温が低めの少し冷たい手。


「雷の中、私を勇気付けて安心させてくれたのは……ローさんだったんですね」


温かい思いに頬や肩にジワジワとした熱を感じながらローさんを見上げ微笑むと、彼は眩しいものを見るかの様に目細めて私と視線を合わせた。

それは彼の初めて見る表情ながら、何かを懐かしんでいるような視線だ、と直感が語る。


「医務室まで送る」

私を掴む手に僅かに力が伝わり、短い言葉と共に離される。
重ねられた手が離されてしまったことがなんだか寂しい気がしたけれど、それはきっとアルコールを飲んで人肌恋しい気持ちになっただけだろう。



ローさんには治療の他に、助けられてばかりだ。
頭をポンポンと叩いて勇気付けてくれることも、
手を握って安心させてくれたことも、

一度は踊れなくなって生きる意味さえ分からなくなってしまった私の命が、今またここで息を吹き返したのは、彼の存在があったからだ。



きっと、いつか必ず、あなたのお役に立ちます。


そう思いながら、前を歩く彼の背中を追った。

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