小説 | ナノ


02

「あの船だ」

控えめなノックが3回。
短く返事をすると静かに開く扉の音が、窓際から海上をのぞむおれの背中に届いた。

例の船が見えて来たことを、船長室に裏取引の航路を示した地図を運んできた羽根屋に、海を見たまま背中越しに声をかける。

遠く波間の間に姿を表し始めたグラン・カルナバル号は、今は微かに見える程度に小さい。

しかし、あの鳥が運んできたチラシに違わず、巨大な船であることはその距離感を以って分かった。



羽根屋が両手に持っている数枚の丸めた地図を、執務机に脇に置かれた円筒状の筒の中にソッと入れると、スコンと乾いた音が部屋に響く。
彼女はそのまま窓際に歩み寄り、窓の外に小さく見える客船を俺の隣に並んで覗き込んだ。



羽根屋に懐いていたノースバードは今、操舵室でコンパスの代わりを果たしている。

たまに羽根屋が彼女を構ってやらないと怒って暴れるから大変だとベポがため息まじりにボヤいていた。
それを羽根屋は、きっと鳥の図鑑を読んでいて付き合い方が判るせいだと笑ったが、おそらく彼女とあの鳥の相性もあるだろう。



「ローさん」

船内の窓が大きくない為、存外近くに肩を並べていることに声をかけられて漸く気づいた。
羽根屋を見下ろすと俺の視線に気づいたのかこちらに顔を向け、微笑みを堪えながらおれの名前を呼ぶ。


そこまで背の高くない羽根屋の顔の位置は俺の胸あたりで、半ば仰ぐ様にして俺を見上げていた。
いつも姿勢良く背筋を伸ばしているためか、もっと背の高い印象があった。



「今まで、本当に、お世話になりました」


柔らかく微笑む羽根屋の黒髪が光に照らされてキラキラと輝いていた。

この船に乗せた時のボロボロだった彼女の面影は今はない。
治療と情報とを引き換えにこの船に乗せた彼女は今や快復して、まとまった情報をこちらも受け取った。

今、彼女がこの船に居続ける理由はもう無い。



「この船に乗せて頂けて、良かったです」


グラン・カルナバル号がどんな船であれ、かなり大きな客船であるのは間違いない。
定期船も出ていることだろう。羽根屋の能力があれば、もう何処にだって行ける。



「ローさんに助けてもらえて、たくさんの得るものがありました。ありがとうございました」


花が綻ぶ様に破顔すると、おれに向かって礼を言った。何度も聞いた羽根屋からの礼だが、今回は妙に耳に残る。



「バカ、海賊が"いい事"なんてするかよ」


おれの言葉を聞いた羽根屋はふふっと小さな声で笑うと、穏やかな余韻だけを残して窓際から静かに離れていった。
振り返った時に靡いた長い黒髪から甘い匂いが微かに鼻をか掠める。

「ハートちゃんのところに寄ってから、荷物をまとめて来ます」

そう言い残し、彼女は深々と一礼して船長室を出ていった。





引き留めようか内心迷った。

羽根屋の能力は戦闘以外でも実務面でとても重宝する。
自分だけでなく他者や無機物に飛行能力を与える能力は、どうやったって空を飛ぶことは叶わない者たちからしてみると羨望すら感じるだろう。


シャボンディ諸島で見せた大人の男数名を飛行させたその手腕は、正直眼を見張るものがあった。


あの時は彼女が自分たち以外に能力を使う事が気にくわない……理由は自分でもハッキリしねェが……半ば反射的な独占欲に近い気持ちで、ユースタス屋にまでその力を貸す事を咎めた。

しかしそれと同時に、大人数を同時に持ち上げ、飛行させることは彼女に多大な負担をかけるのではないかと心配したからだ。


だが、羽根屋は苦しそうな表情を一瞬しただけで、おれたちを持ち上げた後は空を飛びながらいつもの様に口角を上げていた。
それが苦し紛れなのかどうかは判断はつかない。



だからと言って、彼女の能力から彼女を仲間に欲しいと言う訳にはいかない気がした。

そうしてしまえば道具のように彼女を消耗し、今もなお苦しめるマフィアの組織と同じ扱いをする事になってしまう。


それに彼女の為人に触れてみると、能力だけを見て、欲しいかどうかの話をするのは幾分浅薄に思えた。




ベポの手当てをして海賊船にまで送り届けたお人好しとも言える優しさや、
おれたちの手当てに遠慮がちに礼を言い、
人の温もりに触れたことに感激して涙を流す。
口元にはいつも笑顔を絶やさず、
儚くも力強く、月の下で踊った姿。

全てひっくるめて羽根屋なのだ。




キッチンのカウンターで彼女が呟いた、
"誰かに思い出して貰う時は、笑顔を思い出して欲しいですから"
……あの言葉には、心底驚かされた。


まるで命の恩人である、あの人を彷彿させるような言葉を、まさか彼女から聴くとは思いもよらなかった。


死の別れ際に彼が見せた笑顔は、彼を思い出すたびに蘇る。

この身体に刻まれる刺青や、海賊団のジョリーロジャーの所以となった、大好きな恩人の一片を彼女に見ることになるとは誰が想像できただろうか。




そこまで考えが巡り、おれは頭を左右に緩く振った。


恩人と彼女は似ても似つかない。


ただ、共通しているところは、彼らが人を想う温かな優しさをその心に宿しているというところだけだ。




傷が完治したらこの船を去る。
 

元々羽根屋とはそう言う取引であった。
今その取引が終わっただけの事。



海賊なら欲しいと思ったものは力づくで奪えば良いものを…と考えを堂々巡りさせる自分を自嘲するが、今回は不思議とそういう気にはなれなかった。


凡そ賞金首とは思えない、海賊には向かない程のお人好しで、素直で、時に頑固で、少し臆病な羽根屋を、彼女の意思に依らず無理に鳥かごに閉じ込めてしまう様な事をすれば途端に魅力の大半を失ってしまう気がしたからだ。




小鳥は自分の意思で大空を飛び回っている方が良い。自由を何よりも愛する自分だからこそ、その自由の尊さもわかっているつもりだ。



この純朴な彼女がこれから酷く傷つくことがないよう、
そして傷ついて捕まってしまうことのないよう、

生きる意味を見つけた彼女のこれからの旅路を思いながら窓から見える澄んだ空を見た。

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